「あの日、レドモンの解散を聞いたましろさんはそれは言葉にならない衝撃を受けました。……それと同時に空さんの喉の異変に気付けなかったこと、それを深く気にしていました。あの日、私たち追っかけはみんな家の前にいました。私は裏道を知っていて、そこに呼ばれたんですよ、そしてましろさんは言ったんです。『私を連れ出して』って。逃げたいって言いました。ここから逃げ出したいって」


 当時のことを思い返すように時々視線を上にやり、慎重に続けた。

「パスポートを持って来るようにいいました。ましろさんはキャリーケースにパスポート、お財布、そして、レドモンのCDだけを持って出てきました。ブラモンのCDを持たなかったのは、自分の声を聞きたくなかったからかもしれません」

 そして、コーヒーをまた一口啜った。

「私たちはその足でタクシーに乗りました。タクシーを降り、ドンと扉の音がした後、キャリーケースをガラガラと引いて空港に向かうとキャーっと悲鳴が聞こえてきました。もう気付かれてしまったんです。ひっそりと日本から脱出したかったのに。慌ててタクシーに戻ってきたので私が入れ替わりました。そしてましろさんはアメリカに行きました」

 時々美鈴ちゃんは目に涙を浮かばせた。

「お二人は気付いてましたか? 歌を歌っていく中で、大きい音で耳に少し違和感を抱いていたのを」
「いや、全然。いつから?」
「全国ツアーの辺りでしょうか、それでも歌えたのは天性の歌唱力なんだと思います。……そしてレドモンの解散、空さんの喉の話を聞き、精神的に強いショック状態になったましろさんはより耳が聞こえづらくなってしまったんです」
「嘘やろ……」


「ましろさん、後悔してると思うんです。皆さんを置いて出ていってしまったこと。だけど今更どの面下げて戻るのか、そんなこと出来ないからずっと歌ってるんです。本当はもう歌なんて歌えないのに」

 そう言うともう空になったコーヒーカップを置いた。

「聞きに行きますか? ましろさんの歌」


 そう言われてコーヒー店を後にした。

 さっきましろがいた場所に戻るとか細い声で歌ってるましろがいた。

 これは……誰も気付かないはずだよ。
 その歌声はあの光を浴びていた頃とは比べ物にならないほど輝きと力を失っていた。

 だけど一生懸命気持ちで歌い続けていた。

 道行く人は誰も立ち止まらない。

「夕方、果物の収穫を終えたおじいさんやおばあさんが止まって聞いてくれるんです。対価は果物です。それもらうととても喜ぶんですよ。まだ自分の歌に対価を払ってくれる人がいるってね」


 一度は何万という人の前で歌ってたましろが、今は誰もいない道端で、必死に歌を歌っていた。