☆懐かしの名迷曲館へようこそ。
 本話の作業用BGMは、『涙のtake a chance』(風見慎吾 ※現 :しんご)。和製チョメチョメの金字塔。んーままでぇー……。
 N.Y.の路上にて独自にブレイクダンスを短期間で習得し、振り付けに惜しみなくその情熱を注いだ曲(ご本人談)。
 しんごちゃん、「日本に於けるブレイキンのパイオニア」と認識されているのだとか。
 今は「ブレイキン」って言うんですね。ブレイクダンスじゃないの。そっか……。
 イントロで、跳び上がって回転→からの開脚で着地するあのアクション。
「折れた?! っておったまげでしたね」(当時・関係者事情通による)。

 〆めは、『ザ・リフレックス』(デュラン・デュラン)。
 ワイヤイヤイヤイ……です。

(本話は2023年9月の執筆です)

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 ――猛暑日が途切れた間隙を()いて、お客さんがご来店です。
 
 淡いグレーのスーツに青い水玉模様のネクタイを締めた、老齢の会社員風。
 装いの色合いは涼しげでも、外は容赦ない真夏日。
 クールビズが行方不明です。

 陽炎の如く、ゆらゆらと波のように揺れながら、戸口に立ち竦んでおりました。

☆☆

 音も無くゆらりと椅子へ忍び寄り、静かに腰を下ろしました。
 
 残暑に似つかわしくない青白い相貌を向け、説明書きを眺めます。


 暫くの間、焦点の定まらない――昏く深い漆黒の(まなこ)を彷徨わせておりましたが。
 やがて、

『お前なんか男じゃない――お●こおんなのトミコ!』※1

 というボタンを、力無く押下したのでございます。
 


【……こんにちは】
「こんにちは。ツイてない御苑にようこそ。この声は、松崎さんですか?」
【ええ。今日は「松崎しげるの日」ですから】※2

 カレンダーをちらと見やると、なるほど本日は九月六日。
 ――黒の日、でしたか。


 いつの間にか、卓の隅に小さな缶コーヒーが鎮座しております。

「ひょっとして――武藤(無糖)さんてお名前で?」
【いえ、尾藤(微糖)です……って、この(くだり)カット(編集)してください】

 無表情で両手を捧げ、カニの如くチョキチョキやってみせます。
 ああ、そのポーズ、テ●ビ東京で見た事ありますよ(※どこの局も満遍なくやってます)。

「ご心配なく。守秘義務は当然――」

 尾藤さん、背(もた)れに体を預けると、硬い動きでブラックなコーヒーをひとくち啜ります。
 さながら、モーター音を発するロボットのような所作でした。
 あ、ブレイキン……?



 軽く息をつき、微妙に視線をズラすと、

【今、求職中でして……】
「左様でしたか」
【三十(歳)で入社して二十年勤めた会社が、潰れちゃいました】
「あちゃー」
【無職という境遇を心が受け入れた頃、やっと目が覚めました……なかなか、ブラックな会社だったんです】

 現実は無糖(甘くない)。
 てか、五十歳? 見た目は還暦を越えていますけど。

 旺盛(?)な銀髪を、まじまじと見詰めてしまいます。

【不眠不休で働きました。何かに急き立てられるように……それが当たり前と信じて疑わなかった……】

 世に聞く「洗脳」というものでしょうか。

【好きでもない苦いコーヒーを、カフェイン摂取の為だけに飲み続けましたよ】

 握り締めた缶コーヒーを、冷めたお顔で見下ろします。

【未だに習慣(くせ)が抜けない……】

 徐に顔を上げ、

【私は「23号」でした】
「え?」
【社員は皆、番号呼ばわりなんです。入社直後の研修(※自己否定研修)で、特に出来が悪い社員は「3」が付く番号に……「3」と「13」と「23」号、「お前らは『アホ』になれ」ということです】
「3の倍数は?」
【我々「3」に準じたアホ扱いです……私と24号は、よくセットで糾弾されました】
「あああ。にじゅさんにじゅし! でアホになりゅ……」



 社員各自「マイ寝袋」を常備、有給を取ると日給1万天引き(有給とは?)、エアコンは来客時・応接室のみ稼働、PCが古い、「仕事は見て覚えろ(マニュアル不在)」、離職率が異常、年中求人出てる、罰金制度(※違法)、チャリ通勤を強要(経費削減)etc……。
 
