私は定番の「味噌」が好きです。
夜食にちょいちょいいただきます。大概、鍋ごと・立ったまま。
ーーーーー
お母さまはご存知ないかもしれませんが……。
夜中、近所にある公園の脇で、年中ラーメンの屋台を出しているおじさまがいらっしゃいます。
ちょっと変わった屋台です。
なにしろ、「インスタントラーメン」しか出さないのですから。
元々ラーメン屋さんを経営していらっしゃいましたが、そちらは数年前ご子息に譲り、ご本人は屋台を引くようになったのだそうです。
ある時、「サ●ポロ一番み●らーめん」の美味しさに驚愕し(それまで一切インスタントには手を出さなかったのだそうです)、感激して道を踏み外し(?)、勢い「サ●ポロ一番シリーズ」オンリーの屋台を出すことになったそうです。
以来、年中無休。
お客さんはタクシー運転手が多いそうで、「休んだら彼らに申し訳ない」と毎日毎日やって来ます。口コミでやって来る運転手さんが結構いらっしゃるようです。
自家製チャーシュー二枚とネギがのっただけ、一杯250円。希望者にはサービスで小ライスが付きます。
当初は300円想定だったそうですが、
「嫌がる人も多いけど、50円玉だってあった方がいいだろう」
それだけの理由で、250円に決めたのだそうです。50円の釣り銭を渡すことだけあてにして。
「五百円玉過激派(?)」の兄様にも爪の垢を煎じて……。
いつもおおよそ夜四つ半頃(午後十一時)から夜が明ける前の朝七つ(朝四時)頃までの数時間、公園南側で営業を続けております。
☆☆☆
ネットを少々嗜んで小腹の空いた私は、腕時計を巻き、スウェットにジャージを引っかけ、手ぶらで外へ出ました。
時刻は九つ(零時)まであと僅かといったところです。
外灯が寂しく照らす公園の外周へ沿って、ひたひた歩きます。
腕を翳して時刻をあらため、周囲に誰もいないことを慎重に確認し――。
今日から明日へと日付けが変わる瞬間ジャンプした私は、新しい「今日」の地へと着地したその足で、件の屋台へと向かいました。
「日付またぎジャンプ」は、各種条件が揃わないと叶わない「レア」なレクです。
始まったばかりの今日は、「ツイて」いるようです。
ゆるい風が吹いて落ち葉がカサカサと囁くなか、今日もおじさんは公園南側に屋台を出しておりました。
十数メートル先に、白いタクシーが一台停まっております。エンジンは切っているようですね。
白ということは個人タクシーでしょうか。しかし、なぜ個人タクシーは「白」が多いのでしょう。今度美冬ちゃんに会ったら聞いてみましょうか。検索した方が早いでしょうけど、それはそれで。
「こんばんは、おじさま。儲かってまっか」
暖簾を軽く押しやり、ベンチへ腰かけます。
「いらっしゃい神幸ちゃん。相変わらずカツカツだよ」
やや背の低い、ごま塩頭のおじさまが、湯気を纏いながら微笑をくださいます。
ほどよく丸々とした体躯は、「豆タンク(卑下)」だそうです。
「もう良い加減、値上げしてもいいのでは?」
「別に儲けようと思ってないから。50円玉にも悪いよ」
血色の良い顔で額をテカらせながら、目尻へ幾重にも皺が寄ります。
私は気分で「塩味」をオーダーし、出されたコップに口をつけ、冷たい水で喉を潤します。
「ああ、おいしい……実は、富●山の天然水とか?」
「ごめん。公園でさっき汲んだやつ」
プーの舌はあてにならぬということで。
「そういやちょっと前、住職がでかい鞄提げて帰って来たよ」
「左様ですか」
「なんだか、アゲハ蝶みたいな派手なマスクしてさ、舞踏会でも行って来たの? て感じの。ぱっと見てギョッとしたぜ。向こうが先に挨拶してくれたからわかったけど、でなきゃ通報してたな」
