夏休み最後の日なのだそうですよ、お母さま。
私にとって、(もの心ついてから)生涯で初めて無関係な日になりました。昨年の今頃は、まだ「当事者」でしたから。
もう、夏休みも冬休みも、春休みすら私にはやってきません。またどこかの学校に入らない限りは。
そう思ったら、急にむなしくなりました。もう戻れないのですよね、あの頃には。
別に学校に通うのが好きだったわけでもないのに。
なにかしら、特権を失した気分なのであります。
ふと、学生でもなく、かといって大人ともいえない自分の半端な境遇を鑑みるに、少し情けなく、ありもしない幻の「自信」まで砕けていくような寂しい心持ちになります……。
――よい加減で落ち込んでまいりましたよ! お母さま。
☆☆☆
本日は開店から来客もないまま、いたずらに時間が過ぎていきます。
私は抜け殻と化し、ガリ●リくんのソーダ味をべろべろ舐めております。
——夜五つ(午後八時)を過ぎた頃、カランと表で音がしました。
どうやら生贄がやってきたようでございます。ヒヒッ。
モニタに登場したお客さんは、若い女性です。
ウエーブのかかったボンバヘッ……というほどでもないボサボサの髪は、肩より少し長いでしょうか。
よれよれのロングTシャツに、ダボダボのジーンズ。
近所のコンビニでも訪れたかのような装い。
ポケットに両手を突っ込み、虚ろな目だけでぼんやり店内を見回しています。
☆☆☆
【……こんばんは】
「こんばんは。ようこそ『ツイてない御苑』へ」
彼女が押したのは、「毎日シュ●ゾー・夏休みバージョン」というボタンでした。
この暑い時分に「彼」ですか。
私のキャラでは、かなり再現性が低くなるでしょう。
この時点で、ほぼこのミッションを投げ出しております。
【近所の大学生です。姉が結婚して近くに住んでるんですが、この間、甥っ子を連れて上野の動物園に行ってきまして】
「面倒見ろよっ!(恥ずか死ぬ。やっぱ無理無理、シュ●ゾー無理だって)」
【??……夏休みの宿題で「動物の絵」を提出しなきゃとかで、仕方なく……報酬を先に渡されてしまったので、ほんと、しぶしぶです。甥っ子は嫌いじゃないんですけど】
「左様ですか」
彼女はふと視線を落とし、眉を八の字にして難しい顔になりました。
苦いコーヒーでも飲み干したような、あるいは何かしらの理不尽に憤っているような……。
【……あたし、動物園が嫌い――というか、苦手なんです】
「それは……『ツイ』てないですね……」
私は暑苦しい「彼」の姿を脳裏に浮かべ――たものの、やはりテンションの上がらないまま言葉を送り出しました。
彼女の耳には、聞いた事もないような「ショボーンとしたシ●ーゾー」の声が届いていることでしょう。誠に申し訳ないことでございます。
【昔、動物園で観た猛獣たちが――狭い部屋の中を、円を描くようにぐるぐる歩き回っていたんです、延々と。ずっと同じスピードで止まることがないんですよ……あの子たちの虚ろで暗い目を見ていたら、なんだか恐くなって、吐き気が……】
「狭い部屋に閉じ込められているストレスというものなのでしょうか」
【どうなんでしょう、実際の事情はわからないけど……それ以来だったんですよね、動物園……】
彼女は、受話器を肩と首で挟んだまま、両腕で自身の体をきゅっと抱き締めました。
ぼやけた瞳で、ひとつブルッと身震いしてみせます。
【あまり周囲に目を向けないようにして、視線を散らしながら騙しだまし、甥っ子を連れて回りました……しんどい道行きでした】
「……ご苦労がしのばれます」
相変わらず、私に同調したシ●ーゾーはテンションが低いままです。
「絵は描けたのですか」
【何枚か書いてましたね。贔屓目抜きで、割と上手だったと思います。本人、あまり納得いかない風でしたけど】
「画伯ぽいですね」
【……最後に「夜の世界」っていう建物に入りました。薄暗い館内でなんとなくほっとして……あろうことか目の前にあったケースに、つい目がいっちゃったんです。それまで必死にミッションこなしていたのに……】
「――なにか、あったのですか?」
珍しく先が気になります。何故かドキ胸。
【小さいジャングルみたいなところでした。元々薄暗いので、よく目を凝らさないと動物をロックオン出来ない感じなんですけど……ふと視線を下げたら、いたんです……ちっっさいのが】
「な、なにがいたんだコンチクショー!」
情けなくも素で叫んでしまいました。息が荒くなります。怪談でも聴いている心持ちですよ。
シュ●ゾーなんてとっくにどっか行っちゃいました。
