模擬管制室に緊張が走る。ロイは耳に流れ込んでくるそれぞれの報告を、じっと心に留めていた。次席運行指揮官にはイーハンがついている。表情は淡々としているものの、目には自信と優越感があふれていた。
最後の総合研修は今日、最終日を迎えた。
数日前から一日に一人ずつ、主席運行指揮官を務めて、打ち上げシミュレーションを行っている。今日はロイの番である。
昨日のイーハンは見事なものだった。
突然のトラブルにもあわてることなく、的確に皆を導き、試験官であるテッドやスズカ達の舌を巻かせた。それだけではない、気の利いたジョークを交えて、その時船長を務めたスバルの心をほぐしてやっていた。それだけの余裕があった。
これに失敗すれば、見習いの自分は、第八期有人飛行計画から外されるかもしれない。のしかかってくる重圧をぐっとこらえる。今はできることに集中しよう。人差し指を襟元にいれ押し広げると、ふうと息を吐いた。
「カウント始めてください」
「まて、ここのチェックが終わっていない」
イーハンが手順書を指す。はたと気がつき、あわてて指示をした。一気に背がひやりと冷たくなる。ささやく声。さらさらと聞こえてくるペンの音。口の端を噛みながら、ロイはまた、襟元を広げた。
「全チェック完了しましたか?」
「完了」
もう一人の次席が確認をする。イーハンも頷くと、ロイは正面のモニターに目を向けた。
「カウント、開始してください」
イーハンがカウントを始める。その指示に合わせて、エンジンに火が灯され、固定具が次々と外されていく。モニターが擬似的にその様子を映し出していた。
最後の固定具を外したときだった。
「研修を中止します! みんな一時間以内に町から待避してください!」
扉が乱暴に開け放たれると、女性局員が息を切らして叫んだ。
「どういうこと?」
「衛星の破片がここに落ちる危険があります」
皆の顔が青ざめた。
すぐ上にある管制室に駆け込むと、すでに待避準備が始まっていた。正面の巨大モニターには待避の文字が赤く点滅している。世界地図の真ん中には赤い線が軌道を描き、コンピューターがその行き先を告げている。丸く囲まれた予測到達地点の端に、開発局が入っていた。
「先ほど破片が軌道をそれたんです。今日は風が強いので、予測範囲を広く設定しました」
監視官が険しい顔でそう告げた。
研修と並行して先代衛星の大気圏突入が行われていた。役目を終え、順調に消えていこうとしていた矢先、一つの破片があさっての方向に飛んだのである。
「町には?」
「既に避難勧告を出しました。ただ、時間が少ないので、ちゃんと全員待避できるかどうか」
ロイが身を乗り出した。
「もちろん、こんな町だから常日頃避難訓練はしてるさ。だけど……」
監視官が口ごもる。すると、後ろから声が聞こえた。
「非常時、この町で優先されるのは飛行士、次に局員。町の住人は最後だ」
イーハンだった。
「なぜ!?」
「町にとって開発局は全てだ。ここがなければ喰っていけない。優先するのは当然だろ」
「イーハンさん、よくそんなことを淡々と……!」
「ボクはただ現実を言っただけだ。ぶつぶつ言うヒマがあったら待避準備をしなよ。その分、みんなが早く逃げられるからさ」
口元は淡々としている。が、奥底に秘めた憤りがロイをにらみつけた。
「さて、どうするの主席」
その一言に皆が目を見開いた。
「模擬管制室の主席運行指揮官はあなたよ。……どうするの?」
「スズカ!」
「この非常時に何を!」
飛ぶ非難の声に、スズカはいつも通り感情乏しい表情で応える。ただ、目はまっすぐロイを見ていた。
手に、飛び込んできたボールの感触がよみがえる。
もわりと顔を覆う白い煙。
心を満たす、隊列を組んだスープ。
鈍色の壁。
巻き上がる砂埃。
最後に、ぴくりとひげをはねあげた黒猫の顔が浮かぶと、ロイはスズカに言った。
「非常事態宣言Aを発令します。全て封鎖して緊急待避してください。この準備はすぐできますよね? オレがいなくても」
スズカは目で頷いた。
「じゃ、オレ、町に行ってきます。避難を手伝ってきます。少しでも早くなるように」
あっけにとられる他の局員を押しのけると、ロイは廊下に出た。
「待て! ボクも行く!」
「来るな、ヴィクター。お前は飛行士だろ。先に逃げろ」
「だけど!」
心配そうに見るヴィクターに振り返ると、ロイはニッ、と口元を引き上げた。
「飛行士の代わりはなかなかいないんだ。それに、オレは誰よりも度胸があって、冷静なんだろ? まかしとけ」
