秋晴れが続いております。
 平和な毎日、ありがたいことに、途切れることなくお客さんがいらっしゃっております。
 それでも赤字が解消されることは(多分永遠に)ありません。兄様の趣味ですから、私がとやかく言うことではないのですが。


 カラン、と表で鳴りました。
 やや肩を弾ませて、黒い鞄を提げた、びしょ濡れの男性が立ち竦んでおります。
 スーツ姿ですが、元が何色だったのかわからない濡れ具合です。

「宇宙戦艦ヤ●ト」のようなヘアスタイル。何かで見たことがあります。
 確か――「リーゼント波●砲」という髪型だったと思います(違うかな?)。
 ご存知でしょうか、お母さま。
 サングラスみたいなのを掛けてぶっ放すやつですよ。
「ナメンナヨ」というやつです。
 雨のせいか、黒髪の船首が若干お辞儀していらっしゃいます。
 モニタ越しに、私も思わずその船首へ向けて軽く会釈を返してみました。

 男性は鞄を床に置き、懐中からべっ甲? の(くし)を取り出すと、スッスッと光る黒髪を撫でつけ、大きく脚を開いて椅子に座りました。首筋から耳からダラダラ(しずく)が垂れます。
 ……あとでモップかけないと。

 壁の説明をさっと眺め、手元の『古代くん!(by 森●)』のボタンをパンッと叩きました。……初めてなの、優しく、優しくね♥

 森●——最初見た時は、二文字で「姓」なんだと思いました。「姓・名」なんですよね。

 受話器を持ち上げた男性は、意外とお年を召していらっしゃるような……。


☆☆☆


【ハロー!】
「ツイてない御苑へようこそ」
【うおっ! 雪だ、雪の声だ!】
「お知り合いで?」
【知り合いじゃねーけど、俺っちのマドンナだな!】

 マドンナ――よき響きです。

【俺っちの「ツイてない」聞いておくれよベイベ】
「おぎゃっ。存分に」
【? おぎゃってのはナンなら?】
「ベイベ、と仰ったので」


【俺ぁフリーのセールスマンさ、「伝説」と呼ばれてる】

「伝説」というものは、自身で口にすると成立するものなのでしょうか。

【新聞のセールス。完全歩合制だけど、しこたま稼ぐぜ】
「ああ、『拡張員』という」
【ダメ! 今どき「拡張員」なんて言っちゃダメ! 「セールスマン」だから!】

 どっちでもイイです。私としては。

【今日、傘持って出なかったんだ。で、こんな夕立にやられちまったぜ。ツイてねーだろう?】
「予報はご覧にならなかったので?」
【朝の天気予報では「晴れ 時々くもり」だった。降水確率10パーセント】
「ヤ●坊マ●坊の天気予報?」
【違う!】
「? 二人合わせてヤ●マーだー、って」
【「あ●たつー」だよ!】
「???」
【知らないの?! 令和だよ今?!】

 苛立たし気に、彼が片手でバンバン机を叩きます。
 おおう、けんかはやめてくださいよ、と脳内で注意してみたり。

「折り畳みの傘は常備していらっしゃらないので?」
【オレ、折り畳み嫌いなんだよ。だってあれ折り畳むだろ?】
「そりゃ折り畳みですから」
【鞄が膨らむのイヤなんだよ】
「ヤンキーの鞄はぺったんこですもんね」

 前のめりだった「伝説のセールスマン」が、つと体を引いてひと息つきます。
 まだ多少の雫がポタりとスーツに垂れていきます。

【……やんちゃは大昔に卒業したさ。いい年こいてそんなん自慢してるヤツはク○だ】

 雨に(まみ)れた顔を(ぬぐ)うでもなく、「伝説」は血色の良い顔で寂し気に笑いました。


「雨の日はお休みですか」
【朝から雨なら、仕方なく傘持って廻るさ。効率は悪ぃけど、在宅率は高いからな】

 さっきから気になっていました。新聞のセールスにしては、定番の「洗剤」が見当たりません。まさか、あのぺたんこな鞄には収まらないでしょう。

「拡材(※プレゼント品)は何をお使いに?」
【よく知ってるな、ひょっとして業界の人?……俺ぁ「チケット」さ。映画からお食事券から果ては歌舞伎まで。「ひと時の贅沢」を贈るんだ】
「歌舞伎? そんな高額な……景品表示法は遵守(じゅんしゅ)されているのですよね?」
【ギクリ!! なんてな! そこは抜かりないぜ、俺は真っ当な商売人だからな。カラクリは言えねーけど、なにしろ「伝説の男」だからさ、ダテに三十年生き残ってきたわけじゃねえ】
「『ズブ濡れ』の伝説では?」
【ッかやろう、今日はちょっとツイてなかっただけだっつの。傘さえ持ってりゃよう……】
「そこのコンビニで購入されては?」
【小金勿体無い。家に帰りゃあるんだし】

 折り畳み傘を持ち歩きたくないというと……。

「もう、カッパを常備するしか……」
【カッパ? シャバいな】
「ちょっと外套(がいとう)のような、英国紳士ぽくて恰好いい……『し●むら』あたりで売っていますよ、きっと(知らんけど)」
【ほんとかよ? ……外套、英国紳士か……】

 外套……やはり鞄に収まるとも思えないのですが……。


 レジェンドが顎に手をあてて考える人になります。
 雨に濡れたスーツも少し乾いてきたものか、元々の色——濃紺が渋く浮かび上がってきております。
 真っ黒い戦艦ヤ●トから軽く湯気が立ち(のぼ)っています。故障でしょうか。
 なるほど、レジェンド——尋常でない熱量が感じられます。


 しばらくの間、右足でタンタンッとリズムを刻みながら黙考しておりましたが、やがて、

【……悪くねぇな】

 小さく呟き、「にやり」と声に出して笑いました。


☆☆☆


【この辺に、しま●らなんてあったっけな?】
「浅草『新にゃか』にございます」
【そうかい? 「新仲見世」なあ……じゃ、ちょっくら寄ってみるか】
「お風邪などめされませぬよう――ゴッド・ブレス・ユー」
【おおっ、ありがとう! また寄らせてもらうぜい】

 立ち上がったレジェンドは、ひとつ「ニカッ」と笑顔を振り撒きました。
 モニタ越しに頭上から舞い降りる笑顔は思いの外眩しく、背後から大日如来の如く後光が差して見えます。
 ええー……?

 少年のようなお顔でした。
 (けが)れなき無垢(むく)な愛嬌が浮かんでいます。
 くるり背を向けると、再び櫛を取り出し御髪(おぐし)を直し始めました。


 ——「伝説のセールスマン」。

 あの笑顔を目にすると、「三か月くらいならとってみましょうか」となるのかもしれませんね。

 私は予想外に清々しい心持ちで彼の後ろ姿を眺めています。


 セットを終えると、彼は右手を天に突きだし、

「あばよ!」

 背中越しにひと言置いて店を後にしました。


☆☆☆


 ――果たしてかの店に、彼の目に適うカッパはあるのでしょうか。
 
 それは仏様のみぞ知る、というものですよね(別に神のみぞ……でもイイですが)。


 そもそもですが。
 やはり、折り畳み傘を持ち歩けば済む話だと思うのです。

 そうそう、「ヤ●トの中」に常備しておくとよいですよ。
 雨が降ってきたら、波●砲と一緒に飛び出して来るわけです。

 ああ! もっと早く閃いていれば、画期的なアイデアを言上できましたのに……実用新案登録もいけるのでは?!
 ね? お母さま。きっと、テレビの取材も……うひっ。