【side:ヒスイ】
実習も一週間が過ぎ、折り返し地点になった。
「神崎くん。今日はまだクラス日誌が日直から提出されていないから、教室を見てきてくれるかな? それが終われば、今日はもう帰っていいからね」
「はい。分かりました」
笑顔で山内先生に返事をして、俺は教室へと向かう。
放課後の校舎は昼間の喧騒が嘘のように静かで、グラウンドで部活をする生徒たちの掛け声が時折小さく聞こえるだけだ。
俺は足早に二年三組までくると、教室の引き戸をスライドさせた。
窓際の前から三列目の座席に、差し込む西陽に照らされ居眠りをする一人の生徒がいる。
日誌を書いている最中に眠ってしまったのか、開かれたままの日誌が、机に突っ伏して眠る女子生徒の腕の下敷きになっていた。
すぐに起こすべきか、もう少し待つべきか。
どうしようかと迷いながら、俺はとりあえず教室の中へ足を進める。
そういや。
今日の日直って、誰だっけ?
そんな事を思い、俺はそっと身を屈めて生徒の顔を覗き込む。後ろ姿から大体の予想はしていたが確信は無かったので驚いた。
「澪……」
そして、無意識に口をついた自分の言葉に俺は更に驚いて口元を手で覆う。
生徒を下の名前で呼ぶなんて、実習生として大きな問題行為だ。それでも、なぜか名前の方が苗字よりもずっと自然な呼び心地だった。
茜色に染まる夕日に照らされ、彼女の髪がキラキラと艶めいている。
触れたらとても柔らかい。その手触りを自分は知っている……。不意に浮かんできた言葉に、俺は屈めていた体を起こし溜息を吐いた。
手触りなど知るはずがない。
それに、自分は今、先生という立場なのだ。
先程から、なに考えてんだよ。
俺は……。
気持ちよさそうに眠っているが、起こすしかないと思い俺は彼女を呼ぶ声を大きくする。
「奥井さん。奥井さん、起きて」
「ん……」
小さく身動ぎした彼女が、ゆっくりと瞳を開けた。
「ヒスイ……先生? えっと…………。え? ヒスイ先生っ!」
ぼんやりした瞳が、俺の姿をはっきり捉えた途端に驚きの声をあげる。
「え? ど、ど、どうして……。え、私、何やって……。え? えっと……」
軽いパニック状態なのか、椅子から立ち上がったり座ったり、また立ったりを繰り返していた。
「フフッ。大丈夫だよ、居眠りしてただけだから」
笑ってそう答えると、今度は思い切りうつむいてしまった。髪の隙間から見える彼女の耳たぶが、真っ赤に染まっている。
「あの……私、変な寝顔してませんでしたか?」
そして彼女は、うつむいたまま聞き逃してしまいそうなほど小さな声でそう問いかけてきた。
恥ずかしそうに照れている姿が可愛くて、思わず俺は少し意地悪な嘘をつく。
「面白い顔で寝てたから、写真撮ったけど見る?」
「え?」
顔を跳ね上げた彼女の目が、途端に泣き出しそうに潤んでいく。
「や、嘘嘘! ごめん、嘘だよ!」
今度は俺が焦った。
教育実習中につまらない嘘で生徒を泣かすなど、あってはならない事だ。
「ごめん、本当に嘘だから!」
「嘘?」
「うん。可愛い顔だったし、写真なんか撮ってないよ」
スーツのポケットから携帯を取り出して、潔白の証明になればと画像フォルダを見せる。しかし彼女は先程から頬を赤くして、機械が一時停止するように固まっていた。
俺、また変なこと言ったか?