ロイはきびすを返す。
「……スバル、頼むな」
言うとまっすぐに階段を駆け下りた。
最後の総合研修は今日、最終日を迎えた。
数日前から一日に一人ずつ、主席運行指揮官を務めて、打ち上げシミュレーションを行っている。今日はロイの番である。
昨日のイーハンは見事なものだった。
突然のトラブルにもあわてることなく、的確に皆を導き、試験官であるテッドやスズカ達の舌を巻かせた。それだけではない、気の利いたジョークを交えて、その時船長を務めたスバルの心をほぐしてやっていた。それだけの余裕があった。
これに失敗すれば、見習いの自分は、第八期有人飛行計画から外されるかもしれない。のしかかってくる重圧をぐっとこらえる。今はできることに集中しよう。人差し指を襟元にいれ押し広げると、ふうと息を吐いた。
「カウント始めてください」
「まて、ここのチェックが終わっていない」
イーハンが手順書を指す。はたと気がつき、あわてて指示をした。一気に背がひやりと冷たくなる。ささやく声。さらさらと聞こえてくるペンの音。口の端を噛みながら、ロイはまた、襟元を広げた。
「全チェック完了しましたか?」
「完了」
もう一人の次席が確認をする。イーハンも頷くと、ロイは正面のモニターに目を向けた。
「カウント、開始してください」
イーハンがカウントを始める。その指示に合わせて、エンジンに火が灯され、固定具が次々と外されていく。モニターが擬似的にその様子を映し出していた。
最後の固定具を外したときだった。
「研修を中止します! みんな一時間以内に町から待避してください!」
扉が乱暴に開け放たれると、女性局員が息を切らして叫んだ。
「どういうこと?」
「衛星の破片がここに落ちる危険があります」
皆の顔が青ざめた。
すぐ上にある管制室に駆け込むと、すでに待避準備が始まっていた。正面の巨大モニターには待避の文字が赤く点滅している。世界地図の真ん中には赤い線が軌道を描き、コンピューターがその行き先を告げている。丸く囲まれた予測到達地点の端に、開発局が入っていた。
「先ほど破片が軌道をそれたんです。今日は風が強いので、予測範囲を広く設定しました」
監視官が険しい顔でそう告げた。
研修と並行して先代衛星の大気圏突入が行われていた。役目を終え、順調に消えていこうとしていた矢先、一つの破片があさっての方向に飛んだのである。
「町には?」
「既に避難勧告を出しました。ただ、時間が少ないので、ちゃんと全員待避できるかどうか」
ロイが身を乗り出した。
「もちろん、こんな町だから常日頃避難訓練はしてるさ。だけど……」
監視官が口ごもる。すると、後ろから声が聞こえた。
「非常時、この町で優先されるのは飛行士、次に局員。町の住人は最後だ」
イーハンだった。
「なぜ!?」
「町にとって開発局は全てだ。ここがなければ喰っていけない。優先するのは当然だろ」
「イーハンさん、よくそんなことを淡々と……!」
「ボクはただ現実を言っただけだ。ぶつぶつ言うヒマがあったら待避準備をしなよ。その分、みんなが早く逃げられるからさ」
口元は淡々としている。が、奥底に秘めた憤りがロイをにらみつけた。
「さて、どうするの主席」
その一言に皆が目を見開いた。
「模擬管制室の主席運行指揮官はあなたよ。……どうするの?」
「スズカ!」
「この非常時に何を!」
飛ぶ非難の声に、スズカはいつも通り感情乏しい表情で応える。ただ、目はまっすぐロイを見ていた。
手に、飛び込んできたボールの感触がよみがえる。
もわりと顔を覆う白い煙。
心を満たす、隊列を組んだスープ。
鈍色の壁。
巻き上がる砂埃。
最後に、ぴくりとひげをはねあげた黒猫の顔が浮かぶと、ロイはスズカに言った。
「非常事態宣言Aを発令します。全て封鎖して緊急待避してください。この準備はすぐできますよね? オレがいなくても」
スズカは目で頷いた。
「じゃ、オレ、町に行ってきます。避難を手伝ってきます。少しでも早くなるように」
あっけにとられる他の局員を押しのけると、ロイは廊下に出た。
「待て! ボクも行く!」
「来るな、ヴィクター。お前は飛行士だろ。先に逃げろ」
「だけど!」
心配そうに見るヴィクターに振り返ると、ロイはニッ、と口元を引き上げた。
「飛行士の代わりはなかなかいないんだ。それに、オレは誰よりも度胸があって、冷静なんだろ? まかしとけ」
ロイはきびすを返す。
「……スバル、頼むな」
言うとまっすぐに階段を駆け下りた。