☆本話の作業用BGMは、『ナイト・バーズ』(シャカタク)でした。
延々繰り返していても飽きません。
締めは『別れの黄昏』(研ナオコ)。
なんと、あの甲斐御大の作であります。某ドラマのオープニングでした。家族で観ていた微かな記憶があります。珍しく、幸せな記憶。
ーーーーー
台風一過の金曜夕方。
暮れ六つ(夜六時)を過ぎた頃来店したお客さんは、年齢不詳の男性でした。
お弁当らしきビニール袋をぶら提げております。
中途半端に長いぼさぼさの頭髪、よれよれのスウェットに黄色いTシャツ。
Tシャツの胸には、平仮名で「にゅーよーく」の文字。どこかの漫画で目にしたような……。
年季の入った健康サンダルを履き、若干草臥れた感のある足取りで椅子にゆっくりと腰を下ろしました。
座るや否やTシャツのポケットにスッと右手を当てますが、壁に目をやると無表情で手を下ろします。
虚ろな視線を落とすと、説明書きとボタン群を彷徨います。
マジックミラーに映るのは、うっすらと髭剃り跡の残る真っ白なお顔。
意思の感じられない顔で暫く眺めたのち、『話し~たぁくなあーい~(byおざき)』というボタンをそっと押下しました。
ああ、「ゆたか」じゃない方ですね。というか、こちらの方が元祖では?
揉み上げがたくましい、かっけーおじさま。
で、話したくもないのにご来店ですか。ほ~う。
無意識なのか、再び右手で胸ポケットを掴むと、思い出したように手を下ろしました。
習慣になっているのですかね、二十代前半ということはなさそうです。
ライターが重いのか、胸ポケットが一瞬「わなないた」気がいたしました。
☆☆☆
【えと……こんちは】
「ツイてない御苑へようこそ」
【本当にそんな名前なんすね。看板見てちょっと笑っちゃった】
「どなたかのご紹介でしょうか?」
【あ、同僚が「厄を落としてこい」って……】
「左様で。ああ、ここで悪運を消し去ることは出来ませんよ? 多分」
【別にいいんす。ツイてないとは思ってないすから】
またもや胸ポケットに手を当てます。
「申し訳ございません。一応、ここ禁煙なので」
【ごめんなさい。我慢します。……この声誰すか?】
「ご存知ないのに押されたのですか? 「また●う日まで」という名曲をお唄いになった「尾崎●世彦さんという――」
【どんな歌です?】
え、どんな……って。イヤんバカん♥
…………歌わないと駄目かな?
うーん……。
少し気合いを入れ、
「~ふったりでードア●閉ーめーてぇぇぇ⤴」
【びっくりした! ……聞いたことないなぁ】
「…………」
ぐぬ。無駄に恥ずかしい。何故か右手の平をじっと見詰めてみたり。
仕様がありません、これも仕事……ですよね、お母さま。
いや、タブレットで聞かせればよかったのでは?
