「俺たち天使の記憶は、絶対に人間に残しておけない。必ず、君の記憶から完全消去しなきゃいけないんだ」
話の内容に、私はギュッと掌を握り締める。
恐らく、天使に関する記憶を消すための行為が、あの時に彼がしようとした唇と唇を重ねる事なのだろう。その予想はついていた。
「ちなみに、俺がそれをしなくても他の天使がそれをやりに君の所にやって来る。今よりもっと、強引な方法で唇を奪いにくる」
続いた彼の言葉に、体が小さく震えた。
初対面のよく知らない相手に初めてのキスを奪われるなんて……。
「卑怯な言い方だけど、それをされた記憶ごと君の中から消えるから、傷付いた心も、傷付けられた行為も、一応は両方消えて無かったものになる」
例えそうだとしても、誰かとキスを交わす。それは初めての彼氏と思い描く、私の憧れだった。それなのに、突然そんな事を言われても、すぐに了承など出来るはずがない。
「私は……。私は、好きな人としか……そんなこと……したくない」
どうにか言葉を引っ張り出して思いを伝える。想像するだけで、涙が浮かんだ。
「ごめん。そんな顔、させたい訳じゃないのに……」
彼の言葉が途切れ、二人の間を沈黙が通り過ぎていく。
屋上に一際強い風が吹きつけて、瞬きをすると瞳の中いっぱいに溜まっていた涙が溢れて私の頬をつたい落ちていった。
「あ、」
気付かれないように、横を向いて私は涙を拭う。けれど、止めようと焦れば焦るほど自分の意思に反して涙がとめどなく溢れてくる。
どうしよう。
泣きたくなんかないのに。
手の甲で何度も何度も目元を擦り、私は必死に涙を拭った。
その時、不意に後ろから背中越しに優しく抱き締められ、逞しい腕が私の体を遠慮がちに包み込む。
「顔、見えてないから我慢すんな。……見ないから、泣いていいよ」
高い位置からそっと告げられた言葉で、なんとか堪えていた気持ちが欠壊してしまう。彼に後ろから抱き締められたまま、私はただ静かに涙を流した。
しばらくしてようやく涙が止まり、私は「落ち着きました」と彼に背を向けたまま小さく告げる。体を優しく包み込んでいた腕が、そっと私の体を解放した。
「どうすれば、これ以上君を傷付けずにすむのか考えてたんだ」
「え?」
「好きな人としか……その行為をしたくないんだよな?」
「は、はい」
うなずく私と彼の視線が、真正面から重なる。
「俺のこと、好きになってくれるように努力するよ」
「え?」
「君が……澪が、俺を好きになるように、これから毎日会いにくる」
「ま、毎日ですか?」
あまりの急展開に呆然とする私に向かって、彼が力強く宣言した。
「俺を、好きにさせてみせるよ」
その時、午後の授業開始五分前を告げる予鈴が聞こえた。
「あ、あの……。わ、私、教室に戻ります」
逃げるように背を向けて走り出すと、後ろからまた彼の声が響く。
「澪! また来るから!」
私は振り返る事ができずに、屋上から続く階段を駆け降りていく。
誰かにあんな風に抱き締められたのも、誰かの前であんな風に泣いたのも、何より「好きにさせてみせる」と宣言された事など生まれて初めてで……。
どうしよう。
頭の中が混乱する。
必死に事態を理解しようとするけれど、心がまったく追いつかない。
『俺のことは、完全に忘れてもらわなきゃ駄目なんだ』
また、初めに聞いた言葉が脳裏を過ぎる。
もし、彼を好きになったとして……。
もし、好きになってしまったとして。
そのすぐ後に、私は、好きな人を忘れてしまうの?
不意に浮かんだ疑問で胸の奥に痛みが走る。気付けばまた、泣き出しそうになっている自分がいた。
話の内容に、私はギュッと掌を握り締める。
恐らく、天使に関する記憶を消すための行為が、あの時に彼がしようとした唇と唇を重ねる事なのだろう。その予想はついていた。
「ちなみに、俺がそれをしなくても他の天使がそれをやりに君の所にやって来る。今よりもっと、強引な方法で唇を奪いにくる」
続いた彼の言葉に、体が小さく震えた。
初対面のよく知らない相手に初めてのキスを奪われるなんて……。
「卑怯な言い方だけど、それをされた記憶ごと君の中から消えるから、傷付いた心も、傷付けられた行為も、一応は両方消えて無かったものになる」
例えそうだとしても、誰かとキスを交わす。それは初めての彼氏と思い描く、私の憧れだった。それなのに、突然そんな事を言われても、すぐに了承など出来るはずがない。
「私は……。私は、好きな人としか……そんなこと……したくない」
どうにか言葉を引っ張り出して思いを伝える。想像するだけで、涙が浮かんだ。
「ごめん。そんな顔、させたい訳じゃないのに……」
彼の言葉が途切れ、二人の間を沈黙が通り過ぎていく。
屋上に一際強い風が吹きつけて、瞬きをすると瞳の中いっぱいに溜まっていた涙が溢れて私の頬をつたい落ちていった。
「あ、」
気付かれないように、横を向いて私は涙を拭う。けれど、止めようと焦れば焦るほど自分の意思に反して涙がとめどなく溢れてくる。
どうしよう。
泣きたくなんかないのに。
手の甲で何度も何度も目元を擦り、私は必死に涙を拭った。
その時、不意に後ろから背中越しに優しく抱き締められ、逞しい腕が私の体を遠慮がちに包み込む。
「顔、見えてないから我慢すんな。……見ないから、泣いていいよ」
高い位置からそっと告げられた言葉で、なんとか堪えていた気持ちが欠壊してしまう。彼に後ろから抱き締められたまま、私はただ静かに涙を流した。
しばらくしてようやく涙が止まり、私は「落ち着きました」と彼に背を向けたまま小さく告げる。体を優しく包み込んでいた腕が、そっと私の体を解放した。
「どうすれば、これ以上君を傷付けずにすむのか考えてたんだ」
「え?」
「好きな人としか……その行為をしたくないんだよな?」
「は、はい」
うなずく私と彼の視線が、真正面から重なる。
「俺のこと、好きになってくれるように努力するよ」
「え?」
「君が……澪が、俺を好きになるように、これから毎日会いにくる」
「ま、毎日ですか?」
あまりの急展開に呆然とする私に向かって、彼が力強く宣言した。
「俺を、好きにさせてみせるよ」
その時、午後の授業開始五分前を告げる予鈴が聞こえた。
「あ、あの……。わ、私、教室に戻ります」
逃げるように背を向けて走り出すと、後ろからまた彼の声が響く。
「澪! また来るから!」
私は振り返る事ができずに、屋上から続く階段を駆け降りていく。
誰かにあんな風に抱き締められたのも、誰かの前であんな風に泣いたのも、何より「好きにさせてみせる」と宣言された事など生まれて初めてで……。
どうしよう。
頭の中が混乱する。
必死に事態を理解しようとするけれど、心がまったく追いつかない。
『俺のことは、完全に忘れてもらわなきゃ駄目なんだ』
また、初めに聞いた言葉が脳裏を過ぎる。
もし、彼を好きになったとして……。
もし、好きになってしまったとして。
そのすぐ後に、私は、好きな人を忘れてしまうの?
不意に浮かんだ疑問で胸の奥に痛みが走る。気付けばまた、泣き出しそうになっている自分がいた。