陸が部屋に戻ってからも私はしばらくその場に座っていた。

 一度誰かが近くまで来てこの休憩所を覗いて私に気付かず電気を消した。

 多分幸翔さんだな、シルエットしか見えなかったけどあの大きさ。

 暗闇の中、それでもまだ立ち上がる気力がなくボーッとしてたらもうみんな寝静まった深夜二時、足音が聞こえた。

 誰か起きてきたのかな?

 その足音は段々近付いてきて、パチッと電気を点けられたことで休憩エリアに入ってきたことが分かった。


「あれ? 楓雅さん?」
「うわっびっくりした、どうしたの? 電気も点けないで」
「すみません……あっ」
「ん?」
「あ、いや、私すみませんて口癖なのかな、さっき言い過ぎって注意されたばかりだったのに……ふふっまた使っちゃったって思って………え」


 電気が点いて明るくなった室内、目が慣れた頃、楓雅さんの方を見た。

「あ、早く寝なね、明日も仕事なんだから……」
「楓雅さん?」
「じゃあ、おやすみ」

 逃げるようにそこから離れようとする楓雅さんに声をかけた。


「待って」

 そのまま小走りに部屋に戻りたかっただろう、だけど呼び止める声に反応して立ち止まりゆっくり後ろを振り返った。

 左肩を押さえながら。

「それ、どうしたんですか?」

 左肩からじっとりと滲む血。

「うん」
「前もそこ怪我してましたよね」
「……うん」
「そこ、そんなに怪我する場所じゃないですよね? ……見せてください」


 楓雅さんに近寄り押さえてるタオルを取ってTシャツの袖をそっと捲った。


「いっ」
「あ、大丈夫ですか?」
「大丈夫大丈夫」
「私傷薬とか絆創膏持ってるんで部屋来てください」

 そう言って楓雅さんを部屋に呼んだ。

「あっれー、確かこのダンボール……」
「いいよ、もう血止まったし」
「楓雅さん……もしかして痛いですか?」
「ううん、全然痛くない」

「そうじゃなくて……」
「ん?」
「ここ、痛いですか?」

 そう言って楓雅さんの胸をトントンと指さした。

「そうだね、ちょっと……痛いよ」


 傷付いてるのは肩じゃない、心なんだ。

 右足をぶつけたら痛い、だけど左足をもっと強くぶつけたら右足の痛みは忘れる。左足の痛みに集中するから。つまりはそういうことなんだろう。肩を傷つけることで心の痛みを忘れようとしてるんだろう。

「なんで、肩なんですか?」
「んー? うーん、仕事柄、見えないところ」
「あ、なるほど、肩痛いとここ、痛くないですか?」

 また胸をトントンと指さした。

「一瞬ね、忘れられる」
「そっか……」
「でも肩の痛みが引くと、また痛くなる」
「みんなは知ってるんですか?」
「知ってるよ」

 プレッシャーを人一倍感じやすいって言ってた。いつも楓雅さんは満身創痍で戦ってるんだ。

 なのにいつも人に優しくて穏やかで立派な人。

「じゃあ僕もう寝るね」
「はい、おやすみなさい」
「あの……あー、いいや」
「言わないですよ、誰にも」

 そう言うと安心したように笑って部屋を出ていった。

 楓雅さんが出てったあとも全く眠れなくて、私もここ、痛いんだ。そう気が付いた。ここがこんなに痛いから眠れないんだ。

 言いたいことも言えなくて良かれと思ってやった事は全て空回り。だけど明日も明後日も逃げ出せない。もう乗り込んだ船は降りることは出来ないんだよ。

 化粧ポーチからカミソリを取り出して……左肩を切った。

 こんな時でも仕事のことを考えて肩にするのは、一緒ですね。