自分の言葉をゆっくりと振り返る。
『ごめん、本当に嘘だから! 可愛い顔だったし、写真なんか撮ってないよ』
もしかするとこれに照れているのかもしれない。反応があまりに純粋過ぎて……。こちらまで照れてしまう。
赤面が伝染しそうになり、俺は焦って日誌を指差した。
「それ、日誌の提出がまだだったから、これを取りに来たんだ」
「あ……。そうだ、日誌!」
その言葉に彼女もようやくその存在を思い出したようだ。
「ごめんなさい。これを書いてて眠っちゃったみたいで……。提出、遅くなりました」
そう言って、申し訳なさそうに日誌を差し出してくる。
「いえいえ、確かに受け取りました。山内先生に提出しておくよ」
俺が笑顔を見せると、彼女もようやく自然な笑顔を見せてくれた。目を細めて笑う彼女の周りを、ふわりと柔らかな空気が包み込む。
「この前の話し合いは、大成功だったな。それぞれの意見を活かした、良い提案だったよ」
「ありがとうございます! 今日は部活がないので、明日からダンボールの間接照明作りを始めようと思ってます」
「カフェの名前は決めた?」
その問いに、彼女の声が嬉しそうに弾んだ。
「とり部員だった芝野さんが、初めて案を出してくれたんです。『天文部の星明かりカフェ』は、どうかなって」
「可愛い名前だな」
「はい! 私もそう思います。明日、みんなの意見を聞いてから決定したいなって思っていて」
一人の勇気から、大きく変わり始めた天文部。先代の部長が、彼女に次を託した訳がよく分かる。
「ヒスイ先生のお陰です」
「え?」
「ヒスイ先生がくれた言葉が、私の勇気になりました」
眩しいくらいに、俺を見つめるその瞳が生き生きと輝いている。
「ありがとう。でも、『澪』の一生懸命な思いがみんなを動かしたんだよ」
そんな俺の言葉に、彼女の顔が真っ赤に染まり、その目が涙で潤んでいく。そして、瞳の中いっぱいに溜まった涙の雫が、その頬を一筋こぼれ落ちるのが見えた。
「今、私を澪って……」
「あ、ごめん! 名前で呼んじゃって、先生からそんな呼び方されたら困るよね」
また無意識にそう呼んでしまい焦って謝る俺に、彼女が何度も首を横に振る。
そして掠れそうなほど小さな声で、「嬉しくて……」と、つぶやいた。
「泣いちゃってごめんなさい! ヒスイ先生の声で、澪って言われた瞬間……。自然と込み上げてきて……止まらなくて……、ごめんなさ……すぐに泣き止みます」
彼女が、必死に目元を擦って涙を拭う。
「いいよ。無理に泣き止まなくていい。我慢すんな……、泣いていいから」
俺はそっと手を伸ばし、その髪を撫でた。
「ヒスイ先生」
「うん」
「ヒスイ先生……」
「うん」
彼女の手が遠慮がちに俺のスーツの一番端っこをキュッと握る。
愛しさで、強く抱き締めてしまいそうになった自分がいた。その寸前のところで、自分の立場と場所を思い出して手を止める。
ここは学校で、俺は今、先生なのだ。
彼女が泣き止むまで、俺はただ隣で見守ることしかできなかった。
「もう、落ち着きました。大丈夫です……」
「本当?」
「はい。私、顔を洗ってから帰ります。ヒスイ先生、日誌よろしくお願いします」
彼女がハンカチを持って、トイレへと駆けて行く。俺はその背中を見送ってから教室を出た。
その時、すぐ外の廊下に男子生徒が一人立っている姿が目に入る。気になってそちらを見ると、彼の視線が明らかに俺を睨んでいることに気付いた。
「誰か待ってるのかな?」
俺は努めて穏やかな声で問い掛ける。
「澪と一緒に帰る約束をしてるので」
「あ、奥井さんの友達? 今、トイレに行ったから」
「知ってます」
剣のある声が、短く言葉を返してくる。
睨んでいるように感じた視線は、どうやら気のせいではなかったようだ。
何か恨まれるようなこと、したか?