「……というワケで(何が、というワケなのか)、本日は如何されました?」
彼は何の躊躇いもなく、
【所謂、「左遷」させられちゃって……にゃはは】
何故か白い顔を薄桃色に染め、はにかんでみせたものです。
☆☆☆
「左遷?」
返したタイミングで、豆腐屋さんのチャルメラが「プゥ~ワァ~」と遠間から聞こえました。
【らしいっすね】
他人事のように漏らすと、人差し指でくいっと鼻を穿ります。
「小指でやった方が良いですよ。穴がおっきくなっちゃいますから」
【そうすか? まあ、もう手遅れだと思うけど】
「目の前のティッシュをお使いください。柔らかいやつです」
【あじゃっす】
★★★
彼の勤務先に、税務調査が入る事になったそうです。
法人としては有限会社で、社長の奥様も役員として登記しているとのこと。
【でも、一度も出社したことないんだよね】
実体の無い役員としてはマズイとのことで(役員報酬は支払われている)、念の為、調査前日から終了まで、奥様も出社することに。
【俺、奥さんには一回しか会ったことなくて】
社長からは、
「カミさんが出て来るけど、間違っても『初めまして!』とか言わないようにな!」
社員に向けて警告があったそうです(※実話)。
――調査当日。
税務署員と社長およびお抱え税理士が激しく議論を交わしているその場へ、外回りから戻った彼は奥様の姿を目にした途端、
「あ、奥さんご無沙汰でっす! 五年ぶりくらいですかね?」
明るく言い放ったのです。警告も忘れ……。
☆☆☆
【……一葉の写真みたいだったなあ。きっれーに皆さん固まっちゃって。俺、一生忘れないかもしんない】
「それで、どうなりました?」
【週明け早々、社長に「来週から×××(都合により場所は伏せます)の工場勤務な」って言われた】
「え?」
【税務調査はひと悶着あったみたい。毎年赤字決算で申告してるような会社だしね。まあ、俺のひと言が元で大炎上したらしいす。同僚から後で聞かされた。やー、何気ないひと言ってこあいよねー】
「そんな……たったひと言が……パワハラ?」
こんなこと……現実にあることなんですか? 俄には信じられません。
【一応、人手がどうのって説明はされたんすよ。社員は二人だけらしくて。工場長と経理部長。俺は「福工場長」なんだって】
「おめでたい風に仰ってますが、『副』ですよ?」
【あ、そうなの? あはっ】
ケラケラ笑う彼に当惑する私。
いつの間にか缶コーヒーを取り出し、美味しそうに傾ける彼。
悲壮感は全くありません。
【今日は一日、荷造りで終わっちゃいました。週明けから向こうの寮住まいっす】
ご実家は葛飾だそうですが、今はこの辺で独り住まいだと。
【独身・三男坊で気楽なもんです。実家には居づらくてね……兄が二人、結婚して実家で暮らしてるんで。アラサーの冷や飯食いは辛いっすよ】
言う割には楽しそうです。
白かった顔も赤味が差し、目尻を下げて子供のように笑ってみせます。
「……あのクソ社長! という感じではないですね」
【うん。寧ろ感謝してるかも……。寮の目の前が海なんだ。上手くいけば、自室の窓から釣りできるらしいよ? 部屋にもよるけど】
「それ、危なくないですか?」
【どうかなー。ダイジョブじゃん?】
楽天家、というのでしょうか。
もしかすると、少し「アホ」が入っているやもしれませんが。
「結局、『ツイてない』は無いのですね」
【ごめんね? 同僚の顔を立てなきゃと思って来ただけなんだ】
「左様ですか。こちらは無問題です、お気になさらず。ご本人が幸せそうでなによりです」
【幸せ……うん、そうだね。今は幸せかな。向こうは海の幸が豊富でさ、すっげ楽しみ】
「口にするものが美味しいというのは大事ですね」
【そうそう! きっと、こっちに居るより楽しいと思うんだよね……】
