待ちわびた報告が、やっと上がってきた。
A 近所のおじさん
『あの娘を見初めた? あんたの主が? 何処の人? 池之端? ふうん……。あ、そうそう! 多分彼女、「動物ぎらい」だぜ? あっこの寺、生き物を飼うのは御法度なんだと』
B 煙草屋のおばさん
『あんた誰? 主の部下? ご苦労なこった。あの娘、将来は社長夫人かい。そっちで同居? だろうね……。あの娘いつも夕方出勤で、行き掛けにココ寄って――あ、煙草は吸わない。匂いが苦手なんだと――店番の婆ちゃんに……えーと、そうそう! 悪態ついてくよ。まあ口は悪いやね。容姿は……近頃垢抜けたねぇ。背もスラっと高いし、婆ちゃんもよく、ヅカの……いやいや、人間中身だろ? 考え直した方がいいんでないかい?』
C 名誉会長(八幡宮にて)
『ええ、彼女とはこの神社でよく会いますな。高校の頃から、学校帰りによく寄っていましたよ。ほう、貴殿の主が。惚れっぽい? ははは、左様ですか。ふーむ。……まあ、いつも下を向いて、独り言を呪文のように呟いてましたな。そうそう! 常々「ぼっち」だと卑下していました。お友達と訪れたこと? どう……でしたかな。歳なもので記憶が……。もうよろしいので? いえいえ、お役に立てず……』
☆☆☆
朝陽の差し込む三階の部屋で、私は何度も報告を反芻している。
車が玄関先に着いたようだ。
バルコニーに出て視線を落とすと、低血圧の若がよろよろ後部座席に乗り込むところだった。
★★★
若は近々、社長の後を襲うことになる。
私は従僕の身だが、若とは兄弟も同然に育った。
少々女たらしの彼は、また懲りずに誰かを見初めたらしい。
私は独自に、相手の身上調査に乗り出した。
いつだって彼の良縁を願ってやまないのだ。
今回のお相手は、浅草にも程近い、とある寺のお嬢さん。
人とナリに興味が尽きない。
☆☆☆
……動物ぎらい? ふむ。
評判を探るべく部下を動かしたが、この結果に些か釈然としないものがある。
煙草が苦手なのに煙草屋に毎日寄る?
偶然にもお三方が口にした、「そうそう!」以下が酷いな。
……何か違和感を拭えない。
私は慎重に、また報告を反芻し始めた。
——気が付けば、窓の外は薄暮。
「晩ご飯! 晩ご飯!」
部下の黄色い声が聞こえる。
☆☆☆
唐突に、調査は不要となった。
若のターゲットが変わったのだ。
子会社の新人受付嬢に一目惚れ……。
私は脱力し、深い溜息を漏らした。
ふと。
この機会に、「あの」違和感の正体を確かめてみたくなった。
☆☆☆
翌朝――若の出社を見届けた私は、バルコニーから白く光る外界へ繰り出した。
最初は、A――近所のおじさん。
朝飯後らしく、小屋の前で寛いでいた。
「卒爾ながら」
「ん? あんた、あン時の――いや、色が違うか」
おじさん――壮年と思しき柴犬は、私の真っ白い体を眩しそうに見やった。
部下の優秀さを実感した。
彼の話し方は、部下の口真似どおりだったのだ。
「真実を知りたいのです」
例の件がご破算になった事を告げると、彼はバツが悪そうに――居住まいを正して語り出した。
かの寺が生き物を飼えないのは本当らしい。
彼女自身はナンと猫派(!)