自分が受け持っているクラス以外の生徒は全く頭に入っておらず、彼のクラスも名前も分からない。
「君のクラスと名前を聞いてもいいかな」
「五組の立木ですけど」
「奥井さんと仲良いの?」
「幼馴染です」
「そっか。それじゃあ」
俺はそこまで確認すると、日誌を持って歩き出した。ちょうど廊下の角を曲がったところで、背中越しに彼女の声が聞こえてくる。
「蓮ちゃん。待たせてちゃってごめんね。今日、日直だったの。日誌を書いてたら遅くなっちゃった。蓮ちゃんと一緒に帰るの久しぶりだね」
「そうだな。澪に、ちょっと話したいことがあるんだ」
「え? なに? 帰りながら話す? 教室で座って話す?」
そんな会話と一緒に、教室の扉の開閉音が響いた。
二人は教室で話をするようだ。
彼の方が、何か俺に対して怒りを押し殺しているような雰囲気だったので、少し警戒して色々と質問してみたが、幼馴染なら警戒する必要はなさそうだ。
あまり接点のない相手から呼び出されたりしたのなら、少し彼女が心配だなと思っていたのだ。
俺は振り返っていた体勢を戻して、職員室へとまた歩き出したのだった。
***
担任の山内先生に日誌を提出して、しばらく雑談をしてから俺は学校を出た。先程まで、話好きな山内先生に捕まり三十分以上も都市伝説の話を聞かされていたのだ。
学校からようやく駅前まで来た時、スーツのポケットの中に手を伸ばすと、そこにあるはずの物が無い事に気づいた。
「あれ? 携帯……」
その他のポケットや鞄の中を覗くが見当たらず、自分の行動を頭の中で遡ってみる。そして、俺は教室で彼女に写真フォルダを見せた事を思い出した。
「あの時……」
変な寝顔だったから写真を撮ったと少し意地悪なことを言うと、彼女が涙目になってしまい急いで写真など撮っていないことを証明しようと、携帯の写真フォルダを見せたのだ。
泣かせてしまったらどうしようと、かなり焦ったので、その時に持っていた携帯を無意識に近くの机の上にでも置いたのかもしれない。ポケットや鞄に無いということは、恐らくこの予想で間違いないだろう。
「戻るか」
つぶやいて、俺は来た道を引き返して行った。
実習も一週間が過ぎ、折り返し地点になった。
「神崎くん。今日はまだクラス日誌が日直から提出されていないから、教室を見てきてくれるかな? それが終われば、今日はもう帰っていいからね」
「はい。分かりました」
笑顔で山内先生に返事をして、俺は教室へと向かう。
放課後の校舎は昼間の喧騒が嘘のように静かで、グラウンドで部活をする生徒たちの掛け声が時折小さく聞こえるだけだ。
俺は足早に二年三組までくると、教室の引き戸をスライドさせた。
窓際の前から三列目の座席に、差し込む西陽に照らされ居眠りをする一人の生徒がいる。
日誌を書いている最中に眠ってしまったのか、開かれたままの日誌が、机に突っ伏して眠る女子生徒の腕の下敷きになっていた。
すぐに起こすべきか、もう少し待つべきか。
どうしようかと迷いながら、俺はとりあえず教室の中へ足を進める。
そういや。
今日の日直って、誰だっけ?