【(???)……つぶらな瞳で、その子はあたしの顔を正面からじっと見詰めていました。ぱっと見、大きめのねずみのような……あたし、なんでか息が詰まっちゃって、ドキドキしながら視線を落としました】
「ねずみのような……」
彼女は片手を胸にあて、ひとつ大きく深呼吸いたしました。
【視線がその子の足元に。そしたら……】
「そ、そしたら……?」
【小さな可愛らしい……】
「か? 可愛らしい……?(ごくり)」
【「蹄」があったんです! その子の足にっっ!!】
「ギャーーーッッッ!! ……ひ、ひづめぇ?」
【……それ見たら、急に涙がポロポロ零れてきて……】
「……ねずみに『蹄』?」
【その子、「手の平サイズ」の――「シカ」だったんです。『ジャワマメジカ』というそうです】
モニタの彼女がはらはらと涙を流し始めました。
……その時の彼女は、なにか「見てはいけないものを見てしまった」ような、そんな気持ちになったのだそうです。
【——ハンカチで顔を拭いながら慌てて甥っ子を手招きして、「ねえ、シカだって! こんな小さいのに、『ちゃんとシカ』なんだよっ?! 描いて描いて!」って呷っちゃいました】
【甥っ子もマメジカを見たら、眼鏡の奥の目を輝かせて、「スゴイ! スゴイ!」って興奮しながら一所懸命描いてました】
「よかったですね」
【ええ……夢中の甥っ子の姿にあたしも顔が綻んじゃって……そうしたら隣で、若いサラリーマン風の男性がケースに手を掛けて、やっぱり食い入るようにマメジカを凝視していたんです。その男性も、ほどなくポロポロ涙を零しはじめて……あたし、じっとその顔を見つめてしまいました……彼も気が付いてこちらに顔を向けて……】
――ん? この流れは、もしかして――
【……恥ずかしそうに、笑ったんです……】
彼女――いつのまにか両手で挟むように顔を――脳内はどっかへトリップしているようです。
またこの流れか……。
かくなる上は——仕様がありません。戻って来る前に済ませちゃいましょうか。
「……ゴッド・ブレス・ユー」
……いらんのじゃないですかね? 加護……なにやら幸せそうですし……。
☆☆☆
……私を動物園に連れて行ってくださる、奇特な人物が現れないものでしょうか。身内以外で。
マメジカ——私にとって「奇跡」となり得るかはわかりませんが……お会いしたくなっちゃいました。お母さまもご一緒にどうです?
私にとって、(もの心ついてから)生涯で初めて無関係な日になりました。昨年の今頃は、まだ「当事者」でしたから。
もう、夏休みも冬休みも、春休みすら私にはやってきません。またどこかの学校に入らない限りは。
そう思ったら、急にむなしくなりました。もう戻れないのですよね、あの頃には。
別に学校に通うのが好きだったわけでもないのに。
なにかしら、特権を失した気分なのであります。
ふと、学生でもなく、かといって大人ともいえない自分の半端な境遇を鑑みるに、少し情けなく、ありもしない幻の「自信」まで砕けていくような寂しい心持ちになります……。
――よい加減で落ち込んでまいりましたよ! お母さま。
☆☆☆
本日は開店から来客もないまま、いたずらに時間が過ぎていきます。
私は抜け殻と化し、ガリ●リくんのソーダ味をべろべろ舐めております。
——夜五つ(午後八時)を過ぎた頃、カランと表で音がしました。
どうやら生贄がやってきたようでございます。ヒヒッ。
モニタに登場したお客さんは、若い女性です。
ウエーブのかかったボンバヘッ……というほどでもないボサボサの髪は、肩より少し長いでしょうか。
よれよれのロングTシャツに、ダボダボのジーンズ。
近所のコンビニでも訪れたかのような装い。
ポケットに両手を突っ込み、虚ろな目だけでぼんやり店内を見回しています。
☆☆☆
【……こんばんは】
「こんばんは。ようこそ『ツイてない御苑』へ」
彼女が押したのは、「毎日シュ●ゾー・夏休みバージョン」というボタンでした。
この暑い時分に「彼」ですか。
私のキャラでは、かなり再現性が低くなるでしょう。
この時点で、ほぼこのミッションを投げ出しております。
【近所の大学生です。姉が結婚して近くに住んでるんですが、この間、甥っ子を連れて上野の動物園に行ってきまして】
「面倒見ろよっ!(恥ずか死ぬ。やっぱ無理無理、シュ●ゾー無理だって)」
【??……夏休みの宿題で「動物の絵」を提出しなきゃとかで、仕方なく……報酬を先に渡されてしまったので、ほんと、しぶしぶです。甥っ子は嫌いじゃないんですけど】
「左様ですか」
彼女はふと視線を落とし、眉を八の字にして難しい顔になりました。
苦いコーヒーでも飲み干したような、あるいは何かしらの理不尽に憤っているような……。
