♢♢♢
(………なんだろう)
髪を撫でられていることに気付いて美琴は目を覚ました。
───わたしっ、寝ちゃってた⁉
いつの間にか微睡んでいた。今朝早かったせいもあるが。
頭の中はまだぼんやりとしている。
(………?)
目を擦りながら違和感。そして異変に気付き硬直する。
───なっ !
なっ な、なっ、なぜわたしが寝台に⁉
「起きたか」
真横に。
いつの間にか白い寝衣に着替え、人の姿で横たわる紫珱が肩肘をついて美琴を見つめていた。
(ゆ、ゆゆゆ夢ッ、じゃ、な……さそう……)
疲労感はもうすっかり消え、活力の戻った紫珱の瞳にはいたずらめいた笑みさえ浮かんでいる。
「美琴は冬眠並に寝つきがいいんだな。運ばれたのも気付かないじゃないか」
と、とうみんなみっ……は、運ばれ……た?
確かに。
寝台に入った覚えはない。
そんなことできるはずがない。
そして確かに自分は寝つきがいい。
というか眠りが深く、一度寝入ると朝までぐっすりな体質だ。
(だけどこの状況は………………)
「あのっ」
硬直してる場合ではなく、美琴は慌てて身体を起こそうとしたのだが、それより先に紫珱の腕が伸びた。
「ひゃゎ⁉」
抱き寄せられて。
おかしな声が口から漏れた。
言霊などではなく、心臓が口から飛び出てしまうかと思うほど動揺する。
「……はッ、はなっ……!」
「鼻?」
真上から紫珱の吐息が鼻にかかるくらい近くて。
互いの体温が判るほど、布団の中では身体が密着していた。
(わたしより、紫珱さまの方が熱い……)
そんなことに気付いた途端、今度は自分の首から上が火照り、熱が上がっていくのが判った。
「茹だってしまったようだな」
クスッと笑って、紫珱は両手で美琴の頬をやんわりと包んだ。
「は、はなし、て……!」
やっと出した声も緊張で掠れた。
「なぜ離さなきゃならない。おまえは俺の花嫁だろ?」
紫珱は片手を美琴の頬に添えたまま、もう片方の手で頭を撫でた。
「選ばれし者としての説明を穂奈美殿から聞いただろう。違うのか?」
眼差しが僅かに鋭くなったように感じられ、美琴は慌ててコクコクと頷き答えた。
「き、聞き、ました……」
「なら、何をすべきか判っているな、美琴」
───な、何をって⁉
美琴の中で、穂奈美から説明されたいろいろが頭の中をグルグルと巡った。
(でもだからって!)
異性と、こんなふうに密着などして次に何をしたらいいのかなど経験の全くない美琴に判るはずもない。
身体も動かせないほど……
恐ろしいのに。
「あれはどこだ?」
頭を撫でていた紫珱の手がするりと肩に降り、腕をなぞり腰へと触れた。
その感触に、美琴はビクリと震える。
「朱色の葩はどこだ?」
言いながら腰に触れていた紫珱の手が、また腕に上り肩をすべり頬へ戻り。
美琴の唇に触れてから顎へ、そしてその指先が喉元へ触れ。
そこから胸元へと降りた。
「……ここか?」
「ちが……っ」
美琴はおもいきり強く首をふった。
「じゃあ腕か?」
素早く手首を掴まれた。
「───っ!」
ぷるぷると首を振って答える美琴を紫珱は面白そうに見つめた。
「じゃあ背中かな?」
紫珱はもう片方の腕をスルリと美琴の背中に潜らせてきた。
「違いますッ」
「なら一体どこにあるんだ? 教えないなら服を脱がせて探すぞ」
───やっ、だ……。ヤダっ、こんなのッ……!
胸の辺りが苦しくなり鼻の奥につん としたものがこみ上げて。
美琴の視線がぼやけた。
丸い瞳が瞬く間に潤んだかと思うと、そこからこぼれた雫に紫珱は表情を変えた。
「泣くほど嫌か、俺に触られるのが」
「だっ……て、こッ……こわ…ぃ、か、ら…っ……」
しゃくりあげながら言う美琴を見つめて、紫珱は溜め息をついた。
「怖い、か。でも早く慣れろ。でなければいつまでも俺はその首筋に触れることができない」
(……え?)
「知ってたのですか?」
驚いて見つめた視線の先には、仏頂面でそっぽを向く紫珱がいた。
「───ひどい!」
この人はッ、霊獣は知っていてこんなことを!
なんて意地悪なのだろう。
おまけにまだ密着している身体も腕も離そうとしない紫珱を、美琴はおもわず睨んだ。
涙目で。
その表情で精一杯の抵抗をしてみせてはいても。
なぜだか再び、美琴を見つめた紫珱の表情はとても柔らかくて。
「怒った顔も可愛いな。悪気はない、少し試しただけだ。慣らすにはいろいろ試さないとな。それに」
背中に回された腕に力が入ったかと思うと、紫珱は美琴を抱いたまま身体を起こした。
そしてそのまま自分の膝の上に抱いた美琴を、紫珱は優しく抱き締めた。
「おまえをこんなふうに試していいのは俺だけだ。おまえに触れていいのも、俺だけ……違うのか?」
顔を近付けて訊いてくる紫珱に、美琴は抗うことができなかった。
違うのか、と聞かれて。
美琴は首を振っていた。
なぜなら自分は『選ばれし者』で。
それは彼の『花嫁』であるという意味で。伴侶となり妻となる者という意味でもある。
奥さんに触っていいのが旦那様だけなことくらいわかる。
半端ない束縛を感じるけれど。
霊獣が自分の旦那様になることはもう決まっている。
こういうことは、これからもっと我慢して慣れていかないと、いけないコトなんだ……。
自分なりに、だが多少の無理矢理感もあるが。納得することでこのような体勢にも順応していかなければと、今の美琴にできるのはそんなふうに必死に思うことだけだった。
「何か言ってくれ、美琴。首振りや頷くだけではダメだ。俺の中にちっとも入ってこない、おまえの言霊が沁みない。だから早く何か言ってくれ……俺に、俺だけに囁いてくれ。それまで離さない」
きゅっ、と。紫珱は少しだけ腕に力を込めた。
しばらくして。
美琴の小さな小さな声が、紫珱の耳に届いた。
「………お腹、すきませんか?」
「ん?」
紫珱がどんな言葉を待っているかなど美琴には判らない。
けれど何か言わないと離してくれないと言うなら。
「離してほしい」と言ってはならないのなら、次に思うことを言うしかない。
「……お、お戯れは、こ、このへんにして。……お菓子、食べませんか?わたし、今朝お菓子を焼いたので」
紫珱が小さく笑ったのが判った。
「だから甘い匂いがしてたのか。よし、許す。もう昼過ぎだからな、腹も減った」
(え⁉)
「昼過ぎ?」
まさかそんなに時間が過ぎていたとは知らない美琴は驚いて青ざめた。
昼食もとらずに寝ていた。しかも紫珱と一緒に。
呆然とする美琴を然して気にする様子もなく、紫珱はようやく美琴を離し、寝台から降りると霊獣の姿に変幻した。
「ラセツには会ったか?」
「えっ、あ、はい」
「しばらくあいつと話をするから家へ戻っていいぞ。菓子はその後だ」
「……はい。ではそうします」
おずおずと美琴は寝台を降り、ひとまず自宅へ戻ることとなった。