そんな事を思い、俺はそっと身を屈めて生徒の顔を覗き込む。後ろ姿から大体の予想はしていたが確信は無かったので驚いた。
「澪……」
そして、無意識に口をついた自分の言葉に俺は更に驚いて口元を手で覆う。
生徒を下の名前で呼ぶなんて、実習生として大きな問題行為だ。それでも、なぜか名前の方が苗字よりもずっと自然な呼び心地だった。
茜色に染まる夕日に照らされ、彼女の髪がキラキラと艶めいている。
触れたらとても柔らかい。その手触りを自分は知っている……。不意に浮かんできた言葉に、俺は屈めていた体を起こし溜息を吐いた。
手触りなど知るはずがない。
それに、自分は今、先生という立場なのだ。
先程から、なに考えてんだよ。
俺は……。
気持ちよさそうに眠っているが、起こすしかないと思い俺は彼女を呼ぶ声を大きくする。
「奥井さん。奥井さん、起きて」
「ん……」
小さく身動ぎした彼女が、ゆっくりと瞳を開けた。
「ヒスイ……先生? えっと…………。え? ヒスイ先生っ!」
ぼんやりした瞳が、俺の姿をはっきり捉えた途端に驚きの声をあげる。
「え? ど、ど、どうして……。え、私、何やって……。え? えっと……」
軽いパニック状態なのか、椅子から立ち上がったり座ったり、また立ったりを繰り返していた。
「フフッ。大丈夫だよ、居眠りしてただけだから」
笑ってそう答えると、今度は思い切りうつむいてしまった。髪の隙間から見える彼女の耳たぶが、真っ赤に染まっている。
「あの……私、変な寝顔してませんでしたか?」
そして彼女は、うつむいたまま聞き逃してしまいそうなほど小さな声でそう問いかけてきた。
恥ずかしそうに照れている姿が可愛くて、思わず俺は少し意地悪な嘘をつく。
「面白い顔で寝てたから、写真撮ったけど見る?」
「え?」
顔を跳ね上げた彼女の目が、途端に泣き出しそうに潤んでいく。
「や、嘘嘘! ごめん、嘘だよ!」
今度は俺が焦った。
教育実習中につまらない嘘で生徒を泣かすなど、あってはならない事だ。
「ごめん、本当に嘘だから!」
「嘘?」
「うん。可愛い顔だったし、写真なんか撮ってないよ」
スーツのポケットから携帯を取り出して、潔白の証明になればと画像フォルダを見せる。しかし彼女は先程から頬を赤くして、機械が一時停止するように固まっていた。
俺、また変なこと言ったか?
自分の言葉をゆっくりと振り返る。
『ごめん、本当に嘘だから! 可愛い顔だったし、写真なんか撮ってないよ』
もしかするとこれに照れているのかもしれない。反応があまりに純粋過ぎて……。こちらまで照れてしまう。
赤面が伝染しそうになり、俺は焦って日誌を指差した。
「それ、日誌の提出がまだだったから、これを取りに来たんだ」
「あ……。そうだ、日誌!」
その言葉に彼女もようやくその存在を思い出したようだ。
「ごめんなさい。これを書いてて眠っちゃったみたいで……。提出、遅くなりました」
そう言って、申し訳なさそうに日誌を差し出してくる。
「いえいえ、確かに受け取りました。山内先生に提出しておくよ」
俺が笑顔を見せると、彼女もようやく自然な笑顔を見せてくれた。目を細めて笑う彼女の周りを、ふわりと柔らかな空気が包み込む。
「この前の話し合いは、大成功だったな。それぞれの意見を活かした、良い提案だったよ」
「ありがとうございます! 今日は部活がないので、明日からダンボールの間接照明作りを始めようと思ってます」
「カフェの名前は決めた?」
その問いに、彼女の声が嬉しそうに弾んだ。
「とり部員だった芝野さんが、初めて案を出してくれたんです。『天文部の星明かりカフェ』は、どうかなって」
「可愛い名前だな」
「はい! 私もそう思います。明日、みんなの意見を聞いてから決定したいなって思っていて」
一人の勇気から、大きく変わり始めた天文部。先代の部長が、彼女に次を託した訳がよく分かる。
「ヒスイ先生のお陰です」
「え?」
「ヒスイ先生がくれた言葉が、私の勇気になりました」
眩しいくらいに、俺を見つめるその瞳が生き生きと輝いている。
「ありがとう。でも、『澪』の一生懸命な思いがみんなを動かしたんだよ」
