☆本話の作業用BGMは、『ゆうこ』(村下孝蔵)でした。
 この方のお歌で初めて耳にした曲です。ので、とても印象深いです。
 当時の自分は曲にばかり意識が行っておりましたが、改めて歌詞を読むと、うーん……と唸ります。
 タイトルは奥様のお名前から、だそうで。その後、故あって再婚した方も「ゆうこ」さんだったんですと。ふうん……

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 さすがに夏は終わったようです、お母さま。
 もう十月だから、と言うわけではありません。
 Tシャツで近所のコンビニに行けなくなってきたのですよ。寒くって。うっふん♥
 またスウェットの出番です。長らく待たせましたが。
 お久しぶり、またよろしくね……この間スウェットにひと声掛けましたら、「いやなんもです」と返されました(幻聴?)。

 ふと、親父(先代ハゲ)に掛けられた言葉を思い出します。
 親父は――毎年この時期、Tシャツで母屋内をうろうろしている私を見掛けると、

『×××(※お母さまの名前)、風邪ひくよ? なにか上に着ないと』

 何故かいつも、間違ってそう呼ぶのです。
 呼び間違いはそのシチュエーションだけ。
 そのくせ、お母さまに声を掛ける時は間違えないのです。
 多分、お母さまはご存知なかったでしょう?

 この遣り取りが、未だによく理解できません。お母さまが亡くなる前の話です。
 私、そんなお母さまに似ていましたっけ?
 それほどでも無かったと思うのですが……。

 毎度、言い間違いに自ら気付いた先代ハゲ(注:千代萩(せんだいはぎ)ではない)は、決まって頬を染め、照れたように頭をツルリと撫でるのでした。


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 夜五つ(午後八時頃)に来店したお客さんは、(恐らく)五十がらみと思われる、スーツにノーネクタイの男性でした。
 シャツは淡いブルー、白髪交じりのボリューミーな七三分けで、少しだけ赤い顔をしてらっしゃいます。
 まあよくあるパターンです。会社帰り、軽く一杯ひっかけて……といったところでしょう。

 黒くて薄い鞄を床に置き、椅子に深ぁ~く腰掛けております。

 掲示板の説明を既に一瞥してあったものか、さっとワンコイン投入、すぐに、

『しゃかりきコロンブス(大人は見えない)』

 というボタンを押下します。
 確か、(いにしえ)の某アイドルグループの曲に、そんな歌詞があったような。

【こんばんは。あのう、表の写真(晋三と彼女)——】
「ツイてない御苑へようこそ。あの手配写真が何か……あ、見当たり捜査ですか? また警察の方?」※1
【いえいえ、違います。民間人ですよ。ちょっと微笑ましいというか、羨ましいなと思って。お知り合いなのですか?】
「うらやま……左様ですか。ふうん……知り合いというか、下僕? みたいな」
【下僕?!】

 少しだけ目を見開いた男性は、ふとボタン群に視線を落とし、

【あっ?! ……ごめんなさい、あのう、ボタン変えてもいいでしょうか?】
「ええ、どうぞ。まあ、男性がゲンジでもないですよね(偏見?)」

 そも、「しゃかりきなコロンブス」とはなんぞ?
 緩い上り坂をノーマル自転車に乗って、ガシャガシャと必死にペダルを漕ぐ——「ぼ~く~……コロン……ブス~」と荒い息で途切れ途切れに呟く中年男性——というイメージなんですけど、果たして……。
 いや、(大人は見えない)という注釈は……?

【ありがとうございます。隣の……こっちにチェンジします】

 先ほどとは違い、弾むような指先がボタンを撫でます。
 弾いたボタンは、

『……言い出せない●は 海鳴りに似て●る……』。

「何かの歌詞でしょうか」
【そうです。思い入れのある曲なんですよ……】

 微妙に上がった視線が微かに揺れました。


☆☆☆


【先般、田舎の父が上京してきましてね。数年置きにやって来るんですが、今回は私の再婚後初、でして】
「再婚——それはそれは(オメデトウございます)」(何故か小声)

