空色のツナギを着た若い局員の目には驚きしかなかった。
町中にたたずんだ、一軒の食堂、かもしれないもの。
おそらく建てた当初は、暖かい国の片田舎にあるような家をイメージしたのだろう。クリーム色した漆喰の壁。テラコッタ色のタイルが重ねられた屋根。木の扉には素朴なコの字型の黄金色のノブ。
が、今はどうだろう。壁にはところどころひびが入り、テラコッタのタイルの屋根は、他の色のタイルが賑やかに乗っかっている。なにより、全体的に傾いている。
少し右にかしげた首を元に戻すと、若い局員は問うた。
「看板も何も出ていませんよ」
「大丈夫だって。ほら、開けろ」
同じ空色のツナギを着た男が肩を叩く。はぁ、と半信半疑な心を隠そうとせずに吐き出すと、若い局員はノブに手をかけた。
「お? え? か……固い。建物が傾いているせいかな」
若干こめかみに力が入る。動かない。若い局員は一度離すと、右足を下げ肩幅くらいに開いた。腰を落とし、再びノブを握る。右足に重心をかけ、力任せに引き開けようとした。
「あ! 言い忘れてた。ロイ、それ、押すんだ」
そのままカクリと右足の力が抜ける。恨めしそうに上司を見ると、「ボクも最初、間違えたんだよ」と笑いながらはぐらかされた。
ギィ……、と思いのほか軽く扉が開く。と、一匹の黒い猫がちょこんと座り、二人を出迎えてくれた。
「チビ、元気かい?」
上司は猫の頭をわしわしとなでる。気に入らないのか、シャーッ!と威嚇されるも、上司はお構いなしである。
店内はあまり広くない。カウンター席が五つだけである。薄暗く、使い込まれたいすが黒光りしているが、破れなどない。窓は拭き清められ、カウンターは塵一つなく、静かにたたずんでいる。食事の邪魔にならないように小さく生けられた花に、店主の心づかいを感じた。
その時、ズウゥゥゥゥン! と腹の底に響くような音が届く。ロイと上司は窓のそばまで行くと、空に向かって旅立っていく白い船体をながめた。
「成功したな」
「そうですね」
ロケットはあっという間に点になり、空を突き抜けていく。振り返ることを知らない白い船体を、ロイはじっと見続けていた。
ナー! という鳴き声で我に返る。振り返った先に見える光景に、あんぐりと口を開けた。
「猫が……水を運んでる……!」
さっき出迎えてくれた黒猫は、カウンターに置かれた小さな台車を鼻先で押し、あらかじめ乗せられていたグラスを運んでいる。座席の前に止まるとまたちょこんと座り、「ここだよ」と言わんばかりに、しっぽでカウンターをピシャリと叩く。上司は驚きもせず「ありがとう」と答え、一つの席に腰を下ろした。
「黒猫だなんて、縁起の悪い。……だからアグノゥサは嫌なんだ」
おそるおそるいすに腰を下ろすロイを、黒猫がちらりと振り返る。が、黒猫はすぐそっぽを向くと、軽やかにカウンターを飛び降りる。店の奥に入ると、「あらいけない!」と女の声が聞こえてきた。
出迎えのあいさつをしながら出てきた女も、黒かった。アグノゥサ人らしい浅黒い肌はともかくとして、長い黒髪、黒のワンピースを身につけたその姿は、さっきの猫かと思った。
だが、あの黒猫にはない雰囲気が、彼女を人間だと認識させた。切れ長の黒い瞳の奥底に愁いが見える。どことなく、寂しげだった。
「スープセット二つ、お願いね」
「はい」
ロイはあたりを見渡すが、メニューも、メニューらしきものも見当たらない。上司はクスリと笑いながら、ロイの疑問に答えてくれた。
「ここはスープをメインにしたセット、それだけなんだ」
「一種類だけですか」
頷く。スープは日によって変わるそうだ。
女は棒のようなものを取り出し、長い黒髪をクルクルと巻き付け始める。耳の後ろ辺りにまとめると、最後に髪の束にその棒を押し込んだ。棒には琥珀色に茶色の波紋が広がっている。
「カンザシ、だ」
「ご存じなのですね。お客様からいただきました」
愁いを帯びた目が少しほほえむ。目元のほくろに胸がかすかにざわつき、ごまかすように、ロイは店内に顔を向けた。
古びた壁には幾枚かの写真が飾られている。いずれも、空の色をしたツナギに身を包み、穏やかな笑みを浮かべている。当然、全ての顔に見覚えがある。有人ロケットに搭乗した飛行士たちだ。――あの仲間には、なれない。ロイは唇の端をわずかに噛んだ。