そんな俺の言葉に、彼女の顔が真っ赤に染まり、その目が涙で潤んでいく。そして、瞳の中いっぱいに溜まった涙の雫が、その頬を一筋こぼれ落ちるのが見えた。
「今、私を澪って……」
「あ、ごめん! 名前で呼んじゃって、先生からそんな呼び方されたら困るよね」
また無意識にそう呼んでしまい焦って謝る俺に、彼女が何度も首を横に振る。
そして掠れそうなほど小さな声で、「嬉しくて……」と、つぶやいた。
「泣いちゃってごめんなさい! ヒスイ先生の声で、澪って言われた瞬間……。自然と込み上げてきて……止まらなくて……、ごめんなさ……すぐに泣き止みます」
彼女が、必死に目元を擦って涙を拭う。
「いいよ。無理に泣き止まなくていい。我慢すんな……、泣いていいから」
俺はそっと手を伸ばし、その髪を撫でた。
「ヒスイ先生」
「うん」
「ヒスイ先生……」
「うん」
彼女の手が遠慮がちに俺のスーツの一番端っこをキュッと握る。
愛しさで、強く抱き締めてしまいそうになった自分がいた。その寸前のところで、自分の立場と場所を思い出して手を止める。
ここは学校で、俺は今、先生なのだ。
彼女が泣き止むまで、俺はただ隣で見守ることしかできなかった。
「もう、落ち着きました。大丈夫です……」
「本当?」
「はい。私、顔を洗ってから帰ります。ヒスイ先生、日誌よろしくお願いします」
彼女がハンカチを持って、トイレへと駆けて行く。俺はその背中を見送ってから教室を出た。
その時、すぐ外の廊下に男子生徒が一人立っている姿が目に入る。気になってそちらを見ると、彼の視線が明らかに俺を睨んでいることに気付いた。
「誰か待ってるのかな?」
俺は努めて穏やかな声で問い掛ける。
「澪と一緒に帰る約束をしてるので」
「あ、奥井さんの友達? 今、トイレに行ったから」
「知ってます」
剣のある声が、短く言葉を返してくる。
睨んでいるように感じた視線は、どうやら気のせいではなかったようだ。
何か恨まれるようなこと、したか?
自分が受け持っているクラス以外の生徒は全く頭に入っておらず、彼のクラスも名前も分からない。
「君のクラスと名前を聞いてもいいかな」
「五組の立木ですけど」
「奥井さんと仲良いの?」
「幼馴染です」
「そっか。それじゃあ」
俺はそこまで確認すると、日誌を持って歩き出した。ちょうど廊下の角を曲がったところで、背中越しに彼女の声が聞こえてくる。
「蓮ちゃん。待たせてちゃってごめんね。今日、日直だったの。日誌を書いてたら遅くなっちゃった。蓮ちゃんと一緒に帰るの久しぶりだね」
「そうだな。澪に、ちょっと話したいことがあるんだ」
「え? なに? 帰りながら話す? 教室で座って話す?」
そんな会話と一緒に、教室の扉の開閉音が響いた。
二人は教室で話をするようだ。
彼の方が、何か俺に対して怒りを押し殺しているような雰囲気だったので、少し警戒して色々と質問してみたが、幼馴染なら警戒する必要はなさそうだ。
あまり接点のない相手から呼び出されたりしたのなら、少し彼女が心配だなと思っていたのだ。
俺は振り返っていた体勢を戻して、職員室へとまた歩き出したのだった。
***
担任の山内先生に日誌を提出して、しばらく雑談をしてから俺は学校を出た。先程まで、話好きな山内先生に捕まり三十分以上も都市伝説の話を聞かされていたのだ。
学校からようやく駅前まで来た時、スーツのポケットの中に手を伸ばすと、そこにあるはずの物が無い事に気づいた。
「あれ? 携帯……」
その他のポケットや鞄の中を覗くが見当たらず、自分の行動を頭の中で遡ってみる。そして、俺は教室で彼女に写真フォルダを見せた事を思い出した。
「あの時……」
変な寝顔だったから写真を撮ったと少し意地悪なことを言うと、彼女が涙目になってしまい急いで写真など撮っていないことを証明しようと、携帯の写真フォルダを見せたのだ。
泣かせてしまったらどうしようと、かなり焦ったので、その時に持っていた携帯を無意識に近くの机の上にでも置いたのかもしれない。ポケットや鞄に無いということは、恐らくこの予想で間違いないだろう。
「戻るか」
つぶやいて、俺は来た道を引き返して行った。