だが、
「偶に仕事終わりウチに寄って、俺っちを散歩に連れて行ってくれるんだ」
尻尾がブンブン振れている。
彼の飼い主は足が悪く、時折彼女が代わって連れ出すそうだ。
「あんたンとこ嫁いだら、もう散歩してもらえないだろ? 動物ぎらいって言っときゃさ――」
私の顔をちろと窺い、ペロッと舌を出してみせた。
「ありがとうおじさん。得心がいきました。どうか堅固で」
Bの煙草屋。
「婆ちゃんヅカの男役が大好きでさ、それ風なあの娘が来るの楽しみに夕方店番してんの。毎日、婆ちゃんの……唯一の話し相手になってくれてるんだ。あの娘が嫁いじまったら婆ちゃんボケちゃうよぅ。あたしじゃ相手出来ないし……ごめんね、嘘ついて」
誰もいない煙草屋の窓口で、薄暗い隅っこに蹲っていた三毛猫が、困り眉で話してくれた。
礼を言うと、おばちゃん安堵のため息をひとつ。
また陽を避けるように、棚の陰で丸くなったのだった。
猫が闊歩する薄暗い神社へ降り立った私は、ひと際大柄な黒猫を見つけた。
オグラ名誉会長その人。
「お忙しい中恐縮です。ウンコと申します。××インコです。主の従僕であります」
「インコのウンコさん。ほほう」
詳細をご説明申し上げると、
「なるほど。インコてぇのは、頭が切れるねぃ」
会長はくっくっと小さく笑い、愉し気に語り出した。
「ここの猫は皆、彼女とは顔見知りだ。世話になっている。惚れっぽいという相手方の身の上を聞いて、彼女の未来を危惧してしまってね、つい貶めるような偽りを……誠に申し訳ない」
会長はぺこり頭を下げ、
「私を名誉会長と呼び始めたのは彼女なんだ。実はとても……気に入っているんだよ」
にゃはは! と童のように微笑んでみせたのだ。
愛され乙女——。
どうして若はこうも見る目が無いものか。
私は両手(羽)で頭を抱えた。
☆☆☆
会長に謝辞を残し、私はとある雑居ビルを目指した。
彼女の出勤時間は、煙草屋のおばちゃんから聞いている。
どうやら間に合った。
丁度、出勤してきた彼女が裏口へ回ったところだ。
私はスッと郵便ポストに着地する。ピタリ決まった。10.00。
彼女は私を見て棒立ちになった。
日も暮れかけたが、相手の顔が見えないほどでもない。
胸前に丘がある……。
実に惜しい。良縁と巨乳はきってもきれない間柄だ(※ウンコの個人的な見解)。
私は惜別(?)の思いも込めて、ひと声鳴いた。
『リョーエン! リョーエン!』
少し驚いた顔で、彼女が呟いた。
「りょーえん……? あ、オウム?」
『ウンコ! ウンコ!』
「え? ウン……なんで?」
人間相手はじれったいものだ。
『インコ! ウンコハインコ!』
「ああ、インコさんでしたか。えーと……なんぞ、ツイてないことでもございましたか?」
彼女は変わらず無表情に近い。化粧っ気もない。
だが、なるほどの美形……つくづく惜しい。
諦めるには勿体ないオ●パイ——ゲフン、乙女ではないか……。
長身の彼女が膝を折り、
「私、これからお仕事なんです。ごめんね」
囁くと、裏口のドアノブに手を掛けた。
仕様もない。縁がなかったと諦めるよりないのだ。
『リョーエン! リョーエン!』
私は叫ぶと、諦念を振り切るよう羽ばたいた。
上空から見下ろすと、彼女はあの姿勢のまま、顔を上げてしばらく私の姿を目で追っていた。
西の空から真っ赤な夕陽が私をあおり、私は火の鳥のような姿で池之端の邸宅へと帰って行ったのだ……。
◇◇◇
……くぱあ……と瞼が勝手に開きました。
中々、ファンタジーな夢でしたね。安定の夢オチ。
まさかウンコが――じゃない、インコが私の身上調査を……。
随分な愛され乙女……殆ど嘘八百。
犬の散歩なんてしたことない……。
煙草屋の婆ちゃんて誰?
いやしかし。
オグラ名誉会長、ご壮健でなによりに存じます。
良縁と巨乳はきってもきれない間柄か……メモメモ。
……爽太くんには内緒にしておきましょうか。
液晶テレビが、誰それの婚約会見を流しております。
……知らない顔。誰だろ?
