☆本話の作業用BGMは、『メモリーグラス』(堀江淳)でした。
 割と好きな曲です。周囲のウケはあまりよくありませんでしたが。
「水割りを~」で始まるお歌ですが、ご本人は水割りが苦手で、「お湯割り好き」を公言しているという。
 いっとき死亡説が流れたそうですが、「生きてますよツアー」なるものを挙行して健在をアピールしたのだとか(by ウィキ)。
 エロエロ知りませなんだ。そんなデマは「~飲み干してやーるわ~」ということですかね。

ーーーーー

 
 新年度最初の月曜日。
 夕方いつものように、(だる)い身体を引き摺りつつ離れを出ますと。
 黒のタンクトップを粋に羽織った、つるつる頭に黒いサングラスのおっさん(らしき)が、のっそり山門を潜ってくるのが見えました。
 偶にやって来る男性です。同区内・同宗派の住職。
 こちらに気が付くと、サングラスをとって破顔しました。

「よう神幸ちゃん、出勤かい? 俺も今度寄らせてもらうぜ、なんてぇクラブだったっけ?」
「ご機嫌ですねおじさん。残念ながら飲み屋さんじゃないのですよ」
「そうかい? てっきり水商売だと思ってたよ」

 はっきりご説明申し上げられないので仕様もないのですが。
 こういった誤解はよくある事でございます。

「なにか良い事が?」
「ん? ああ……昨日、タケ(武豊)のお陰で、ちょっとな」

 目許のニヤニヤが止まりません。目ヤニも埋もれ掛けております。
 抑えきれないこの想い――余程儲かった(※中央競馬)のか、幸せが溢れまくっております。
 昨日からこんな調子なのでしょうか。

 本業の喜びではないというのが、日常ぽくて少し羨ましい。
 まあ私も、本業で喜ぶということは殆ど無いのですけども。

 
 快晴のもと、舞い散った桜花(おうか)が重なる道を、心持ちウキウキで踏み締めます。
 気持ち良く御苑に引き籠れそうですよ、お母さま。


☆☆☆


 開店後ほどなく現れたのは、晋三でした。
 黒いジーンズに黒シャツという軽装。
 なぜか、視線を上げながらの入場です。
 天井付近にいらっしゃるのでしょうか、妖精さんとか。


 勝手知ったるナントやら、真っ直ぐ椅子に腰掛けると、即座にボタンを押下いたしました。

『ウ●スキーがお好きで?』

 質問形です。「しょ?」は単身赴任中ですかね。

【こんにちは】
「はいこんにちは、ツイてない御苑でーす。私の記憶が確かなら、未成年(酒はダメ、の)でしたよね」
【ええ、飲みませんよ。まあ、CMのあの女優さんに話を聞いてもらいたい、というか……】
「ふうん。新年度だというに、余裕ですねお客さん」
【……時間はありますから……】

 視線は変わらず、微妙に上方へ向けられています。
 




 晋三は――上を向いたまま、なかなか口を開きませんでした。
 時折、音も無く深呼吸を繰り返します。
 放送事故か? という塩梅ですが、なんとなく私も黙って待ってみました。


 晋三の口元が何度か逡巡し、

【――春が、来てしまいましたね……】

 なんかのフラグでしょうか。そんな溜め息混じりに。

【……先般、おみくじを買い求めまして】
「ほう。何処(いずこ)で?」
【下谷の三●神社です。ご利益あると耳にして……】

 御祭神は大山祇命という、かの神社――。
 その昔、「雷を封じ込めたため、雷が落ちなくなった」と伝わる「雷の井戸」があるのだそうです。
 伝承から所謂、

【――「落ちない」神社として有名らしいのです。御朱印もいただいたのに……】

 ずうっと()れていたところ。
 ようやく核心に近付いたようです。

「ふむ。それで?」

 晋三から「うっ」という声が漏れます。
 あさってを向いたまま。

 ひとつ深呼吸して、

【えと、いわゆる……平たく申しますと……大学、落ちちゃいまして……】
「…………左様か。それはツイてないな」

 晋三の身体は、分かり易くブレました。
 直球過ぎたでしょうか。反省(※少しだけ)。
 まあどの道、多少は重い空気にもなります。

「あれか、話題の白百●女子大?」
【僕これでも男なんですよ】
「ゆ●こりん、昔好きだったろ?」

 確かそんな記憶があります。

「『あの』妄想金髪彼女は?」
【妄想じゃないですよ⁈ いや多分妄想じゃ……】

 どうしたのだYo晋三。こんなボケで現実も揺らぐのか?
 表のツーショット写真はなんなのさ。


 ヘタレが黙り込んじゃいました。
 なんとなく構えてしまいます。「デトロイトスタイル」で。
「は●めの一歩」で、確か宮田くんがやってました。
 私は左投げ左打ちなので、右の拳を下げ気味に。
 左構えというヤツです。