町中にたたずんだ、一軒の食堂、かもしれないもの。
おそらく建てた当初は、暖かい国の片田舎にあるような家をイメージしたのだろう。クリーム色した漆喰の壁。テラコッタ色のタイルが重ねられた屋根。木の扉には素朴なコの字型の黄金色のノブ。
が、今はどうだろう。壁にはところどころひびが入り、テラコッタのタイルの屋根は、他の色のタイルが賑やかに乗っかっている。なにより、全体的に傾いている。
少し右にかしげた首を元に戻すと、若い局員は問うた。
「看板も何も出ていませんよ」
「大丈夫だって。ほら、開けろ」
同じ空色のツナギを着た男が肩を叩く。はぁ、と半信半疑な心を隠そうとせずに吐き出すと、若い局員はノブに手をかけた。
「お? え? か……固い。建物が傾いているせいかな」
若干こめかみに力が入る。動かない。若い局員は一度離すと、右足を下げ肩幅くらいに開いた。腰を落とし、再びノブを握る。右足に重心をかけ、力任せに引き開けようとした。
「あ! 言い忘れてた。ロイ、それ、押すんだ」
そのままカクリと右足の力が抜ける。恨めしそうに上司を見ると、「ボクも最初、間違えたんだよ」と笑いながらはぐらかされた。
ギィ……、と思いのほか軽く扉が開く。と、一匹の黒い猫がちょこんと座り、二人を出迎えてくれた。
「チビ、元気かい?」
上司は猫の頭をわしわしとなでる。気に入らないのか、シャーッ!と威嚇されるも、上司はお構いなしである。
店内はあまり広くない。カウンター席が五つだけである。薄暗く、使い込まれたいすが黒光りしているが、破れなどない。窓は拭き清められ、カウンターは塵一つなく、静かにたたずんでいる。食事の邪魔にならないように小さく生けられた花に、店主の心づかいを感じた。
その時、ズウゥゥゥゥン! と腹の底に響くような音が届く。ロイと上司は窓のそばまで行くと、空に向かって旅立っていく白い船体をながめた。
「成功したな」
「そうですね」
ロケットはあっという間に点になり、空を突き抜けていく。振り返ることを知らない白い船体を、ロイはじっと見続けていた。
ナー! という鳴き声で我に返る。振り返った先に見える光景に、あんぐりと口を開けた。
「猫が……水を運んでる……!」
さっき出迎えてくれた黒猫は、カウンターに置かれた小さな台車を鼻先で押し、あらかじめ乗せられていたグラスを運んでいる。座席の前に止まるとまたちょこんと座り、「ここだよ」と言わんばかりに、しっぽでカウンターをピシャリと叩く。上司は驚きもせず「ありがとう」と答え、一つの席に腰を下ろした。
「黒猫だなんて、縁起の悪い。……だからアグノゥサは嫌なんだ」
おそるおそるいすに腰を下ろすロイを、黒猫がちらりと振り返る。が、黒猫はすぐそっぽを向くと、軽やかにカウンターを飛び降りる。店の奥に入ると、「あらいけない!」と女の声が聞こえてきた。
出迎えのあいさつをしながら出てきた女も、黒かった。アグノゥサ人らしい浅黒い肌はともかくとして、長い黒髪、黒のワンピースを身につけたその姿は、さっきの猫かと思った。
だが、あの黒猫にはない雰囲気が、彼女を人間だと認識させた。切れ長の黒い瞳の奥底に愁いが見える。どことなく、寂しげだった。
「スープセット二つ、お願いね」
「はい」
ロイはあたりを見渡すが、メニューも、メニューらしきものも見当たらない。上司はクスリと笑いながら、ロイの疑問に答えてくれた。
「ここはスープをメインにしたセット、それだけなんだ」
「一種類だけですか」
頷く。スープは日によって変わるそうだ。
女は棒のようなものを取り出し、長い黒髪をクルクルと巻き付け始める。耳の後ろ辺りにまとめると、最後に髪の束にその棒を押し込んだ。棒には琥珀色に茶色の波紋が広がっている。
「カンザシ、だ」
「ご存じなのですね。お客様からいただきました」
愁いを帯びた目が少しほほえむ。目元のほくろに胸がかすかにざわつき、ごまかすように、ロイは店内に顔を向けた。
古びた壁には幾枚かの写真が飾られている。いずれも、空の色をしたツナギに身を包み、穏やかな笑みを浮かべている。当然、全ての顔に見覚えがある。有人ロケットに搭乗した飛行士たちだ。――あの仲間には、なれない。ロイは唇の端をわずかに噛んだ。