【……あたし、動物園が嫌い――というか、苦手なんです】
「それは……『ツイ』てないですね……」
私は暑苦しい「彼」の姿を脳裏に浮かべ――たものの、やはりテンションの上がらないまま言葉を送り出しました。
彼女の耳には、聞いた事もないような「ショボーンとしたシ●ーゾー」の声が届いていることでしょう。誠に申し訳ないことでございます。
【昔、動物園で観た猛獣たちが――狭い部屋の中を、円を描くようにぐるぐる歩き回っていたんです、延々と。ずっと同じスピードで止まることがないんですよ……あの子たちの虚ろで暗い目を見ていたら、なんだか恐くなって、吐き気が……】
「狭い部屋に閉じ込められているストレスというものなのでしょうか」
【どうなんでしょう、実際の事情はわからないけど……それ以来だったんですよね、動物園……】
彼女は、受話器を肩と首で挟んだまま、両腕で自身の体をきゅっと抱き締めました。
ぼやけた瞳で、ひとつブルッと身震いしてみせます。
【あまり周囲に目を向けないようにして、視線を散らしながら騙しだまし、甥っ子を連れて回りました……しんどい道行きでした】
「……ご苦労がしのばれます」
相変わらず、私に同調したシ●ーゾーはテンションが低いままです。
「絵は描けたのですか」
【何枚か書いてましたね。贔屓目抜きで、割と上手だったと思います。本人、あまり納得いかない風でしたけど】
「画伯ぽいですね」
【……最後に「夜の世界」っていう建物に入りました。薄暗い館内でなんとなくほっとして……あろうことか目の前にあったケースに、つい目がいっちゃったんです。それまで必死にミッションこなしていたのに……】
「――なにか、あったのですか?」
珍しく先が気になります。何故かドキ胸。
【小さいジャングルみたいなところでした。元々薄暗いので、よく目を凝らさないと動物をロックオン出来ない感じなんですけど……ふと視線を下げたら、いたんです……ちっっさいのが】
「な、なにがいたんだコンチクショー!」
情けなくも素で叫んでしまいました。息が荒くなります。怪談でも聴いている心持ちですよ。
シュ●ゾーなんてとっくにどっか行っちゃいました。
【(???)……つぶらな瞳で、その子はあたしの顔を正面からじっと見詰めていました。ぱっと見、大きめのねずみのような……あたし、なんでか息が詰まっちゃって、ドキドキしながら視線を落としました】
「ねずみのような……」
彼女は片手を胸にあて、ひとつ大きく深呼吸いたしました。
【視線がその子の足元に。そしたら……】
「そ、そしたら……?」
【小さな可愛らしい……】
「か? 可愛らしい……?(ごくり)」
【「蹄」があったんです! その子の足にっっ!!】
「ギャーーーッッッ!! ……ひ、ひづめぇ?」
【……それ見たら、急に涙がポロポロ零れてきて……】
「……ねずみに『蹄』?」
【その子、「手の平サイズ」の――「シカ」だったんです。『ジャワマメジカ』というそうです】
モニタの彼女がはらはらと涙を流し始めました。
……その時の彼女は、なにか「見てはいけないものを見てしまった」ような、そんな気持ちになったのだそうです。
【——ハンカチで顔を拭いながら慌てて甥っ子を手招きして、「ねえ、シカだって! こんな小さいのに、『ちゃんとシカ』なんだよっ?! 描いて描いて!」って呷っちゃいました】
【甥っ子もマメジカを見たら、眼鏡の奥の目を輝かせて、「スゴイ! スゴイ!」って興奮しながら一所懸命描いてました】
「よかったですね」
【ええ……夢中の甥っ子の姿にあたしも顔が綻んじゃって……そうしたら隣で、若いサラリーマン風の男性がケースに手を掛けて、やっぱり食い入るようにマメジカを凝視していたんです。その男性も、ほどなくポロポロ涙を零しはじめて……あたし、じっとその顔を見つめてしまいました……彼も気が付いてこちらに顔を向けて……】
――ん? この流れは、もしかして――
【……恥ずかしそうに、笑ったんです……】
彼女――いつのまにか両手で挟むように顔を――脳内はどっかへトリップしているようです。
またこの流れか……。
かくなる上は——仕様がありません。戻って来る前に済ませちゃいましょうか。
「……ゴッド・ブレス・ユー」
……いらんのじゃないですかね? 加護……なにやら幸せそうですし……。
☆☆☆
……私を動物園に連れて行ってくださる、奇特な人物が現れないものでしょうか。身内以外で。
マメジカ——私にとって「奇跡」となり得るかはわかりませんが……お会いしたくなっちゃいました。お母さまもご一緒にどうです?