――あーあれか。そりゃ驚くでしょうねえ。意味不明。
「とんだ変態野郎を野に放って申し訳ございません。あとでよく言って聞かせます」
出来上がった熱々のラーメンを両手で受け取ったところで、
「こんばんにゃ!」
誰かが一声かけてするりと横に座りました。
ちらと目だけ向けると、綾女がにやついた顔でこちらを窺っております。
ぼんやりとラーメンに視線を落とした私は、割り箸を抜いたタイミングで綾女を二度見しました。
「いらっしゃいお嬢ちゃん。神幸ちゃんの知り合いかい?」
「妹でーす。ね、お姉さま?」
すっぴんがテカっております。JKらしい愛嬌をおじさまに向けます。
「へー妹さんかい。美人姉妹だったんだねえ神幸ちゃんとこは」
おべっか――なのかよくわからない顔で、おじさまがおどけます。
「ありがとうぅぅぅ大将! おべっかでもめちゃ嬉しいよ!」
「俺は屋台でおべっかは言わねえよ。そんな気を遣う必要ねーもん」
おじさまがにぱっと笑いました。
「ねえねえ! さっきなんで突然ジャンプしたん?」
「…………」
「まいっか……しかし、こんな穴場が近所にあったとはなあ……奢ってよぉ神幸ちゃん」
「綾女ちゃん。私はここでお金を払ったことが無いのですよ」
「へ? 無銭飲食?」
「いわゆる『ツケ』だよ。月末締めで、翌月最初にご住職が食べに来てくれた頃合いに、一括現金で払ってくれるんだ」
「アニキが?」
おじさまが湯気に塗れながら、私に代わって綾女にレクチャーしてくださいます。
「――よって、私はここで食べ放題という――」
「ナニそれ? ずるいじゃん! 知らんかったよ!」
「私もここ数カ月です、お邪魔するようになったのは――ではお先に」
スープを一口啜り、遠慮なくズルズル食べ始めます。
のびたラーメンも好物ですが、流石にここでは店主に申し訳ないので一気にいきます。
綾女は「みそ」を注文し、
「神幸ちゃんさー、家で作んないの?」
「面倒ですから」
「鍋で煮るだけじゃん。マジで爽太と結婚したら料理どうすんのさ?」
「……」
「へー、神幸ちゃん結婚すんのかい? そりゃめでたい」
「……早くても八年後です。いえ……その頃には破談になっているやも」
「死―――んんん」
「嘘でもフォローしてください。さすがに凹みます」
綾女がラーメンに口をつけ、
「うまっ! ほんとにインスタント?! チャーシューばか美味! ヤバイ!」
手の空いたおじさまが、腕組みしてまじまじとこちらを眺めております。
「ほんと美人姉妹だけど――こういっちゃなんだが、そんなに似てねーなあ」
あとはスープを飲み干すのみ、という塩梅で、
「腹違いなのです。妹と兄様は正妻のお子で、私は――こういうのナンテ言いましたか――そうそう、『妾腹』です。正妻さんもお妾も亡くなりましたが」
「そりゃ生々しいですわお姉たま」
「赤裸々に身の上語らんでもいいよ神幸ちゃん」
「お気になさらず。儀式みたいなものです、私にしたら」
――そう。
ようやく、口にできる心持ちになってまいりましたよ、お母さま。
二人スープをちびちび啜りながら、ひとしきりおじさまを交えてギャーギャー喚きました。
ご近所には迷惑をお掛けしております。心より陳謝申し上げます。
ひっそり佇んでいた個人タクシーのドアが開いて、ご老体と思しき小さな男性が降りました。
眠そうなお顔で、こちらへとよちよち歩み始めます。
屋台に辿り着いた見知らぬご老体を前にして――。
重力に逆らって夜中のお勤めに精を出す勤労のお人に、私は心から尊敬の念を抱きつつ――席を立って狭いベンチへ誘うと、
「お疲れ様です。こちらどうぞ」
