日が暮れる頃、町はふわりと暖かくなる。
 商店は店じまいを始めるのだが、その代わり、甲高い嬌声が響きわたるようになる。仕事の邪魔にならないよう、通りや路地裏で子どもたちが遊び始めるからだ。

「古き良きなんとかってヤツだな」

 ミラの店の閉店はまだまだ先。もうすぐまた、忙しい時間になる。ソーイチは屋根伝いに店に戻ろうとしていた。

「あ、くそ坊主だ」

 イシリアンテ人特有の色素の薄い髪をかき上げながら、ロイが道を渡っていた。町の入口にいる老人にチラリと目を留めていると、甲高い声達に囲まれたらしい。しばらくは子どもたちとたわいもない会話をしていた。
 だが、ロイは少々真顔になり、子どもたちに言った。

「みんな、この町好きか?」

 思わぬことを言われきょとんとする。が、すぐに示し合わせたように大きく頷いた。

「この町の何が好きだ?」

 言われ、うなる。すると、姉にロイの言葉を教わったイステアがまっすぐ指した。

「発射台……?」

 ロイが、指した先に眉をひそめると、イステアは握り拳をロケットに見立て、天高く突き上げて見せた。

「私もそう思った。かっこいい!」
「だってここから宇宙まで行けるんだぜ!」
「先生が言ってた。他の町からは宇宙にいけないんだって」
「えー! そうなんだぁ。へんなの」

 イステアをまねして、思い思いにロケットを打ち上げる。
 オレンジ色に染まる空に伸びやかに挙がる手は、空のその先の、時空までもつかめるかもしれない。

 鼻をふんと鳴らすと、ソーイチは店に戻ろうときびすを返す。その時、もわりと白い煙が視界をさえぎった。

「あンのくそじじい……!」

 うなり声の一発ぐらいお見舞いしてやろうと下を見る。が、ソーイチはむき出しにした牙をおさめた。
 老人の、子どもたちを見る目が、何ともいえない複雑な色をしているからだった。


 ******


 ミラの寝息が変わった気がして、ソーイチはあわててベッドによじ登った。

「気のせいか」

 夕方の営業では、打ち上げの事を雄弁に語る客が来ていた。そういう日はよくうなされる。だが、今日はなんとか持ちこたえたようだ。

 ばつが悪そうにひげを跳ね、ソーイチは寝床に戻ろうとしたとき、窓辺に動く影を見つけた。月はもうなく、ところどころにつけた外灯が影を揺らす。寝室の出窓に上ったソーイチは、注意深く揺れる影を見定めた。
 影は目抜き通りを渡り、こちらへと向かってくる。背格好からして人であることは間違いない。足早に通りを渡りきると、立ち止まり辺りをうかがっている。

「アイツは、確か」

 影は店の横の路地に入る。寝室の窓下にも小さくこしらえられたドアを押し開けると、ソーイチは音を殺し、屋根に上った。

 影は辺りをうかがいながら、店の横にある細い路地を抜け、裏の薬屋の前に出た。ここに入るのかと思われたが、影はさらに路地を抜けていく。薬屋と向かいの店の間の道は広い。一度降り、距離を置いて後に続く。

 次の路地を抜けると、この時間にも関わらず、店が数軒開いていた。ごくごく小さな歓楽街である。そのうちの一軒の前に影は立ち止まった。急いで店の屋根に駆け上がり、じっと息を潜め、真下をのぞき込む。

 かすかなネオンに照らされた横顔は確かに、イーハンだった。

「呑みに来ただけか」

 辺りをうかがう様子に胸騒ぎを感じついてきたが、肩すかしを食らってしまった。

「アイツでも、呑みたいようなことがあるのかよ」

 生真面目で曲がったことを許さないイーハンとは全くそりが合わず、ことある事に目の敵にされていた。そんなイーハンの人間くさい一面は、ソーイチの口元をほころばせる。
 が、次の瞬間、ヒゲがぴくりと動いた。
 店に入ったイーハンは、テーブルには着かず、カウンターに入り込んだ。店の主である年増女は頷くと、イーハンを奥に通す。主は奥につながる扉を閉めると、少々ふくよかな体で扉に立ちはだかった。
 間を開けずもう一人男が店に入った。その男も店の奥に通されたのだ。

「どうしたもんかなぁ」

 ここからでは何もわからない。かといって、これ以上首を突っ込むのか……?
 今一度窓をのぞき込もうとしたとき、そばに気配を感じた。ゆっくり首を巡らせる。一匹の黒猫が、看板のネオンで体を浮かびあがらせていた。

「なんだ、猫か」

 軽く目をそらすと、再び窓をのぞき込もうとする。すると、ナーという鳴き声で動きを止められた。

「なんだよ、何か用かよ」

 つい、人の言葉で言う。するとその黒猫は耳の先をぴくんと立てた。

「その動き、……お前ひょっとして、あの時の猫か?」

 黒猫は返事の代わりにぴるぴると動かす。
 先日蛇に襲われたとき、結果的に黒猫たちに助けられた。人の言葉で礼を言うと、一匹の猫が耳を動かしたのだ。

「お前、ここの猫なのか?」

 ぴるぴると動かす。ソーイチは賭けてみた。

「頼みがある。お前の店の奥の様子が知りたい。抜け道か何か、ねぇか?」

 猫はピクッと耳を立てる。しばらく考えを巡らすようにしっぽを揺らすと、黒猫は立ち上がった。ソーイチの前に立つとわずかに振り返り、「ついてこい」というように、しっぽで一度屋根を叩いた。