ミラはまた、店の奥で横になっていた。薬を飲ませ少し落ち着いてきたが、それでもカウンターに立てるようには見えない。

 開発局に事件が起こると体調を崩す。以前はミラも、鮮やかな色味を好んだが、三年経った今も黒い服を脱ごうとはしない。表向きは平静を装ってはいるが、時折起こる心の乱高下に歯がみをする日々は続いていた。

「今日は臨時休業かな」

 ぱたりと両耳を伏せてうなる。その時、ドアの外に気配を感じた。青いツナギ、色素の薄い髪からロイだとわかり声を出した。

「今日は臨時休業にするぞ」

 だが、ロイはかまわず、扉を押した。

「おい、だから今日は……」

 いつもと違う様子にソーイチは眉をしかめた。
 カチリとかかとを合わせ、左手をぴんと伸ばし、右手の拳で左胸を叩くように腕をあげる。イシリアンテ王国軍の敬礼だった。

「今までの数々の無礼、ご容赦くださいませ。ソーイチ・マカベ少佐相当官」

 ピクリとひげをあげた。

「何を証拠に。……ただのしゃべる猫だ」
「テッド支部局長補佐があなたをソーイチと呼んでいた」
「名前が一緒なだけだ」
「持っている知識が一般人とは違う」
「賢いだろ?」
「爆音におびえるミラさんに、アルバートはもういないと言っていた」
「……飼い主だからな」
「なにより、一瞬だったと、我々が知り得ない船内の様子を知っていた」

 黒猫はゴクリと喉を鳴らした。

 空の一番高いところに届いた日が降り注ぎ、二人の影を短く描く。雲一つない空はあの日と同じくらい、晴れ渡っていた。

「驚いています。こんなことがあるのかと」
「お前以上にオレが驚いたさ」

 ククク、と黒猫は自嘲的に笑い出した。


******

「おい、なんかおかしいぞ」
「本当だ。どうしたんだろう」

 アルバートはぐっと眉をしかめ、エリックはあちらこちらを触り始めた。

 妙な振動や音に、二人が落ち着かなくなっていた。確かに他の打ち上げでは聞いたことがない。だが、三人とも自身が乗り込むのは初めてである。心のざわつきに確信を与えられずにいた。

「まあそうあわてるなって。スズカは何も言ってこねぇし」

 ふわっとあくびをかみ殺すと、ソーイチは背もたれにぐっと身を預けた。

「たく……、ソーイチは……!」
「士官学校時代からこれだもんな」

 眉をひそめるエリックに、アルバートがなだめる。訓練中よく見せた光景は、二人の心のこわばりを少しばかり緩めるのに役立ったようだ。


 スコン、と音が耳に届く。
 ――空耳か。
 かぶりを振る。だがまた、スコン、と不安が耳をとらえた。


「スズカ、変な音がした。確認してくれ」

 ソーイチは管制室と連絡を取る。だが、向こうでは、特に問題はないという。

「なんだ……? こりゃ?」

 首をかしげたその時だった。
 鈍く低い警告音が船内に響きわたる。三人はあたりを見回した。

「くそっ! どこか故障か?」
「スズカ! どうなってる!? スズカ!」

 次の瞬間、爆音が船内を揺らした。

 目の前を、青く塗られた破片がかすめ飛ぶ。――夢が、(つい)えた瞬間だった。



 閉じたまぶたに光が差し込み、気がついた。

 ざわつく人の気配と、せわしなく響く靴音。ゆっくり目を開けてみると、何も映さず、呆然と目を見開いているミラの姿が見えた。アルバートはダメだったのか、そう悟り、身をよじった時、運命のいたずらに気づいた。

「……起きたの? チビ」


******

 
 ミラが身じろぎをする音が聞こえる。店の奥に目をやるとソーイチがつぶやいた。

「アルバートは地球に帰還したら、ミラに結婚を申し込む気でいたんだ」

 ソーイチはぐっと顔を上げると、窓の外に広がる空を見上げる。

「あいつは逝っちまって、オレは猫になった。……とんでもねぇ厄落としだな、全く」

 視線を落とし、押し黙るロイにソーイチは笑ってみせた。