幸せそうなお二人の姿をぼーっと眺めているうち、あのインコ――もといウンコ。じゃなくて、あれ? どっち? ……の声が、耳の奥から届きました。
「りょーえん! りょーえん!」
真似て口にすると――なんとなく私も、幸せな心持ちがしたのでございます。
A 近所のおじさん
『あの娘を見初めた? あんたの主が? 何処の人? 池之端? ふうん……。あ、そうそう! 多分彼女、「動物ぎらい」だぜ? あっこの寺、生き物を飼うのは御法度なんだと』
B 煙草屋のおばさん
『あんた誰? 主の部下? ご苦労なこった。あの娘、将来は社長夫人かい。そっちで同居? だろうね……。あの娘いつも夕方出勤で、行き掛けにココ寄って――あ、煙草は吸わない。匂いが苦手なんだと――店番の婆ちゃんに……えーと、そうそう! 悪態ついてくよ。まあ口は悪いやね。容姿は……近頃垢抜けたねぇ。背もスラっと高いし、婆ちゃんもよく、ヅカの……いやいや、人間中身だろ? 考え直した方がいいんでないかい?』
C 名誉会長(八幡宮にて)
『ええ、彼女とはこの神社でよく会いますな。高校の頃から、学校帰りによく寄っていましたよ。ほう、貴殿の主が。惚れっぽい? ははは、左様ですか。ふーむ。……まあ、いつも下を向いて、独り言を呪文のように呟いてましたな。そうそう! 常々「ぼっち」だと卑下していました。お友達と訪れたこと? どう……でしたかな。歳なもので記憶が……。もうよろしいので? いえいえ、お役に立てず……』
☆☆☆
朝陽の差し込む三階の部屋で、私は何度も報告を反芻している。
車が玄関先に着いたようだ。
バルコニーに出て視線を落とすと、低血圧の若がよろよろ後部座席に乗り込むところだった。
★★★
若は近々、社長の後を襲うことになる。
私は従僕の身だが、若とは兄弟も同然に育った。
少々女たらしの彼は、また懲りずに誰かを見初めたらしい。
私は独自に、相手の身上調査に乗り出した。
いつだって彼の良縁を願ってやまないのだ。
今回のお相手は、浅草にも程近い、とある寺のお嬢さん。
人とナリに興味が尽きない。
☆☆☆
……動物ぎらい? ふむ。
評判を探るべく部下を動かしたが、この結果に些か釈然としないものがある。
煙草が苦手なのに煙草屋に毎日寄る?
偶然にもお三方が口にした、「そうそう!」以下が酷いな。
……何か違和感を拭えない。
私は慎重に、また報告を反芻し始めた。
——気が付けば、窓の外は薄暮。
「晩ご飯! 晩ご飯!」
部下の黄色い声が聞こえる。
☆☆☆
唐突に、調査は不要となった。
若のターゲットが変わったのだ。
子会社の新人受付嬢に一目惚れ……。
私は脱力し、深い溜息を漏らした。
ふと。
この機会に、「あの」違和感の正体を確かめてみたくなった。
☆☆☆
翌朝――若の出社を見届けた私は、バルコニーから白く光る外界へ繰り出した。
最初は、A――近所のおじさん。
朝飯後らしく、小屋の前で寛いでいた。
「卒爾ながら」
「ん? あんた、あン時の――いや、色が違うか」
おじさん――壮年と思しき柴犬は、私の真っ白い体を眩しそうに見やった。
部下の優秀さを実感した。
彼の話し方は、部下の口真似どおりだったのだ。
「真実を知りたいのです」
例の件がご破算になった事を告げると、彼はバツが悪そうに――居住まいを正して語り出した。
かの寺が生き物を飼えないのは本当らしい。
彼女自身はナンと猫派(!)