屈託の無いお顔が輝いております。
目の前の事象をどう捉えるか、その人次第だとは思います。
一般的には左遷でも、彼にしたら南の島でリゾート気分――なのかも。
正直、とても羨ましい性格です。その境遇も……。
「ゴッド・ブレス・ユー」
余計なひと言かもしれませんが、お約束ということで。
ほんとに「福」工場長かもですし。
☆☆☆
――その日の退勤後。
一人寂しく晩酌中の兄様に、私も発泡酒でお付き合いいたしました。
ツマミは薩摩揚げと、なぜか「とろろ汁」。
「とやかく言いたくはねえが、こんな時間に大丈夫か? 肥るんじゃね?」
「…………あとで散歩でもしますよ」
「左の彼」の話をポツリ。
腕組みした兄様は、
「まあ、単に『おめでたい』気質かもしれねえが……」
「ええ」
「いい歳なんだから、一拍考えて喋らねえとよ……しかし……」
「……なにか?」
湯呑みで冷や酒をぐっと呷り、
「――クラゲみてぇだな」
「はい?」
「ふわふわ流されてるだけじゃないといいな……」
同級生の心配でもしているような顔で、力無く漏らしたのでございます。
延々繰り返していても飽きません。
締めは『別れの黄昏』(研ナオコ)。
なんと、あの甲斐御大の作であります。某ドラマのオープニングでした。家族で観ていた微かな記憶があります。珍しく、幸せな記憶。
ーーーーー
台風一過の金曜夕方。
暮れ六つ(夜六時)を過ぎた頃来店したお客さんは、年齢不詳の男性でした。
お弁当らしきビニール袋をぶら提げております。
中途半端に長いぼさぼさの頭髪、よれよれのスウェットに黄色いTシャツ。
Tシャツの胸には、平仮名で「にゅーよーく」の文字。どこかの漫画で目にしたような……。
年季の入った健康サンダルを履き、若干草臥れた感のある足取りで椅子にゆっくりと腰を下ろしました。
座るや否やTシャツのポケットにスッと右手を当てますが、壁に目をやると無表情で手を下ろします。
虚ろな視線を落とすと、説明書きとボタン群を彷徨います。
マジックミラーに映るのは、うっすらと髭剃り跡の残る真っ白なお顔。
意思の感じられない顔で暫く眺めたのち、『話し~たぁくなあーい~(byおざき)』というボタンをそっと押下しました。
ああ、「ゆたか」じゃない方ですね。というか、こちらの方が元祖では?
揉み上げがたくましい、かっけーおじさま。
で、話したくもないのにご来店ですか。ほ~う。
無意識なのか、再び右手で胸ポケットを掴むと、思い出したように手を下ろしました。
習慣になっているのですかね、二十代前半ということはなさそうです。
ライターが重いのか、胸ポケットが一瞬「わなないた」気がいたしました。
☆☆☆
【えと……こんちは】
「ツイてない御苑へようこそ」
【本当にそんな名前なんすね。看板見てちょっと笑っちゃった】
「どなたかのご紹介でしょうか?」
【あ、同僚が「厄を落としてこい」って……】
「左様で。ああ、ここで悪運を消し去ることは出来ませんよ? 多分」
【別にいいんす。ツイてないとは思ってないすから】
またもや胸ポケットに手を当てます。
「申し訳ございません。一応、ここ禁煙なので」
【ごめんなさい。我慢します。……この声誰すか?】
「ご存知ないのに押されたのですか? 「また●う日まで」という名曲をお唄いになった「尾崎●世彦さんという――」
【どんな歌です?】
え、どんな……って。イヤんバカん♥
…………歌わないと駄目かな?
うーん……。
少し気合いを入れ、
「~ふったりでードア●閉ーめーてぇぇぇ⤴」
【びっくりした! ……聞いたことないなぁ】
「…………」
ぐぬ。無駄に恥ずかしい。何故か右手の平をじっと見詰めてみたり。
仕様がありません、これも仕事……ですよね、お母さま。
いや、タブレットで聞かせればよかったのでは?
