☆本話の作業用BGMは、『もうだいじょうぶヒステリー』(バービーボーイズ)でした。
 その昔、タイトルも知らぬまま聴いていた曲。こんなんでしたか。
 締めは『街』(SOPHIA)。これしか知らんのです。松岡さんごめんなさい。

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 深夜の散歩も、Tシャツにスウェットで繰り出せるようになりました。
 ()き季節になりましたね。
 深い呼吸を繰り返しても、青臭い匂いに嫌悪を感じない今日この頃ですよ、お母さま。




 日本中を埋め尽くす涙のような――なんて大袈裟なものではありませんが、先週までの好天と打って変わり、朝からしとしと雨が降り続く週明け。
 このまま梅雨入りしそうな塩梅でございます。

 夕暮れが急いた感じの開店直後、最初のお客さんがご来店です。
 いつもより暗い夕空を背に足を踏み入れたのは、薄着の女性でございました。
 胸元が開いた長袖の白いブラウスに黒のタイトスカート。ベージュのストッキングをきちんと履きこなした、一見オフィスレディ風。小さなショルダーバッグがくびれをフォローするように収まっております。
 

 柄モノの傘をケースに立てると、少しふらつきながら椅子へ腰を下ろします。
 取説を眺める白いお顔はちよと疲弊気味、栗色に輝くショートカットは毛根に元気が足りないのか、うっすら湿気を纏って張りが感じられません。
 マジックミラー越しに窺える目許には、微かに隈のような……。
 年齢は……30前後……かな?
 無表情ですが十分お綺麗ではないでしょうか。

 やがて押下したのは、『だ~れのせい~でもありゃしないぃぃ~』※1

 というボタン。
 これまた玄人好みのチョイスで。
「叩け! 叩け!」の人ですね。※2
 スパンキングではありません、念の為。

【こんにちは】
「こんにちは。ツイてない御苑へようこそ」
【素敵。ビトウさん】
「渋いですよね」
【父が昔、似てると言われたみたいで】
「リーゼント波●砲だったんですか?」
【リ?】


 お話を伺った限りでは、どうもツイてない「お兄様」のお知り合いのようです。
 何気にあの人、あちこちで宣伝してくれているようであります。
 まあまあ役に立ってくれてますね。今度、なにかお礼を(覚えてたら)。


【夜勤明けで、ひとり「花やしき」に行ってきたのです】※3
「ひとり遊園地……この空模様で?」
【知り合いは誰も都合がつかなくて。でもお陰で、思う存分ローラーコースターを満喫できました】
「お好きなのですか?」
【ええ。今日は5周ほど――】
「5周……」

 マニアでしょうか。
 狭い園内を器用に走る、「あっ」という間のコースターですが、5周はなかなか……。

【最後は乗ってるの私だけでした】
「♪アァー居残りーだ」
【愛のコリ●ダ?】※4

 

 女性が前髪をかきあげ、そのままピンで留めちゃいました。
 雨の名残が一筋流れ落ちます。
 おでこが全開になったお顔は若干幼く見え、少しだけ精気を取り戻した感じで桃色に染まります。

 照れた風に微笑むと、

【傘じゃなくて、蓑傘(みのかさ)にすれば良かった……】

 恥ずかし気に身を捩ります。
 え。そこ?

「蓑傘?」
【レインコートみたいな感じで】

 蓑傘をレインコート呼ばわりとはこれ如何に。
 令和…………。

【私、来月結婚するんです】
「それは――(おめでとうございます)」

 またやっちまいました。
 どうして素直に口に出来ないものか。


 女性は唐突なひと言を呟いた後、何故か「今日の雨は私の所為なんです」とでも言いたげなお顔で俯きました。

【……多分、この雨は私が降らせたんだと思います】

 惜しい。
 てか、水属性魔法の遣い手?