【……彼女は、理容の専門学校に進学です】

 辛うじて戻って来た晋三は、やはり目を合わせず呟きました。

「美容じゃないの?」
【理容です、床屋さんになりたいのだそうです。実家は理容院なんですよ】
「ほーん」
【お店の「ゴ●ゴ13」と「湯煙りス●イパー」全巻読破したいとかで】
「照れ隠しか。しかし、女性は体温高めだから中々難しいと聞いたぞ?」
【……そりゃ寿司職人でしょ】

 憂いを乗せた声が返って来ました。

「失礼。……パンツ汚れてんの?」
【新品です】

 嘘でもなさそうな。
 下着は異常なしです、隊長。

【僕はしがない浪人生ですよ……】
「…………そっか」

 晋三が普段どう過ごしているか存じませんが、大学落ちるとは頭の隅にもありませんでしたよ、お母さま。

【……慢心……】
「ん?」
【予備校でA判定を頂戴して……ゴール前で少し緩んじゃったんです。彼女は心配してましたが、当の本人は、なんか気が大きくなっていて……】

 じっと天井を見詰めたまま……やがて鼓動も止み……じゃなくて。
 まじまじと、水墨画のように枯れたフルショットを眺めてしまいます。
 




 ヤツが入場してきた時から、ちよと違和感はありました。
 いつもと入場曲が違う――ではなく、暗鬱(あんうつ)とした空気を抱えているようには見えなかったのですが……。
 
【……来年は、ゆ、油断せず――】
「――横断歩道でさ」
【はいぃっ⁈】

 素っ頓狂な声を上げます。

「信号が点滅しだすと、皆走り出すだろ?」
【……はあ】
「厳密には『赤』扱いになるから、渡っちゃ駄目らしいが……まあ、気持ちは分かる」
【…………】
「でも、渡った人は()()()()、渡り切る前に『歩き出す』んだよ」
【…………】
「なぜ。走り切らないのだろうな」

 きょとん顔で、さらに(おとがい)を上げる晋三。

【はあ……】
「野球でさ」
【今度は野球ですか】
「内野ゴロ打ったら、普通一塁へ全力疾走だ」
【ええ】
「一塁を走り抜けない選手は皆無だろ?」
【そう……ですね】
「一塁ベース手前で歩く阿呆はおらんだろが」
【…………】

 なにを今更、とでも言いたそうに、晋三が眉を顰めました。
 自分でも何を言っているのか分からんくなってまいりました。が。

「中途半端に引き摺るなよ。晋三のくせに」

 晋三の喉から、「こきゅっ」という音が漏れました。
 
「落ち込むときはとことん――どん底まで落ちた方が、回復は早いそうだ」
【…………】
「家で独り泣く方がいいのだろうが……それはもうやったか」
【…………はい】
「……まあ、折角、こんな密室にやって来たんだ」

 一瞬、白眼になる晋三。
 
「『ややMっ気のある』少年よ。遠慮は無用だ。『プレイ』として(しか)と見届けてやろうじゃないか」

 晋三の顔はみるみる内に青ざめ――。
 ゆっくり視線を下ろすと、今日初めて目が合いました(気がします)。
 
 ――で。ぽろって。
 両目から零れたわけです。何某(なにがし)かが。

【……み、水割りを、くださ~――】
「童貞に飲ませる酒など無い」
【ええっ⁈ こ、今夜は、思い切り、よ、酔ってみたーいの……】

 途切れ途切れな言葉を聞くうち、今夜くらいは飲んでも(未成年とはいえ)いいような気がしないでもないような心持ちに……。





「――ちょっと、羨ましいな」
【?】
「働くのが一年延びたわけだろう。労働の義務が不要なら、私もずーっと学生でいたいよ(心の叫び)」

 ――何が彼の琴線(?)に触れたものか。
 見開いた目で私の愚痴をまともに受けた晋三は――。
 やがて滝のような涙を両目から放流し、おーいおいと大音声(だいおんじょう)で泣き出したのでございます。


「……えーと、ゴ、ゴッド・ブレス・ユー?」

 今日はこれで仕舞いかもしれませんよ、お母さま……。