「え?」

 学校から帰ってきて、私は自室に入った瞬間に驚きの声を上げた。目の前で美味しそうにプリンを食べている天使に、戸惑いつつもなんとか疑問をつぶやく。
 
「あの……どうして……こ、ここで、くつろいでるんですか?」
「うまいな、これ。すげー、うまい」

 私の質問ではなくプリンの感想を満足げに述べて、「ごちそうさまでした」と空になった容器に手を合わせている。それは私が楽しみに取っておいた卵たっぷり高級プリンだった。

「どうやって私の……」

 部屋に入ったのか。そして、どうやって冷蔵庫からプリンを持ち出したのか。聞きたいことがあり過ぎて、うまく言葉が出てこない。

 それに、屋上で『俺を好きにさせる』と宣言された言葉を思い出すと、恥ずかしさで途端に頬が熱くなった。

「ちゃんと玄関からお邪魔したよ。でも、澪以外に俺の姿は見えてないんだ」
「そ、そうなんですか?」

 天使とは、神と人間を仲介する役目を持つ存在で、肉体を持たないらしい。そして、その存在を認識した人間にのみ、天使の意識体が見えるのだという。

「でもそれだと、天使を信じてる人には、うっかり見えてしまうんじゃ……」

 私がそう問い掛けると、彼が初めて出会った日に見せた身分証をポケットから取り出した。

「これの提示で、天使がその相手に姿を見せる事、つまり自分への認識や記憶を了承した証になる」

 私が初めて彼に出会った日。確かに彼は『もう身分証を見せましたよ!』と怒っていた。あれは、そういう事だったのかと納得する。

「それから、これを見せた相手とは触れあう事もできる」

 そう言って伸ばされた手が、ポンポンッと私の頭を撫でた。

「これからしばらく、一日数時間は澪に会いに来るつもりでいるから」

 やはり、どうしても記憶を奪わなければいけないようで、あの日の宣言通り、好きにさせる事が目的らしい。

「改めて、自己紹介。俺の名はヒスイ。そう呼んでくれればいいよ」
「ヒスイさん」
「うん。人間の年齢でいうと、二十一、二歳くらいかな……。悪魔が攻めて来たり、そういった天界の有事の際に、最前線に出て戦うのが俺の本来の仕事なんだ」

 勉強机の前の椅子に腰掛けたヒスイさんが自己紹介をする。私はベッドに座りそれを聞いていた。

「あの……。ヒスイさんは、天使なのに黒い服なんですね。天使って、翼があって頭上に金の輪っかが浮いているイメージだったので」

 気になっていた事を尋ねると、「ふふっ」と声を出してヒスイさんが笑う。

「変な質問ですか?」
「いや、そうじゃないよ。ただ、人間の天使のイメージって、やっぱりそれなんだなと思って。澪の言う通り、もともと天使はみんなそうだったらしい」
「らしい?」
「うん。俺が生まれる前の古い時代はそうだったみたいなんだ。時代の変化と共に、天界もだいぶ様変わりして、今の天使教会は白い隊服で統一されてる。人間界も昔と今じゃ、生活様式がだいぶ変化してるだろ?」

 そんな風に天界も、人間の世界と一緒で時代と共に色んなものが変化しているのだとヒスイさんは言う。もっと不変の世界なのだと思っていた私は意外な内容に驚いてしまった。

「そんな天使の中で唯一、戦闘を目的とした『悪魔討伐本部』だけが、黒の隊服を着てるんだ」
「どうしてですか?」
「黒は、俺たちの部隊にとってのプライドだから」

 そう言って、ヒスイさんが自身の隊服へと視線を向ける。

「黒がどうして誇りなのかは、また今度話すとして……。今日は、澪の事をもっと知りたいと思って」
「私……ですか?」
「うん。澪が好きなもの、それから楽しいと思うこと。それが知りたいんだ」

 落ち着いた低音の声で穏やかに話してくれているせいか、ヒスイさんの前でそれほど人見知りが発動せずにいられているような気がする。きっと私を怖がらせないように、気にかけながら口調を和らげてくれているのだろうと思った。

 その気遣いが嬉しくて、でも同時に、それは全て記憶を奪うためなのだと思うと胸の奥にまたチクリと痛みが走る。
 私はその痛みに気付かないフリをして、自分の大好きなものについて話した。

「星が好きで、天文部に入ってるんです」
「星か。神話の元になってるし、俺も好きだよ。それに、天使はみんな星座に詳しい」
「そうなんですね!」

 ヒスイさんの返答に、私は声を弾ませる。話す事が苦手でも、大好きな星座の事ならスラスラと言葉が出てくる。親友の舞衣ちゃんにはいつも、澪は根っからの星座オタクだと言われていた。