「……というワケで(何が、というワケなのか)、本日は如何されました?」
彼は何の躊躇いもなく、
【所謂、「左遷」させられちゃって……にゃはは】
何故か白い顔を薄桃色に染め、はにかんでみせたものです。
☆☆☆
「左遷?」
返したタイミングで、豆腐屋さんのチャルメラが「プゥ~ワァ~」と遠間から聞こえました。
【らしいっすね】
他人事のように漏らすと、人差し指でくいっと鼻を穿ります。
「小指でやった方が良いですよ。穴がおっきくなっちゃいますから」
【そうすか? まあ、もう手遅れだと思うけど】
「目の前のティッシュをお使いください。柔らかいやつです」
【あじゃっす】
★★★
彼の勤務先に、税務調査が入る事になったそうです。
法人としては有限会社で、社長の奥様も役員として登記しているとのこと。
【でも、一度も出社したことないんだよね】
実体の無い役員としてはマズイとのことで(役員報酬は支払われている)、念の為、調査前日から終了まで、奥様も出社することに。
【俺、奥さんには一回しか会ったことなくて】
社長からは、
「カミさんが出て来るけど、間違っても『初めまして!』とか言わないようにな!」
社員に向けて警告があったそうです(※実話)。
――調査当日。
税務署員と社長およびお抱え税理士が激しく議論を交わしているその場へ、外回りから戻った彼は奥様の姿を目にした途端、
「あ、奥さんご無沙汰でっす! 五年ぶりくらいですかね?」
明るく言い放ったのです。警告も忘れ……。
☆☆☆
【……一葉の写真みたいだったなあ。きっれーに皆さん固まっちゃって。俺、一生忘れないかもしんない】
「それで、どうなりました?」
【週明け早々、社長に「来週から×××(都合により場所は伏せます)の工場勤務な」って言われた】
「え?」
【税務調査はひと悶着あったみたい。毎年赤字決算で申告してるような会社だしね。まあ、俺のひと言が元で大炎上したらしいす。同僚から後で聞かされた。やー、何気ないひと言ってこあいよねー】
「そんな……たったひと言が……パワハラ?」
こんなこと……現実にあることなんですか? 俄には信じられません。
【一応、人手がどうのって説明はされたんすよ。社員は二人だけらしくて。工場長と経理部長。俺は「福工場長」なんだって】
「おめでたい風に仰ってますが、『副』ですよ?」
【あ、そうなの? あはっ】
ケラケラ笑う彼に当惑する私。
いつの間にか缶コーヒーを取り出し、美味しそうに傾ける彼。
悲壮感は全くありません。
【今日は一日、荷造りで終わっちゃいました。週明けから向こうの寮住まいっす】
ご実家は葛飾だそうですが、今はこの辺で独り住まいだと。
【独身・三男坊で気楽なもんです。実家には居づらくてね……兄が二人、結婚して実家で暮らしてるんで。アラサーの冷や飯食いは辛いっすよ】
言う割には楽しそうです。
白かった顔も赤味が差し、目尻を下げて子供のように笑ってみせます。
「……あのクソ社長! という感じではないですね」
【うん。寧ろ感謝してるかも……。寮の目の前が海なんだ。上手くいけば、自室の窓から釣りできるらしいよ? 部屋にもよるけど】
「それ、危なくないですか?」
【どうかなー。ダイジョブじゃん?】
楽天家、というのでしょうか。
もしかすると、少し「アホ」が入っているやもしれませんが。
「結局、『ツイてない』は無いのですね」
【ごめんね? 同僚の顔を立てなきゃと思って来ただけなんだ】
「左様ですか。こちらは無問題です、お気になさらず。ご本人が幸せそうでなによりです」
【幸せ……うん、そうだね。今は幸せかな。向こうは海の幸が豊富でさ、すっげ楽しみ】
「口にするものが美味しいというのは大事ですね」
【そうそう! きっと、こっちに居るより楽しいと思うんだよね……】
屈託の無いお顔が輝いております。
目の前の事象をどう捉えるか、その人次第だとは思います。
一般的には左遷でも、彼にしたら南の島でリゾート気分――なのかも。
正直、とても羨ましい性格です。その境遇も……。
「ゴッド・ブレス・ユー」
余計なひと言かもしれませんが、お約束ということで。
ほんとに「福」工場長かもですし。
☆☆☆
――その日の退勤後。
一人寂しく晩酌中の兄様に、私も発泡酒でお付き合いいたしました。
ツマミは薩摩揚げと、なぜか「とろろ汁」。
「とやかく言いたくはねえが、こんな時間に大丈夫か? 肥るんじゃね?」
「…………あとで散歩でもしますよ」
「左の彼」の話をポツリ。
腕組みした兄様は、
「まあ、単に『おめでたい』気質かもしれねえが……」
「ええ」
「いい歳なんだから、一拍考えて喋らねえとよ……しかし……」
「……なにか?」
湯呑みで冷や酒をぐっと呷り、
「――クラゲみてぇだな」
「はい?」
「ふわふわ流されてるだけじゃないといいな……」
同級生の心配でもしているような顔で、力無く漏らしたのでございます。