一面に広がる地図の上を、黄色い線が進んでいく。打ち上げた衛星は順調に軌道を周回していた。
 会議の後、そのまま勤務するのが今日の予定である。が、シフトは非常に息苦しかった。
 指導担当のスズカがいるのは仕方ないのだが、イーハンも同じとは……。スズカを挟んだ向こうから、ときおり向けられる威圧を込めた視線に、ロイは胃が縮むような感触さえ覚えていた。

 襟首に指を入れ、少し押し広げたとき、黄色い線の先に赤い点を見つけた。

「前方にデブリ発見。大きさは十センチ四方」

 監視官の声に、管制室に緊張が走る。

「おいおいどこの国だよ、ゴミ捨てていったヤツは」
「それどころじゃないでしょ。よけなきゃ衛星が壊れちゃう」

 口々に言いながら皆手を動かし始める。刻々と近づく赤の点。ぶつかるのは時間の問題だ。

「回避手順は?」
「A―3の手順が使えます」
「じゃそれでいきましょう」

 スズカの声に皆が作業を進めようとしたときだった。赤い点がぼやけ、膨らむと、二つにわかれ始めたのが、ロイの目に飛び込んだ。

「待ってください! デブリは二つあります!」

 管制室があっと息をのむ。わかれた二つの赤い点は緩く弧を描き、時間差で衛星を挟むよう飛ぶと、コンピューターが予測をしていた。

「A―3ではもう一つをよけきれない」

 イーハンが事前に用意していた手順をいくつも思い出す。はっとひらめき、ロイが口を開いた。

「A―3とC―3を組み合わせたら何とかなるかもしれません」
「どういうこと?」

 この状況でも眉一つ動かさないスズカが聞き返す。ロイは紙とペンを広げた。

「一つ目のデブリはA―3でよけます。ただ、ここで変えた角度を、この地点でもう一度深く変えます」

 簡単に図を描くと、ロイは説明を続けた。

「二つめのデブリは衛星より少し遅い速度で回っているので、この地点でよけきれます」

 とん、と一つ、点を記した。

「だけど、このままの角度じゃ軌道から外れてしまう。どうするんだ?」

 挑むような声でイーハンが言う。ニッとロイは口の端で笑みを浮かべた。

「デブリをよけている間に角度を変えるんです」
「変える!?」

 小馬鹿にした声で言うイーハンをよそに、ロイは空いたスペースにペンを走らせる。二つめのデブリを包み込むような軌道を描いた。

「プログラミングの時間が足りない。一歩間違えれば衛星の心臓部に直撃だ。三年間の努力が無になる」
「じゃ、一つだけよけて、太陽光パネルの片翼を犠牲にするんですか? それこそ三年間の努力が水の泡です」

 容赦なくにらみつけてくる黒い瞳をにらみ返す。

「運転技師にちょっと無理をさせるけど、やってみましょう」

 イーハンが顔色を変え、スズカを見た。

 ロイが描いた紙をつかみ取り、スズカが淡々と指揮を執る。ロイ! なんだよこりゃ!?とぼやきながら、運転技師はキーボードに手を掛けた。

「カウントとります。三十、二十九、二十八、二十七」
「IE―F4、十八時方向へ。D―187回避」

 黄色い点が赤い点をするりとかわす。だが、もう一つの赤い点が禍々しい光を放ち、迫ろうとしていた。

「D―188接近」
「十二時方向へ!」

 一つ目の赤い点とすれ違ったその瞬間、衛星はくいと機体を持ち上げた。親指を置けば隠れてしまうほどの隙間で二点は向かい合う。踊るようにすれ違うと、並んでいた二点はゆっくりと離れ、衛星は元の軌道に戻っていった。

「ロイ! やった!」

 詰めていた息が一度に吐き出され、あちらこちらから声が上がる。照れくさそうにしていると、スズカが口を開いた。

「ころころ顔色変えている場合じゃないわよ。なにが起きたっておかしくないんだから、常に冷静に状況を俯瞰しなさい」

 ほんの少し浮き立っていた心をずん、と沈められる。すみません、とつぶやくと、スズカの肩越しにある黒い瞳とぶつかる。すでに運行指揮官として実績のあるイーハンは、さすがに淡々としている。だが、まなざしには嫉妬にも似たドロリとしたものが浮かんでいた。