言葉を送り出したのでございます。
夜食にちょいちょいいただきます。大概、鍋ごと・立ったまま。
ーーーーー
お母さまはご存知ないかもしれませんが……。
夜中、近所にある公園の脇で、年中ラーメンの屋台を出しているおじさまがいらっしゃいます。
ちょっと変わった屋台です。
なにしろ、「インスタントラーメン」しか出さないのですから。
元々ラーメン屋さんを経営していらっしゃいましたが、そちらは数年前ご子息に譲り、ご本人は屋台を引くようになったのだそうです。
ある時、「サ●ポロ一番み●らーめん」の美味しさに驚愕し(それまで一切インスタントには手を出さなかったのだそうです)、感激して道を踏み外し(?)、勢い「サ●ポロ一番シリーズ」オンリーの屋台を出すことになったそうです。
以来、年中無休。
お客さんはタクシー運転手が多いそうで、「休んだら彼らに申し訳ない」と毎日毎日やって来ます。口コミでやって来る運転手さんが結構いらっしゃるようです。
自家製チャーシュー二枚とネギがのっただけ、一杯250円。希望者にはサービスで小ライスが付きます。
当初は300円想定だったそうですが、
「嫌がる人も多いけど、50円玉だってあった方がいいだろう」
それだけの理由で、250円に決めたのだそうです。50円の釣り銭を渡すことだけあてにして。
「五百円玉過激派(?)」の兄様にも爪の垢を煎じて……。
いつもおおよそ夜四つ半頃(午後十一時)から夜が明ける前の朝七つ(朝四時)頃までの数時間、公園南側で営業を続けております。
☆☆☆
ネットを少々嗜んで小腹の空いた私は、腕時計を巻き、スウェットにジャージを引っかけ、手ぶらで外へ出ました。
時刻は九つ(零時)まであと僅かといったところです。
外灯が寂しく照らす公園の外周へ沿って、ひたひた歩きます。
腕を翳して時刻をあらため、周囲に誰もいないことを慎重に確認し――。
今日から明日へと日付けが変わる瞬間ジャンプした私は、新しい「今日」の地へと着地したその足で、件の屋台へと向かいました。
「日付またぎジャンプ」は、各種条件が揃わないと叶わない「レア」なレクです。
始まったばかりの今日は、「ツイて」いるようです。
ゆるい風が吹いて落ち葉がカサカサと囁くなか、今日もおじさんは公園南側に屋台を出しておりました。
十数メートル先に、白いタクシーが一台停まっております。エンジンは切っているようですね。
白ということは個人タクシーでしょうか。しかし、なぜ個人タクシーは「白」が多いのでしょう。今度美冬ちゃんに会ったら聞いてみましょうか。検索した方が早いでしょうけど、それはそれで。
「こんばんは、おじさま。儲かってまっか」
暖簾を軽く押しやり、ベンチへ腰かけます。
「いらっしゃい神幸ちゃん。相変わらずカツカツだよ」
やや背の低い、ごま塩頭のおじさまが、湯気を纏いながら微笑をくださいます。
ほどよく丸々とした体躯は、「豆タンク(卑下)」だそうです。
「もう良い加減、値上げしてもいいのでは?」
「別に儲けようと思ってないから。50円玉にも悪いよ」
血色の良い顔で額をテカらせながら、目尻へ幾重にも皺が寄ります。
私は気分で「塩味」をオーダーし、出されたコップに口をつけ、冷たい水で喉を潤します。
「ああ、おいしい……実は、富●山の天然水とか?」
「ごめん。公園でさっき汲んだやつ」
プーの舌はあてにならぬということで。
「そういやちょっと前、住職がでかい鞄提げて帰って来たよ」
「左様ですか」
「なんだか、アゲハ蝶みたいな派手なマスクしてさ、舞踏会でも行って来たの? て感じの。ぱっと見てギョッとしたぜ。向こうが先に挨拶してくれたからわかったけど、でなきゃ通報してたな」
