☆本日の作業用BGMは、ついに来た!『真夜中のドア』(松原みき)でした。
 ハタチ直前のデビューシングルだったそうです。
 昔、「ス●ー誕生」で、この歌を歌うチャレンジャーが結構いらっしゃったみたい。

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 今日も仕事かよ……心中とは裏腹に眩い光を振り撒く快晴のもと、溜息と連れ立ってだらだら離れを出ますと。
 兄様が腕組みして仁王立ちしておりました。
 心持ち顎を上げ、どこか遠くを悲し気に見詰めております。
 なんとなく、声は掛けず、背後をぬるっと通り過ぎようとしたその時、

「ボンッッッ!」

 爆発音が轟き――
 一瞬で視界が暗転、気が付いたら地面に転がっておりました。
 
「目が?! 目があっ!」

 突然目に激痛が奔り、必死で両目を擦ります。
 意図せず涙がボロボロ溢れ、脳内評議員達が右に左に駆け出しました。
 同時に、幼い頃目の前で泣いたお母さまの姿が脳裏に過ります。
 ああ、お母さま……!
 ――これはもしや、走馬灯――?!

「おい……いくらなんでも大袈裟だろう。当てつけがましい所作はよせ。たかが『屁』を喰らったくらいでよう」
「なんですとっ?!」

 爆発音が「屁」――「オナラ」だと?
 嘘ピョンだろ?

「オナラでこんな目が痛くなるのっ?!」

 あんな哀愁漂う姿から予想もつかなんだ。
 物憂げな顔しやがって、とんだボマーだな。

 取り敢えず綺麗な水で目を――目を(すす)がなくては!

 阿呆ヅラで立つ兄様をガン無視して、私はよろよろ離れへと戻りました。遅刻……


☆☆☆


【見通しの良い、片側一車線の直線道路で――】
「――事故のニュースみたい」
【殆ど信号も無いので、深夜ともなると「ゼロヨン」のコースになっちゃったりします】※1
「今も催されているのですね、ゼロヨン」

 椅子に腰かけ語っているのは、先ほど来店された女性です。
 黒髪ショートに黒縁の眼鏡が上品に似合っております。
 二十代前半(断言)。
 パリッとしたスーツ姿。会社説明会の帰途、お立ち寄りいただいたそうで。

 彼女が選択したのは『ラ×ン・ポケットマネー!』という渋いお声。

【バイト先へスクーターで向かっていました。すぐ前を一台の原付が走ってまして。長身でちょっと首も長い――】
「麒麟です(めっちゃ低音)」
【そう、そんな感じの。なんか歌を口ずさみながら。英語なんだかフランス語なんだか――】
「欧米か……」
【え?】
「申し訳ございません。先をお願いいたします」


 彼女は鞄から水筒を取り出し、ひと口飲み込みました。
 中身、なんでしょうね。

【制限速度よりかなり遅めで。何語か分からない歌も相まって、なんとなくイラッと】
「右から追い抜く、というのは無理なんですか?」
【そこ「はみ禁」なんです。制限速度30キロですし】※2
「左様で……真面目なんですね(?)」

 そんな中、異変が。

【突然、片目に激痛が奔って、咄嗟に両目を閉じてバイクを停めました】
「あっ! 前を走る方のオナラですか?!」
【? い、いえ、違います。オナラって目を刺すものでしたか?】
「強炭酸みたいなオナラも世の中には存在するのです。お気をつけられますよう」
【そ、そうなんですか】

 徐に眼鏡を手に取り、思い出すようにまじまじと見詰めます。

【……眼鏡に、「灰」がこびりついていて】
「――『灰』?」

 前を走る外国の人(?)が、どうも咥えタバコで運転していたようで。
 その灰が、直後を走る彼女の目を直撃したものと。

「危な……危ないですよそりゃ」
【ほんとですよ。急停止で後続を巻き込んだり、ってのがなくて不幸中の幸いというか】

 再び眼鏡を掛け、ぽふっと溜息を漏らします。
 現場でもないのに、安堵の響きが感じられました。

【普段はコンタクトなのですが、その日は偶々(たまたま)眼鏡で……コンタクトだったらもっと大騒ぎしてましたね、多分】
「なるほど。眼鏡は花粉も七割くらいブロックしてくれるそうですから」

 いえ、問題なのは「咥えタバコで運転する人」です。
 こういう事態を想像できないのでしょうか。
 下手をしたら大事故です。もう殺人未遂といってもよいのでは?