 尾藤さんは、流れるように(会社の)暴虐ぶりを詠唱しました。
 中空に怨嗟の黒い魔法陣が構築されていきます(※妄想)。

【朝の挨拶が「申し訳ございません」でした】
「ひぇ……」

【4時間を超える残業が続くと、暴力的になったり、体調不良を引き起こし易くなります】
「……」
【何もかも、「これが普通」と思ってたんですよね】

 俯く彼の目は、光を失ったまま。

「会社が潰れて解放されたワケで……」
【それも、果たして良かったのかどうか……よく、分かりません】

 小さく瘧を吐くと、

【求職……書類審査で弾かれる事も多くて、中々……】
「左様で……何がアレなんですかね」
【恐らく、50という年齢と……。よくよく考えたら、自分には「これ」というスキルが「なにひとつ」無いのです】

 カクンと肩を落とすと、ゆっくり項垂れていきました。
 まるで、実刑を宣告された被告人のように――。

【元々何も無い人間で……そして結局、何も残らなかった……】



 掛ける言葉が見当たらず。
 執行猶予は?! 違うな、えーと……。
 何か気休め……じゃなくて、気の利いたアレを……ううーん。
 もういっそ、サイコロトークでもしましょうか。間が持てないし。

 ……なんでこんな焦るんだろう。



【そろそろ失業手当も……この間、久し振りに面接に臨みました。これが駄目だったら……】

 下を向いたままブツブツ呟く尾藤さんの旋毛(つむじ)を、穴が開くほど見詰めるだけのドリル神幸(わたし)


 ――突然。
 生前の父が晩酌しつつ寂し気に漏らしたひと言が、脳裡にフラッシュバックいたしました。
 あれは、亡くなるほんの数日前――。

「あの……これは、死んだ父の言なのですが……」
【…………】
「『歳を重ねるのも一種の才能(スキル?)』なんだそうです」

 尾藤さん、パッと(おもて)を上げました。

【才能……? 年を()るのが?】
「だ、そうです。突っ込んで聞かなかったので、真意は不明ですけど」

《――なんで突っ込まなかったの? そこ大事なトコでしょ?》

 ……って風な、尾藤さんの切実な瞳が心中に突き刺さります。
 誠に申し訳ございません。
 えと、多分、若い人より……んんー?……いや、生きていればこそ……ほーん?


 能面のまま硬直した尾藤さん、その視線は何処を彷徨っているものか。

 
 長い沈黙に私のメンタルが溶けかかった頃合いで、着信音がフロアに轟きました。
 私の体が一瞬宙に浮き、喉奥を心の臓が圧迫します。

 彼がスマホを取り出し、じっと画面を見詰めると。

【……ちょっと失礼しても?】
「どぞどぞ」

 尾藤さん、足早に店外へと消えます。
 私は急いで黒い「アレ」を吐き出しました。





 ――数分後、心持ち紅潮したお顔で座り直した彼は、

【……これは?】
「えと、小店からサービス、と申しますか」

 卓上に増えた缶コーヒーを手に取り、

【……恐縮です】
「甘~いカフェラテですよー」

 眉が微かに動き。
 (おとがい)を上げると、さざ波のように微笑んでプルタブを開けます。


 時間を掛けて全て飲み干すと、深く息を吐きました。
 瞳が淡い光を放っているようです。

「……良い知らせだったり?」

 ひそーり問い掛けると、彼は深く頷き、口元を緩めました。

【はい。やっと……決まりました】
「それはそれは……おめでとうございます」

 尾藤さんはひとしきり無言で頭を掻くと、照れたように掌で片目を覆いました。
 魔眼も疼きますよね。うんうん。

【あ、ありがとうございます!】

 生気のこもった力強いひと言に続けて、小さく囁きました。

【……今夜は自分を祝っちゃおっかな……】

 もう片方の目も覆うと、両手が小刻みに震えます。

「あー鰻重食べたいぃー」
【なんだか今! ゴジラにも勝てそうな気がしています!】
「前世の記憶が甦りました?」
【いえ、単に気分です】
「ふふ。そんな大物相手、コブラに揶揄われちゃいますよ?」

 確か、松崎さんは映画版(アニメ)で声をあててらっしゃいましたよね。※3

「『やめとけ――』」 
【あ】

 ひと呼吸ののち、

「『――給料安いんだろ?』」
【「――給料安いんだろ?」】

 奇跡的にハモっちゃいました。

【うっ】

 尾藤さん――。
 ご自身で言っといて、大袈裟に胸を掻きむしります。
 
 お互い、マジックミラーを無視するように視線を交じえると。
 同時に吹き出したのでございます。




「ゴッド・ブレス・ユー」

 新しい職場、「微糖」くらいだといいですね。
 ね、お母さま。
 
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※1 ドラマ『噂の刑事 トミーとマツ』(TBS系列)より。マツがトミーを鼓舞するお約束の台詞。
※2 まさかの日本記念日協会認定。
※3 『SPACE ADVENTURE コブラ』(1982年)コブラ役。

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 寺沢武一先生。
 
 コブラもゴクウも最高でした。
 素敵な作品をありがとうございました。