――あーあれか。そりゃ驚くでしょうねえ。意味不明。
「とんだ変態野郎を野に放って申し訳ございません。あとでよく言って聞かせます」
出来上がった熱々のラーメンを両手で受け取ったところで、
「こんばんにゃ!」
誰かが一声かけてするりと横に座りました。
ちらと目だけ向けると、綾女がにやついた顔でこちらを窺っております。
ぼんやりとラーメンに視線を落とした私は、割り箸を抜いたタイミングで綾女を二度見しました。
「いらっしゃいお嬢ちゃん。神幸ちゃんの知り合いかい?」
「妹でーす。ね、お姉さま?」
すっぴんがテカっております。JKらしい愛嬌をおじさまに向けます。
「へー妹さんかい。美人姉妹だったんだねえ神幸ちゃんとこは」
おべっか――なのかよくわからない顔で、おじさまがおどけます。
「ありがとうぅぅぅ大将! おべっかでもめちゃ嬉しいよ!」
「俺は屋台でおべっかは言わねえよ。そんな気を遣う必要ねーもん」
おじさまがにぱっと笑いました。
「ねえねえ! さっきなんで突然ジャンプしたん?」
「…………」
「まいっか……しかし、こんな穴場が近所にあったとはなあ……奢ってよぉ神幸ちゃん」
「綾女ちゃん。私はここでお金を払ったことが無いのですよ」
「へ? 無銭飲食?」
「いわゆる『ツケ』だよ。月末締めで、翌月最初にご住職が食べに来てくれた頃合いに、一括現金で払ってくれるんだ」
「アニキが?」
おじさまが湯気に塗れながら、私に代わって綾女にレクチャーしてくださいます。
「――よって、私はここで食べ放題という――」
「ナニそれ? ずるいじゃん! 知らんかったよ!」
「私もここ数カ月です、お邪魔するようになったのは――ではお先に」
スープを一口啜り、遠慮なくズルズル食べ始めます。
のびたラーメンも好物ですが、流石にここでは店主に申し訳ないので一気にいきます。
綾女は「みそ」を注文し、
「神幸ちゃんさー、家で作んないの?」
「面倒ですから」
「鍋で煮るだけじゃん。マジで爽太と結婚したら料理どうすんのさ?」
「……」
「へー、神幸ちゃん結婚すんのかい? そりゃめでたい」
「……早くても八年後です。いえ……その頃には破談になっているやも」
「死―――んんん」
「嘘でもフォローしてください。さすがに凹みます」
綾女がラーメンに口をつけ、
「うまっ! ほんとにインスタント?! チャーシューばか美味! ヤバイ!」
手の空いたおじさまが、腕組みしてまじまじとこちらを眺めております。
「ほんと美人姉妹だけど――こういっちゃなんだが、そんなに似てねーなあ」
あとはスープを飲み干すのみ、という塩梅で、
「腹違いなのです。妹と兄様は正妻のお子で、私は――こういうのナンテ言いましたか――そうそう、『妾腹』です。正妻さんもお妾も亡くなりましたが」
「そりゃ生々しいですわお姉たま」
「赤裸々に身の上語らんでもいいよ神幸ちゃん」
「お気になさらず。儀式みたいなものです、私にしたら」
――そう。
ようやく、口にできる心持ちになってまいりましたよ、お母さま。
二人スープをちびちび啜りながら、ひとしきりおじさまを交えてギャーギャー喚きました。
ご近所には迷惑をお掛けしております。心より陳謝申し上げます。
ひっそり佇んでいた個人タクシーのドアが開いて、ご老体と思しき小さな男性が降りました。
眠そうなお顔で、こちらへとよちよち歩み始めます。
屋台に辿り着いた見知らぬご老体を前にして――。
重力に逆らって夜中のお勤めに精を出す勤労のお人に、私は心から尊敬の念を抱きつつ――席を立って狭いベンチへ誘うと、
「お疲れ様です。こちらどうぞ」
言葉を送り出したのでございます。