☆本日の作業用BGMは、まんま『白いテニスコートで』(※エンディング)です。
ずっと、頭の中でも流れておりました。

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 師走も半ばを過ぎ、浅草・浅草寺では「すす払い」も終えたところです。
 明日からは「歳の市」です。「羽子板市」と言った方が通りが良いかもしれません。

 この店はそんな喧騒からやや離れた場所にあるので、お流れに(あずか)るということは「一切」無い、と断言できます。
 まあ、お参り後にわざわざ「ツイてないよ」と愚痴を言いにお越しになる方もそうはいらっしゃらないでしょうが。


 本日は日中暖かく、乾いた晴天のもと出勤いたしましたが、開店後は緩い寒風も漂い薄ら寒い様相でございます。

 暮れ六つ(午後六時)を過ぎた頃、お客さんが来店されました。
 いつぞやの大学生――爽太くんの「叔母さん」です。パッと見、すぐには気が付きませんでした。

 茶色のショートボブ、天使の輪も爽快に輝いております。薄目の化粧を施し、全体的に前回とは見違えるようにシュッと小奇麗に纏めていらっしゃる。
 モニタに映るお姿は血色も良く、別人のような微笑を浮かべています。

 机上を眺め、『オカッ!(エース狙えっていつも言ってるでしょう?!)』というボタンを押下しました。ああ、存じております。随一の指導者といって過言ではありません。


【こんばんは】
「ツイてない御苑へようこそ。お久しいですね」
【その節は恥ずかしい話を……。コーチ宗方もますますご健勝で】
「諸行無常だオカッ! ……あれから(くだん)のサラリーマンとは如何(いかが)です?」

 途端、目を見開いてパッと桃色の笑みを浮かべると、目を伏せてモジモジが始まりました。
 まあそうなんでしょうけど、触れない訳にもまいりません。

【えっと……その、お、お付き合いすることになりまして……】

 ひとしきり適当に相槌を打ちながら(そらアカン!)、彼女の惚気(のろけ)バナシを拝聴いたしました。


☆☆☆


 ミニペットボトルのミルクティーをひと口こくんと嚥下して、

【あたしアパートで猫を飼っているんです。高校生の頃、拾った()で】
「拾っちゃいましたか男を……ペット可なのですか」
【真下に住んでいる大家のおばちゃんが二匹飼っていまして。その辺は緩いみたいです】

 羨ましい……。ウチの慣習(おきて)が呪わしいです。

「その()、お名前は?」
【ジンです】
「まんまコーチですね」
【そこからつけたワケでもないのですが……この間、ちょっとした隙に外に出ちゃって、行方知れずになりまして】
「それはツイてない――いや、一大事にござる」
【まる二日、近隣を探しました。彼も休日手伝ってくれて。でも結局見つからなくて……事情を察した大家さんが「張り紙しときなよ」と仰って、アパートの掲示板に「迷い猫」の張り紙を】

 悪いとは思いながらも、付近の電柱に片っ端から張り紙をしたそうです。


 それから三日後――。

【悶々としていたら、「懸賞金(謝礼)アップした方がいいんじゃね?」と大家さんが言うので、五千円から一万円にアップした張り紙を新たに張りまくりました】
「左様で。通常は『菓子折り』程度でも良さそうな気もいたしますが……相場(?)はいかほどなのでしょうね」
【さあ……あたしも冷静ではなかったのだと思います。藁にも縋る心持ちでしたから……】

 彼女の瞳がゆらりと揺れました。
 じわじわ両の(まなこ)が外へと開いていき――

【……あの子を拾った時、大学受験を控えてあたしもストレスMAXの頃で。自分の事で手一杯なのに……葛藤しました。そんな場合じゃないだろって。でも、マンガみたいに、雨の中独りぼっちでニャーニャー()いているあの子と目が合ってしまったから……】
「コートでは誰でも独りだっ!」
【ひ、ヒドい!】
「(あばばば)ご、ごめんなさい、それっぽいこと言わなきゃと――で、でも、無事に見つかったのですよね?」

 まっしかっ! 空気読めよっ!

【ハイッ! 昨日見つかりました!】
「(ほっ)オガッ――じゃない、よかった!」

 パッと戻って来て紅潮したお顔が、すぐに青くなります。信号機みたい……。

【大家さんが見つけて部屋まで連れて来てくれました。あたし、大喜びで謝礼を渡して……】

 言葉とは裏腹に、眉間に皺が寄ります。気の所為か、コメカミがピクついております。

「――な、なにか、気に障ることが?」

 (おもむろ)に両手を組んで視線を落とすと、禁断の告白をするかのように重苦しい声が漏れます。

【……うちの隣に、大家さんのお孫さんが住んでいるんです。高校生の男の子です。無事にあの子を引き渡してもらったその夜に、彼がうちを訪ねて来て――】
「…………」
【いきなり頭を下げたんです。ごめんなさい、って】

「まさか……その子が連れ去りを?」

【いいえ、事情を聞いたらそうじゃなくて……先一昨日、大家さん、ジンを見つけて保護してくれていたらしいのです】
「? 引き渡したのは『昨日』なんですよね?」
【ええ。おおよそ三日、大家さんがジンの面倒を見ていてくれたそうです】
「なぜ、すぐに……」

 顔を上げた彼女は、全力で透明な塊を吐き出しました。

【お孫さんが言うのには……謝礼が】
「謝礼?」
【実は、「懸賞金アップした方が――」って大家さんが提案した時、既にジンを保護していたようなんです。謝礼を釣り上げて()ぐ、というのも塩梅が悪いからと、それっぽく時間稼ぎというか】
「は? それだけのために?」
【まるでマッチポンプですよ。面倒を見てくれていたのは間違いないですから、文句も言えない……事情を知っていたお孫さんは、ずっと悶々としていたみたいで、何度もごめんなさい、って……彼が悪いわけでもないのに】

 表を大音声(だいおんじょう)の救急車と消防車が通り過ぎていきます。
 付近で火事でもあったのでしょうか。

 彼女は微動だに無く、脱力したままじっと両手を見詰めました。

「お孫さんはよいお坊ちゃんかとは思いますが……」
【そうですね……でも正直、その辺の事情は知りたくなかったかなあ、って】

 暁闇(ぎょうあん)のような沈黙が下りました。


☆☆☆


 釈然としない、いえ腹立たしい案件ではあるでしょうが――

「とにかく、再会できてよかったですね。なんだかんだ、大家さんも(謝礼目当てもあるとはいえ)きちんと面倒をみてくれたわけですし。過程は問題あったかもしれませんが、やはり大家さんには感謝したいと……」
【……ふふ、甥っ子と同じこと仰るのですね】
「(爽太くん?)甥子さんはなんと?」
【大家さんにありがとうだね! って】

 思い出したように、彼女が微笑みました。
 ああ――爽太くんなら、そう言うでしょうねえ……。
 にぱっと笑う彼の尊いお顔が頭に浮かびます。

【あの子らしいですけどね……。小さい頃から優しいけど、わりと周囲に気を遣って忖度するような子供なので、ちょっと心配なところも……】

 確かに、子どもにしては妙に気が回るところ、ありますね……。
 一応、心に(とど)めておきたいと存じます。


「ゴッド・ブレス・ユー……」


☆☆☆


 無事の再会、幸甚に存じます。よかったよかった。

 夜更けのテニスコート(?)でいつまでも泣いていたジンくん。
 涙が書いたイニシャルは、「J J J・IN(字余り)」……だったのでしょうか。

 ――寧ろ、パートナーである彼女のイニシャルですかね。
 生憎、彼女の名は存じていないのですよ、お母さま。