 ふいに。

【ちょっと……彼と喧嘩というか、言い争いを……】

 言い差すと、耳元の髪を何度も何度も梳いてみせました。



 女性は言葉を選びつつ、という感じで、それはそれは慎重に身の上を語り出しました。

【私の一族は、子を産むと命を落とす危険が……】

 産後の肥立ちが悪く、母体に深刻な影響が出るのだそうです。
 彼女の一族(主に女性)は、体質的な問題を脈々と受け継いでいるのだとか。
 ●●なる一族……のDNA恐るべし。

【彼もそのことは承知のうえで……だから、無理に産まなくてもいいよって……。でも、私はやっぱり……】

 何度もそんな遣り取りを経たうえで、昨日も一際大きな言い争いに――。


 重い。
 ローラーコースターの枕からよもや、かように重いお話になるとは。
 本気で弱りましたよ、お母さま。
 核心部分は語れない――いやというほどの圧を感じます。

【幸運なことに、いまはとある施設で、この一事について研究させていただいております。あともう少しなんです。もう少しなんですけど……】

 消え入るような声で絞り出すと、俯いたまま肩を震わせます。
 私は、掛ける言葉もなく。
 思わず――

「……誰の所為でもありゃしない……」

 どーでもいいひと言を、ビトウさんの声で漏らしてしまいました。
 この後に続くのは確か、

『みんな オイラが悪いのか』

 という歌詞です。

【…………私が欲張りなんでしょうか……】

 零れるようにポツリ。

「――そんなことない…………そんなことないよ!」

 反射的に、語彙が消し飛ぶような事しか言えませんでした。
 
 ゆっくり顔を上げた女性は、潤んだ瞳で真っ直ぐにこちらを見つめるのでした。





「ゴッド・ブレス・ユー」

 彼女は、すっきりしないまま締めの台詞を吐いた私(こちら)を憮然と見やり、

【――いま、なんて?】
「え? えと、ゴッド・ブレス・ユー――神のご加護を、と」
【…………神の……加護…………】

 光を喪った瞳で呟くと、

【……どこかで、聞いた事ある……】


 何某かのスイッチが入ったものか。
 乱暴な所作でバッグに手を突っ込むと、スマホを拾い上げて即座に指をカツカツと打ち鳴らしました。
 ぱっと耳にあて、

【あ?! 美冬ぢゃんんっ!】

 おや? 聞き慣れた御名前が?
 と訝しむ間もなく、彼女は――。
 受話器を置いて傘を手繰り寄せると。
 脱兎の如く外へと走り出たのでございます。





 夜半、霧雨の中、わざわざ爽太くんが寄ってくださいました。

「こんな雨の中を……」
「今週は、いつ晴れるかわかりませんから」

 青白い顔で微笑む爽太くんは、傘を立てる際、金具に爪を引っ掛けてしまい。
 見ると、薬指の爪が一部欠けております。

「こりは危険が危ない。すぐに処置いたしましょう」

 脳内で「ベン・ケ●シー」のテーマが流れます(懐古的表現)。

 
 私はソファに腰掛け両足をガバと開き、嫌がる(?)爽太くんを股の間に座らせました。
 背後から二人羽織りの如く爪切り(ヤスリ部分)をあてます。
 これでもか! と胸を押し付けるわけですが。

「ひ、ひとりで出来ますけど」
「まあそう仰らず。この折に甘えてチョンマゲ」
「……赤ん坊みたいで恥ずかしい……」

 さすがに小学六年生で赤ん坊とは……。
 てか、予想外にしんどい。
 密着しても見辛いな、くそ。
 健やかに成長しているのですね、爽太くん。
 わんわん!


「大丈夫ですか神幸さん」
「これも修行ですから(?)」

 エロくない――大丈夫、エロくないよ……エロくない……エロく……エロ……エロエロ……いやいや。

 心中は意外と穏やかです。
 ジョブに集中できております。
 爽太くんの心音はハッキリ響いておりますが。
 

「……爽太くんは」
「はい?」
「結婚したら、子ども欲しいですか?」
「な?!」

 音がするような勢いで耳まで真っ赤になり。
 いつもサラサラの黒髪が、一瞬だけスーパーサ●ヤ人のように白く逆立ちました。
 ミラクル。

「もうですか?! 神幸さんがお縄になっちゃう!」
「あいや、今すぐ(イタしましょう)というお誘いでは――」

 ちょっと心地いい……。
 欲求不満が刺激されるというよりは、どこか満たされた心持ちになります。

 私にもいつか、こうして自分の子を――子どもの爪を切る日がやってくるでしょうか、お母さま。

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※1『悲しき願い』(尾藤イサオ)。リキ入ってます。いかす!
※2『あしたのジョー』(同)のOPより。
※3 日本最古の遊園地|(らしい)。浅草のワンダーランド。
※4 『愛のコリーダ』クインシー・ジョーンズ版(カヴァー)が好きです。