【このことがあって、自衛の意味でもやっぱり眼鏡一本にしようと思いました。コンタクトも今いち馴染めなかったし。ただ……】
「――ただ?」
【今お付き合いしている人が、眼鏡の女の子は好みじゃないみたいで……】
「……それでも、恋愛より眼鏡愛をとる、と」

 彼女は唇を固く引き結んで、押し黙りました。
 最後の線で、踏ん切りがつかないのかもしれません。


「……知り会った時は、コンタクトだったのですか?」
【……いえ、「ガッツリ眼鏡」でした。レンズも分厚いヤツで】

 親しくなる内に、眼鏡云々を感じたそうで。
 そこから彼女の「コンタクト人生」が始まったのだ!

「その方、眼鏡自体が嫌い(?)なだけで、『眼鏡を掛けた女子』が苦手なわけではないかもしれないですよね」
【どう……でしょう……】
「苦手になった経緯などご存知で?」
【いいえ。そういえば聞いた事ないかも……】
「一度、彼とじっくり話し合ってみては如何でしょう。『いわく』についても」
【……】
「そのうえで、『私をとるか眼鏡をとるか決めて!』と迫るわけです」
【眼鏡がライバルになってますよ?】

 再度、頭の中で咀嚼した彼女は、間を置いてぷっと吹き出しました。


「眼鏡美人というのもありだと思います」
【……誰か有名な人でいらっしゃいますか?】
「そうですねえ、×××という番組のサブMCで××××さんとか……眼鏡姿のテ●ラー・スイフトさんなんて好きですねえ」
【へえ……。ところで、あなたは男性なんですか? 女性なんですか】
「申し訳ございません。そこはノウ・コメンツで」


【でも、長い事眼鏡で過ごしていると、それがセットというか、アイデンティティ? て言うんですかね、イメージが固まってしまいそうで】
「別に、周りがどう思おうが気にする必要はないと思いますけど」

 といっても、今の私の場合、爽太くんの存在がそう思わせているだけかも。
 彼が必要としてくれるなら、別に周りにどう思われようと……というのはあるかもわかりません。
「下着は黒しか認めん!」というなら、灰色の下着を買い込むのも(やぶさ)かではないです。……全然違うな。


 彼女の全身が弛緩したのを感じます。
 ここへきて緊張がほぐれたものか。
 実に美味しそうに、水筒を傾けます。

「本日の会社説明会はどうでした?」
【ちょっと緊張しましたけど……第一志望の会社だったんです。静岡に本社のあるバイクメーカーで】
「本社勤務などもあるのでしょうか」
【かもですね……そうなると遠距離ですよぉ……】
「いよいよ『私と眼鏡どっちをとるの?!』ですね」
【いやだからそれは――】

 ひとしきり盛り上がり――。

「あ、そうだ。運転の際、ゴーグルを使用してみてはいかがでしょう。フルフェイスのメットではアレかもですが」
【フルフェイスじゃないのでアレは無いと思いますけど。そうですね、考えてみます】
「あ……忘れておりました」
【? なんでしょう】
「♫ テッテレ~! 『ゴーグル~』」
【今っ?!】
「一度言ってみたかったのであります」


 スッキリした表情で表へと向かう彼女の背中へ、

「ゴッド・ブレス・ユー!」

 今日の私は、殊更大きな声で送り出したのでございます。
 ……目の痛みも、大分和らいできたようです、お母さま。

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※1 直線の公道(400メートル)で催されるタイムトライアル……だったような
※2 「追い越しのためのはみ出し通行禁止」の略。ラインは黄色。制限速度低め