だが、
「偶に仕事終わりウチに寄って、俺っちを散歩に連れて行ってくれるんだ」
尻尾がブンブン振れている。
彼の飼い主は足が悪く、時折彼女が代わって連れ出すそうだ。
「あんたンとこ嫁いだら、もう散歩してもらえないだろ? 動物ぎらいって言っときゃさ――」
私の顔をちろと窺い、ペロッと舌を出してみせた。
「ありがとうおじさん。得心がいきました。どうか堅固で」
Bの煙草屋。
「婆ちゃんヅカの男役が大好きでさ、それ風なあの娘が来るの楽しみに夕方店番してんの。毎日、婆ちゃんの……唯一の話し相手になってくれてるんだ。あの娘が嫁いじまったら婆ちゃんボケちゃうよぅ。あたしじゃ相手出来ないし……ごめんね、嘘ついて」
誰もいない煙草屋の窓口で、薄暗い隅っこに蹲っていた三毛猫が、困り眉で話してくれた。
礼を言うと、おばちゃん安堵のため息をひとつ。
また陽を避けるように、棚の陰で丸くなったのだった。
猫が闊歩する薄暗い神社へ降り立った私は、ひと際大柄な黒猫を見つけた。
オグラ名誉会長その人。
「お忙しい中恐縮です。ウンコと申します。××インコです。主の従僕であります」
「インコのウンコさん。ほほう」
詳細をご説明申し上げると、
「なるほど。インコてぇのは、頭が切れるねぃ」
会長はくっくっと小さく笑い、愉し気に語り出した。
「ここの猫は皆、彼女とは顔見知りだ。世話になっている。惚れっぽいという相手方の身の上を聞いて、彼女の未来を危惧してしまってね、つい貶めるような偽りを……誠に申し訳ない」
会長はぺこり頭を下げ、
「私を名誉会長と呼び始めたのは彼女なんだ。実はとても……気に入っているんだよ」
にゃはは! と童のように微笑んでみせたのだ。
愛され乙女——。
どうして若はこうも見る目が無いものか。
私は両手(羽)で頭を抱えた。
☆☆☆
会長に謝辞を残し、私はとある雑居ビルを目指した。
彼女の出勤時間は、煙草屋のおばちゃんから聞いている。
どうやら間に合った。
丁度、出勤してきた彼女が裏口へ回ったところだ。
私はスッと郵便ポストに着地する。ピタリ決まった。10.00。
彼女は私を見て棒立ちになった。
日も暮れかけたが、相手の顔が見えないほどでもない。
胸前に丘がある……。
実に惜しい。良縁と巨乳はきってもきれない間柄だ(※ウンコの個人的な見解)。
私は惜別(?)の思いも込めて、ひと声鳴いた。
『リョーエン! リョーエン!』
少し驚いた顔で、彼女が呟いた。
「りょーえん……? あ、オウム?」
『ウンコ! ウンコ!』
「え? ウン……なんで?」
人間相手はじれったいものだ。
『インコ! ウンコハインコ!』
「ああ、インコさんでしたか。えーと……なんぞ、ツイてないことでもございましたか?」
彼女は変わらず無表情に近い。化粧っ気もない。
だが、なるほどの美形……つくづく惜しい。
諦めるには勿体ないオ●パイ——ゲフン、乙女ではないか……。
長身の彼女が膝を折り、
「私、これからお仕事なんです。ごめんね」
囁くと、裏口のドアノブに手を掛けた。
仕様もない。縁がなかったと諦めるよりないのだ。
『リョーエン! リョーエン!』
私は叫ぶと、諦念を振り切るよう羽ばたいた。
上空から見下ろすと、彼女はあの姿勢のまま、顔を上げてしばらく私の姿を目で追っていた。
西の空から真っ赤な夕陽が私をあおり、私は火の鳥のような姿で池之端の邸宅へと帰って行ったのだ……。
◇◇◇
……くぱあ……と瞼が勝手に開きました。
中々、ファンタジーな夢でしたね。安定の夢オチ。
まさかウンコが――じゃない、インコが私の身上調査を……。
随分な愛され乙女……殆ど嘘八百。
犬の散歩なんてしたことない……。
煙草屋の婆ちゃんて誰?
いやしかし。
オグラ名誉会長、ご壮健でなによりに存じます。
良縁と巨乳はきってもきれない間柄か……メモメモ。
……爽太くんには内緒にしておきましょうか。
液晶テレビが、誰それの婚約会見を流しております。
……知らない顔。誰だろ?
幸せそうなお二人の姿をぼーっと眺めているうち、あのインコ――もといウンコ。じゃなくて、あれ? どっち? ……の声が、耳の奥から届きました。
「りょーえん! りょーえん!」
真似て口にすると――なんとなく私も、幸せな心持ちがしたのでございます。