 カッコは不要ですよね。お祝いは声を大にするべきでした。

【年寄りなもので、朝一の新幹線で上野まで。半ば寝惚けながら私と妻は上野に迎えに行きました】

 年老いた父御(ててご)の脚力を考慮して、ご一行はタクシーに乗り、浅草は雷門通りへ。
 
【すしや通りを脇に少し入ったところに、目を付けていた蕎麦屋があるんです。そこへ向かったら――】

 開店まで間があったので、厳格に入店を拒否されたそうです。

【仕方なく、時間潰しに雷門通りの洋食屋さんへ入りました。十時を過ぎたあたりでしたが、構わずジョッキを一杯。呑兵衛なんですよ、親父】
「朝から……」
【朝からがいいんです! 格別ですよ、朝早くから飲むビールは。実に健康的で】

 思い出しているのか、目元に皺を寄せたお顔が綻びます。

【いい心持ちになって……ふと親父が、『(横にいるの、元関取の×××だな)』って囁いたんです】
「×××……?」
【元・三●ケ●親方です。レコードも沢山出していて、結構売れたらしいです】
「歌手もやってらした?」
【ええ。『そんな夕子に●れました』とか……】

 現役時にヒットを飛ばしたそうです。

【ガタイもよくて、チラチラ窺うと確かに×××さんなんですよ。まさかの隣のテーブルで、ラッキーて感じでした。親父も嬉しそうで……。いきなり親孝行かよおいおいって。そんな風で、少し……いやかなり、気が緩んでいたのかも……】

 男性が身を竦め、ガックリと項垂れました。
 次いで深く深く(おこり)を吐き出し――。

【……つまみに頼んだ唐揚げが運ばれてきたので、妻に声を掛けたんです。「レモン搾ってくれる? ゆうこ」って……】
「? それが。なにか」

 男性は――ひと息吸い込むと硬直し――傍から見れば、ちょっと滑稽なお顔に。

【その場が凍り付き……いえ、私と妻の間だけ、北風小僧のカンタロウが通り抜け――】
「それは寒そうですね(Tシャツでコンビニ、よりも)」
【妻の名前は「じゅんこ」なんです】
「ほほう。……では、『ゆうこ』とは?」

 再婚前に交際していた女性の名、だそうで。


【勘の働いた妻から、デンプシーロールのように雨あられの追求を受けました……「ゆうこ? 浮気相手の名か? あああんっ?!」と】
「ご説明申し上げたわけで?」
【最初から正直に言えば良かったんですよね……】

 奥様とのご結婚前(大分以前の話だそうです)なので、疚しい所はないハズなのに。
 男性はひどく動揺したのか、

【ゆ、ゆうこじゃなくて「龍虎」だよ、ほら、元関取の! 料●天国出て「おいっしいですね」って言ってた……とか、いらん言い訳を】※2
「苦しい。いや見苦しいですね。ややウケです」
【親父の前で散々(なじ)られ……恥ずかしいやら情けないやらで。必死に説明して謝って……親父の前というのが却ってよかったのか、なんとか矛を収めてもらいました】
「それはよござんした」
【黙って様子を眺めていた親父は、落ち着いたところで大爆笑でしたよ】

 ライブでその光景を見ているかのよう、男性はよれよれのハンカチを取り出し、しきりに顔から首筋から(ぬぐ)います。
 ()いても拭いても、後から後から汗が滲みます。
 十月も半ばというのに……。
 ちよと気の毒。

【……裕子とは一番長くて三年……優子とは僅か二か月で終わりました。局のプロデューサーに寝取られて……結子は若手歌舞伎役者の元へ走り……由子は、日本語の歌詞を英語みたいに歌うミュージシャンの男に……ゆう】
「ま?! 待て待て待てコンチキショーめぃ! 一人じゃないの? 交際した人、全部「ユウコ」かよっ?!」

 合計六人、全て名前は「ユウコ」さんだそうで。
 こんな事ってあるのでしょうか。どんだけだよおっさん……。

 ……男性は石になってらっしゃいます。


 気の毒……なんて――撤回です、断固撤回いたします!
 やめだやめだっ! みんな負け(?)だあっっっ!

「……ゴ、ゴッド……」

 締めのセリフは、喉につっかえて表に出てはきませんでしたよ、お母さま……。

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※1 容疑者の写真や絵を頼りに、街を歩きながら探し出す操作手法。熟練の技が必須。
※2 元・放駒親方。不屈の関取。TV番組「料理天国」では試食役をされてました
『ナイフ遣いが達者だなー』と、ウチの親父が感嘆しておりました(注:凄腕の殺し屋という意味ではありません)