「酸味キツイ。トマト入れすぎ」
ペロリと舐めるとそう言った。
「え!? きっちり三十八個よ」
「ミラ、熟れ具合確認させてくれ」
ほら、と一つを差し出される。カプっと小さく噛みきると眉根を寄せた。
「若い。タマネギ増やそう」
カウンターにいる黒猫は背筋を伸ばし、タマネギの皮をむき始める女店主をじっと見つめる。ふと思い立ち、カウンターの下に首を伸ばした。くわえた赤い小瓶をかたわらに置くと、鼻先で小皿を持ってくる。歯で器用にふたを開け、カタンと倒すと、小皿に赤い液体を出した。女店主に「舌、出せ」と言うと、前足でチョンチョンと液体をとる。舌につけてみた。
「どう?」
ミラは困ったように笑みを浮かべ、首を振る。じゃあ、と黒猫はもう一度前足にとり、今度は舌一面に塗りつけてみた。
「……ゴメンね。やっぱり、わからない」
黒猫は肩をすぼめる。つい、前足を舐めてしまった。
「ほげ! あ! がぁ! ぐわ!」
顔の穴という穴から火が出そうな辛さに、まともな言葉を失う。ミラがあわてて皿に水を入れてくれると、顔を突っ込む勢いで飲み始めた。
必死で水をすくい取る黒猫にクスクス笑いながら、ミラはつぶやいた。
「あなたが味を覚えていてくれなかったら、店をたたまなきゃいけなかった。……ありがとう、ソーイチ」
「……チビでいいよ」
「……ソーイチはソーイチよ」
伏し目がちに皿を舐める猫の前で、女店主はタマネギを刻み始めた。
ひげの先に久しくなかった湿り気を感じる。とたん、窓の外が鈍色に染まり、ざぁっという音と共に、辺りを濡らし始めた。
「お、雨だ」
カウンターを伝い窓の前に立つ。この地にしては珍しい大粒の雨だった。
「ガキの頃は嫌いだったんだけどな。ここに来たら妙に懐かしくなる」
目を細め、鼻をひくひくとさせ突き出す。叩きつける雨の全てを逃したくなく、耳も、皮膚も、ひげも感覚を研ぎ澄ました。
研ぎ澄ました耳に、ぽつり、と音が飛び込んだ。
「ん?」
耳を音の方に傾ける。やはり、ぽつり、と今度ははっきり聞こえた。
「ミラ、雨もりしてるぞ」
「あら、どこかしら」
銀色のボールを手にミラがカウンターから出てくる。二人で天井や床をキョロキョロと見渡した。
「あそこだ」
店の入口付近にじわりと水が染みこんでいる。ミラがボールを置くと、コン、コン、と規則的にリズムを打ち始めた。
「カウンターの上じゃなくてよかった」
ミラがホッと胸をなで下ろす。ソーイチのひげがピクリと動いた。
「タイルがまた割れたか。誰かに何かあるのかよ」
それを聞くと、ミラは少し不機嫌そうに眉根を寄せる。カウンターの向こう側に戻ると、またタマネギを刻み始めた。
「ウチのスープにそんなものないわよ。だいたい……」
そこまで言いかけてぱたりと口をつぐむ。じっとひとところを見つめると、またギュッと包丁を握り直し、刻み始めた。
「そうだ。ただのうまいスープだ。それでいい」
トトンとカウンターに飛び乗ると、ソーイチは雨の気配を浴びた。
ペロリと舐めるとそう言った。
「え!? きっちり三十八個よ」
「ミラ、熟れ具合確認させてくれ」
ほら、と一つを差し出される。カプっと小さく噛みきると眉根を寄せた。
「若い。タマネギ増やそう」
カウンターにいる黒猫は背筋を伸ばし、タマネギの皮をむき始める女店主をじっと見つめる。ふと思い立ち、カウンターの下に首を伸ばした。くわえた赤い小瓶をかたわらに置くと、鼻先で小皿を持ってくる。歯で器用にふたを開け、カタンと倒すと、小皿に赤い液体を出した。女店主に「舌、出せ」と言うと、前足でチョンチョンと液体をとる。舌につけてみた。
「どう?」
ミラは困ったように笑みを浮かべ、首を振る。じゃあ、と黒猫はもう一度前足にとり、今度は舌一面に塗りつけてみた。
「……ゴメンね。やっぱり、わからない」
黒猫は肩をすぼめる。つい、前足を舐めてしまった。
「ほげ! あ! がぁ! ぐわ!」
顔の穴という穴から火が出そうな辛さに、まともな言葉を失う。ミラがあわてて皿に水を入れてくれると、顔を突っ込む勢いで飲み始めた。
必死で水をすくい取る黒猫にクスクス笑いながら、ミラはつぶやいた。
「あなたが味を覚えていてくれなかったら、店をたたまなきゃいけなかった。……ありがとう、ソーイチ」
「……チビでいいよ」
「……ソーイチはソーイチよ」
伏し目がちに皿を舐める猫の前で、女店主はタマネギを刻み始めた。
ひげの先に久しくなかった湿り気を感じる。とたん、窓の外が鈍色に染まり、ざぁっという音と共に、辺りを濡らし始めた。
「お、雨だ」
カウンターを伝い窓の前に立つ。この地にしては珍しい大粒の雨だった。
「ガキの頃は嫌いだったんだけどな。ここに来たら妙に懐かしくなる」
目を細め、鼻をひくひくとさせ突き出す。叩きつける雨の全てを逃したくなく、耳も、皮膚も、ひげも感覚を研ぎ澄ました。
研ぎ澄ました耳に、ぽつり、と音が飛び込んだ。
「ん?」
耳を音の方に傾ける。やはり、ぽつり、と今度ははっきり聞こえた。
「ミラ、雨もりしてるぞ」
「あら、どこかしら」
銀色のボールを手にミラがカウンターから出てくる。二人で天井や床をキョロキョロと見渡した。
「あそこだ」
店の入口付近にじわりと水が染みこんでいる。ミラがボールを置くと、コン、コン、と規則的にリズムを打ち始めた。
「カウンターの上じゃなくてよかった」
ミラがホッと胸をなで下ろす。ソーイチのひげがピクリと動いた。
「タイルがまた割れたか。誰かに何かあるのかよ」
それを聞くと、ミラは少し不機嫌そうに眉根を寄せる。カウンターの向こう側に戻ると、またタマネギを刻み始めた。
「ウチのスープにそんなものないわよ。だいたい……」
そこまで言いかけてぱたりと口をつぐむ。じっとひとところを見つめると、またギュッと包丁を握り直し、刻み始めた。
「そうだ。ただのうまいスープだ。それでいい」
トトンとカウンターに飛び乗ると、ソーイチは雨の気配を浴びた。