ふわっとあくびをかみ殺す。窓から見える夕日はねっとりと地平線を染めていた。
「今日はヒマだな」
退屈げにパタリとしっぽを揺らしていると、扉の向こうに人影が見えた。浅黒い肌、黒い瞳。ギィッと扉を引き開けた顔に、ソーイチはひげをピクリと動かした。
「やあ、ミラ姉ちゃん」
「いらっしゃい、イーハン」
ソーイチが黙って奥に行こうとするのを、ミラは目で止める。鼻を鳴らすと、ソーイチはカウンターの一番窓際に陣取り、とぐろを巻いた。
「ちょうどよかった。今日はイーハンの好きなスープなのよ」
とろりとしたオレンジ色のスープを注ぎ込む。きれいに並べられた具材に、イーハンは眉をしかめた。
「戻ってないんだね。舌」
「書き残して置いて助かっちゃった」
事故後のミラの異変に気づいているごくわずかの者には、そういうことにしてあった。
ひとさじすくい上げ飲み込む。跡が残るくらい寄せていた眉間のしわが取れるのを見て、ソーイチは少し口の端を引き上げる。ミラがタマネギを刻む音だけが、店の中を包み込んだ。
数口、飲み進めていた手を止めた。
「さっき、謹慎が解けた。とりあえず帰ってこいって」
「よかったわね」
テッドがあちこちに手を回したのだろう。ぴゅうと口笛を吹くように、ソーイチは口をとがらせる。
だが、イーハンの顔は思いつめていた。
「よかったのかな、これで」
ミラが小首をかしげると、組み合わせた両手を額に置きイーハンは言った。
「自分の気持ちとは関係なく、またあの中に戻っていくのが、本当にいいんだろうか」
刻む手が止まる。
ダン! とカウンターを叩くと、イーハンはせきを切った。
「結局、大きな力に飲み込まれて、ボクのやったことなんかうやむやにされる。何も変わらない。じいちゃん達が犠牲になったことも忘れ去られてしまう。この町は……!」
イーハン、とミラが声をかけるとさらにまくしたてた。
「ミラ姉ちゃんだって、いまだに味覚が戻っていない! イシリアンテ人にいいように使われたようなもんじゃないか!」
「イーハン!」
珍しく、声を強くしたしなめるミラに、イーハンの肩がビクリと震えた。
「確かに、嫌なこともあるわね。でもね、みんながみんな、嫌な人ではないでしょう」
憤りをかたどった口がゆっくりと閉じられていく。
「一人一人になったら、心が打ち解けられる人もいる。……だって、私が好きになった人は、アグノゥサ人じゃないもの」
ソーイチは耳をあさっての方に向けた。
「私にはわからないけど、開発局の中にいるからこそ、町にとってできることがあるんじゃないかしら」
ことりとかたわらにカップを置く。
ミルクのたっぷり入った紅茶が、優しい香りを心に満たしていく。イーハンはしばらく、両手をカップで温めていた。
「今日はヒマだな」
退屈げにパタリとしっぽを揺らしていると、扉の向こうに人影が見えた。浅黒い肌、黒い瞳。ギィッと扉を引き開けた顔に、ソーイチはひげをピクリと動かした。
「やあ、ミラ姉ちゃん」
「いらっしゃい、イーハン」
ソーイチが黙って奥に行こうとするのを、ミラは目で止める。鼻を鳴らすと、ソーイチはカウンターの一番窓際に陣取り、とぐろを巻いた。
「ちょうどよかった。今日はイーハンの好きなスープなのよ」
とろりとしたオレンジ色のスープを注ぎ込む。きれいに並べられた具材に、イーハンは眉をしかめた。
「戻ってないんだね。舌」
「書き残して置いて助かっちゃった」
事故後のミラの異変に気づいているごくわずかの者には、そういうことにしてあった。
ひとさじすくい上げ飲み込む。跡が残るくらい寄せていた眉間のしわが取れるのを見て、ソーイチは少し口の端を引き上げる。ミラがタマネギを刻む音だけが、店の中を包み込んだ。
数口、飲み進めていた手を止めた。
「さっき、謹慎が解けた。とりあえず帰ってこいって」
「よかったわね」
テッドがあちこちに手を回したのだろう。ぴゅうと口笛を吹くように、ソーイチは口をとがらせる。
だが、イーハンの顔は思いつめていた。
「よかったのかな、これで」
ミラが小首をかしげると、組み合わせた両手を額に置きイーハンは言った。
「自分の気持ちとは関係なく、またあの中に戻っていくのが、本当にいいんだろうか」
刻む手が止まる。
ダン! とカウンターを叩くと、イーハンはせきを切った。
「結局、大きな力に飲み込まれて、ボクのやったことなんかうやむやにされる。何も変わらない。じいちゃん達が犠牲になったことも忘れ去られてしまう。この町は……!」
イーハン、とミラが声をかけるとさらにまくしたてた。
「ミラ姉ちゃんだって、いまだに味覚が戻っていない! イシリアンテ人にいいように使われたようなもんじゃないか!」
「イーハン!」
珍しく、声を強くしたしなめるミラに、イーハンの肩がビクリと震えた。
「確かに、嫌なこともあるわね。でもね、みんながみんな、嫌な人ではないでしょう」
憤りをかたどった口がゆっくりと閉じられていく。
「一人一人になったら、心が打ち解けられる人もいる。……だって、私が好きになった人は、アグノゥサ人じゃないもの」
ソーイチは耳をあさっての方に向けた。
「私にはわからないけど、開発局の中にいるからこそ、町にとってできることがあるんじゃないかしら」
ことりとかたわらにカップを置く。
ミルクのたっぷり入った紅茶が、優しい香りを心に満たしていく。イーハンはしばらく、両手をカップで温めていた。