西日のきつい開店直後、白い日傘を畳みながら来店したお客さんは、浅紫(あさむらさき)の浴衣に身を包んでいらっしゃいました。

 傘立てにそっと日傘を置き、小さな朱鷺(とき)色の巾着を持ち替えると、しずしずと椅子に腰を下ろします。


 扇子を取り出し仰ぎつつ、目を細めて店内を眺めていらっしゃいます。
 日本髪に結い上げ、薄目の化粧を施したご尊顔はすっきりとして、口元に軽い笑みを浮かべていらっしゃいます。
 年の頃が、よくわかりません。元々、私には経験値が圧倒的に足りないわけですから、仕様がありませんよね。

 時折キラッキラ輝く扇子は上品な感じもいたします。
 目がチカチカして、扇子に描かれた絵や模様がよくわかりません。

 一見すると水商売風――にしては、若干地味目でしょうか。
 いえ、銀座あたりのママさんと仰っても違和感ないかもしれませんねえ。
 あ、そのような場に足を運んだことはございませんよ? ご安心ください、お母さま。
 時折、得体の知れない職業に間違われることもございますが、これでも一応未成年です。


 女性は説明をフンフン頷きながら熟読すると、視線を落としてパッと微笑みました。
 まあ、歯並びもお綺麗で。「芸能人は歯が命」という歯磨き粉のキャッチコピーを思い出しました。

 五百円硬貨を投入すると、嬉しそうに『アニメ・ま●が日本昔ばなし(風)』のボタンを押下いたしました。受話器に手を掛けます。

 さあ、本日も、かような美しい女性相手にお仕事開始でございます。

☆☆☆

【もしもし?】
「むか~しむかしぃ――おったんじゃあぁ……」
【あは♥ 懐かしい、子供の頃よく再放送見てましたよ~】
「ようこそ、『ツイてない御苑』へ。浴衣、よくお似合いです」

 女性は即座に破顔すると、

【ありがとうございます。勤め先が、本日『浴衣デー』なもので……あ、私、不忍の池そばのクラブでチーママをしておりまして。今度、是非おいでください】

 ごく自然な動作で、巾着から流れるようにマッチを取り出し、プッシュホンの脇にそっと置きました。
 繰り返しますが、私、未成年者です。合法的にお店に行けるようになる頃には、マッチも湿気っているやもしれません。

「ご丁寧にどうも……今日はどうされましたか」

 女性はパントマイムのように、煙草に火を点けふう~と紫煙を吐く――という小芝居をひとつ打ちました。にやけ顔。
 お茶目なチーママさんのようです。

【先週、台風でしたでしょ? 私、「台風が来る!」と思うと、テンション上がっちゃう人なんです】
「ああ、そういう方もいらっしゃるようですね」
【ね! で、その日、お店が丁度『水着デー』だったの】

 ――ん? 丁度? 

【どうせお店に着いたら水着に着替えるんだし……いっそ、「水着で出勤したらいんじゃね?」って閃いちゃって!】
「………………まさか」
【そのまさか! 思い切って「水着で出勤」しちゃったの! 暴風雨吹き荒れる中、傘も差さずに歩き通しましたよー】
「それは…………ドン引きです」
【そう? そう……なのかな、やっぱり】
「年中露出の激しい金太郎でもドン引きでしょう――ですじゃ~」
【昔話風に拘らなくても結構ですよ? 私はもっと気兼ねなくお話したいわー】

 気兼ね? はしていないのですが。

「どのような水着で――」
【白いワンピースです】

 ワンピース。白の……ますますけしからん絵面でございます。せめて黒系統のものにならなかったのでしょうか。

【道行く人は、そりゃあジロジロ視線を寄越したけど、まあ元々あちこち緩い身体だし、そこは無理矢理無視しつつ……その内、お店まであと五分、というところで「職務質問」受けちゃって。お巡りさんに】
「あるあるですね」
【ツイてないでしょお~?】
「もはや、ツイていないと申しますか……」
【身の上をお話して、お店に事情を説明してもらおうって電話したら、台風のせいか電波が悪くて繋がらないの。仕方ないから、お巡りさんと二人でお店まで走っていって――】

 チーママさんはあさってに目をやり、人差し指をくるくる回しながら一所懸命語っていらっしゃいます。それでも、口元は相変わらず愉し気に笑みが浮かんでいるのです。

【お店に着いたら、外灯が点いてなくて。良く見たら、「本日臨時休業」って張り紙が】
「トドメですね。ダブルで『ツイて』おりません」
【巻き込んじゃったお巡りさんに申し訳なくて……いつまでも外でふらふら揺れてるわけにもいかないし……とりあえず中に入っていただいたんです】

 チロッと小さく舌を出します。あざとい画かもしれませんが、どこか無邪気で可愛らしく、(とが)める気は起りません。

【――帽子を取って、タオルで顔をごしごし拭ったお巡りさんを眺めていたら……】
「――いたら、どーなったんじゃあ~」
【ふふ、気が付いたら…………なんと! 二人はひとつになっていたのでぃす!】

 なん――っっっじゃそりゃ?

【……見つめ合ったふたりは、冷えた身体を温め合い……】
「大分端折(はしょ)ってくれましたね」
【まあ、あたしの一目惚れといいますか、その場の流れと申しますか……】
「一夜限りの……」
【いえいえ、そんな勿体ない。今日は非番らしくて、お店にきてくださるのです! で、その後はアフターで、その後は……うふふふふ……】

 顔をくしゃくしゃにして悶えまくっております。

「……よかったですね」
【ハイッ! よかったでぃす!】

 チーママさん、敬礼ポーズでびしいっ! と背筋を伸ばします。
 でも、お顔はニヨニヨ締まりがありません。


 結局、単なる「のろけ」話でしたね。とんだ肉食系の。
 それでも、不幸を顔にくっつけて店を後にされるよりはずっとよいです。


 頃合いで、

「お話は以上でよろしいですか?」
【はい。最後まで聞いてくだすってありがとうございました! また、必ず寄らせていただきます】
「ありがとうございます。お疲れ様でした――ゴッド・ブレス・ユー」

 ……めでたしめでたし……でございます。

☆☆☆

 アンラッキーな出来事には、裏表のように「ラッキー」も付いてまわるものなのでしょうか。
 もしそうなら、世の中も捨てたものではないと思います……どうでしょう、お母さま。