「見つけた。奥井 澪」
一歩、また一歩。彼がこちらへ近付いてくる。
私の脳裏に、キスをされそうになったあの日の出来事が浮かんできて……。
逃げなきゃ!
私は焦って立ち上がり走り出した。それでも、すぐに距離を詰められ彼に腕を掴まれてしまう。
「は、離して、下さ、い」
振り払おうと力を込めても、腕を掴む彼の手はびくともしない。
「話を聞いてくれないか?」
「やだ……! 離して……下さ」
軽いパニック状態になりながら、私は必死に手を振り払おうとする。
「俺たち天使の記憶は、絶対に忘れてもらわなきゃダメなんだ」
大きくなった声と同時に、私の手首を掴む彼の手に力がこもる。
「痛っ」
「悪い! そんなに強く握ったつもりは無かったけど、力加減わかってなくて……。その、ごめん」
すぐに私の手首から手を離した彼が、今度は遠慮がちに掌に触れた。そして、包み込むように手と手を繋ぐ。
「頼む。逃げんな」
真剣な声と、真正面から重なった視線がひどく切実なものだと伝わってくる。
「まずは、話を、聞いて欲しいんだ」
ゆっくりと区切るように、努めて穏やかに伝えられた言葉で、混乱していた私の心が少し落ち着きを取り戻す。
「頼む。俺の話を聞いてくれないか?」
そして、もう一度祈るような声で繰り返された問いに、私は彼の目を見つめて、戸惑いながらも小さく頷いたのだった。
横並びで屋上の柵にもたれながら彼の話を聞く。
時折、心地よい風が吹いて彼と私の髪を揺らしていた。
「俺の名は、ヒスイ」
彼は自分が天使である事や、あの日の私は仮死状態であった事を丁寧に話してくれた。そして、説明不足なまま記憶を奪おうとした行為について、きちんと謝ってくれたのだ。
「あの時は、まだ君の意識が肉体に戻ってなかったから焦ってたんだ。強引なことして悪かった」
意識が肉体に戻る前に記憶を消去できていれば、不手際の始末書を上層部に提出せずに済むので上司に急かされたらしい。
「うちの隊長がポイント稼ぐのに必死でさ。そもそもお迎え部隊の仕事にまで首突っ込んで、まだ仮死状態の君を迎えに行けって言ったのは隊長のくせに……」
天使の話を聞いているのに、まるで普通の会社員の愚痴のような内容がおかしくて、緊張で強張っていた私の心が少しほどけていく。
「下界に来るのも、面倒くさい出張届が必要だし」
なにかと手続きが大変なのだと言う。
「ふふっ」
そこまで聞いて、私は思わず声を出して笑ってしまった。天使の世界も、何かと大変なようだ。
「笑ってくれて安心した。……随分、怖がらせたって分かってたから」
ホッと息を吐いて、隣に立つ彼の手がフワリと私の頭を撫でる。男性にそんな事をされたのも初めてで、私はまた緊張で体を強張らせてしまった。
どうしよう。
きっと、顔が赤くなってるはず。
私はそれを隠すようにそっとうつむいた。
「それで、本題なんだけど…………」
彼がそこで一旦言葉を止める。
私が顔を上げると、彼が一度大きく息を吐いてから話し出した。