穂奈美が去った後、美琴はしばらくぼんやりとしたままでいた。
……考えることが多すぎて。
今は何も考えずに店の仕事で気を紛らわせたかったが、真紀乃に諭され仕事は控えることになった。
仕方なく家に戻り、美琴は年内に仕上げる予定で受けた仕立物の内職にとりかかった。
店の仕事がないので予定より早く仕上がりそうだった。
これが出来上がったら、衣類の整理でもしよう。
真紀乃からは輿入れまでに衣類など数枚、新調しておくようにとも言われた。
婚姻相手は霊獣。
そして皇族の家系。
領主を務める者の妻ともなれば、身支度やら振る舞いにも気を配らなければならない。
とりあえず、まだ寒い季節だから冬服を。
後のことは輿入れ先の西方で揃えたらいいと真紀乃は言った。
(……穂奈美さまは素敵な服を着ていたっけ)
大人っぽくて、よく似合っていた。
それに比べたら、自分はとても子供っぽく見える。
(瑠香さんもそうだけど穂奈美さんも。なんだか爽やかで元気で自信に満ちていて……)
羨ましい、と美琴は思った。
「冬服かぁ」
美琴は部屋を見渡した。
他に愛着のあるものといったら、祖母が遺した薬草に関する書物と母から譲り受けた、この裁縫道具くらいだろうか。
───ふと、母や祖母が生きていたら何と言っただろうかと美琴は思った。
喜んでくれただろうか。
それとも……。
問いても答えは得られない。
それは儚く霞んで。
永遠に消えるだけだった。
♢♢♢
その日、夕餉の時刻を過ぎても穂奈美は戻らなかった。
就寝を前に気になった美琴はリンを訪ねた。
「穂奈美さまなら大丈夫です。心配なのは帰りが遅いことよりも羽目を外しすぎてないかと。そっちの方が私は心配です」
「羽目を外す?」
「明日になればきっと判りますわ」
答えを得られないまま美琴は自宅へ戻った。
そして翌朝、訪ねてきたリンから穂奈美の帰宅は深夜だったと聞かされた。
「美琴さま、穂奈美さまを診てもらえますか? そしてお薬を処方してもらえますか? 美琴さまの作るお薬はよく効くと聞きましたから」
「お薬? 穂奈美さま、具合でも悪いの?」
「いえ、ただの飲み過ぎです」
「飲み過ぎ⁉」
「そうです。二日酔いです。やっぱり羽目を外してしまったんですわ。すみませんが、私はこれからお店のお手伝いがありますので、どうかよろしくお願いします」
「……はぁ」
リンは深々とお辞儀をして店へと戻っていった。
美琴は薬を用意して店に行き、穂奈美の居る部屋を訪ねることにした。
♢♢♢
「すみません、美琴さま。リンが余計なことを言ったみたいで」
布団の上で身を起こし、美琴を迎えた穂奈美の顔色はあまりよくなかった。
「余計なことなんて」
美琴は首を振る。
「リンちゃん、心配してましたから」
「私ってば、夕べ羽矢斗さまのお屋敷で奥様にすすめられてかなり……その、お酒を飲んでしまって。久しぶりの外出でしたから、奥様とお話も弾んでしまって。戻るのがすっかり遅くなって。こんなこと紅嵐にバレたら叱られちゃう……っう、頭痛いっ」
「お薬持ってきました。薬草茶ですけど、飲むと気分がスッキリして楽になりますよ」
言いながら美琴はお茶を用意した。
「少し苦いけど、香りは良いですから」
「ありがとう、美琴さま。体調が悪くなければ私、今日は美琴さまとお買い物に行きたかったのに〜」
「お買い物ですか?」
「真紀乃さまに言われたんです。衣類など新調するのに、一緒に見てあげてほしいって。沙英の街中もいろいろ見たいので、ぜひご一緒できたらと思ってたんですけど。……ごめんなさい。今日はやはり無理ですわ」
とても残念そうに穂奈美は言った。
「いいです、無理しないでください。わたし今日は内職で受けた仕立物の仕事があるので。今日と明日で仕上げようと思ってたんです」
「仕立物の内職を?」
「はい。個人の依頼で少々」
「羨まし〜! 私は裁縫が苦手で。美琴さまに習いたいわぁ」
「わたしなどでよければいつでも言ってください」
「まあ嬉しい!早く美琴さまを『銀主連』の皆に紹介したいです! とても楽しみ!皆さん酒豪揃ぃ…っ、じゃなくて。……皆さん気さくで楽しい方ばかりですのよ」
おほほほ。……と、穂奈美は笑った。
(楽しみ、か……)
「そうですか。……そうですよね。わたしも楽しみにしようと思います。不安なことばかりだと思っていたけど、楽しみな事もその分増えるんだって、前向きに思わないとダメですね。……穂奈美さまのおかげかも」
「え?」
薬草茶を飲み終え、苦い顔の穂奈美が驚いたように聞き返した。
「わたし、内気で人付き合いも苦手なので。でも穂奈美さまを見てるとなんだか元気になります。勇気も貰えるみたいです」
「美琴さまったら、照れるじゃないですか。でもとても嬉しいです」
「元気になったらぜひ、お買い物 一緒にお願いします」
「ええ、もちろん」
二人は互いに微笑み合った。
♢♢♢
翌日。
穂奈美の様子を伺おうと部屋を訪ねた美琴にリンが言った。
「穂奈美さまは朝早く真紀乃さまと出かけて行きました」
「女将さんと?」
行き先は聞かされていないのだとリンは答えた。
不思議に思いながらも、穂奈美の体調が良くなったことが判り、美琴は安心した。
昨日一日中没頭した内職も今日の昼前には仕上がった。
依頼主は真紀乃の友人。
宿場街で小料理屋を営む女将だ。
美琴は午後、仕上がった衣服を届けに行こうと決めた。
外出するのは何日振りだろう。
迷ったが、色の変わった髪と瞳を隠すことなく街を歩いてみようと決めた。
穂奈美さまのように。
彼女は、あの桃色の髪を隠すようなことはしていない。
わたしも……。
勇気がいるけれど。
わたしはわたしだもの。
外見が変わってしまっても、今まで通りに過ごしたい。
悪いことじゃないものね……。
ふわふわと、相変わらず落ち着かない蜂蜜色の髪を美琴は梳いた。
後ろで一つにまとめようとしたが『朱の葩印』が気になった。
あまり一目に晒してはいけないと穂奈美が言っていたのを思い出し、結わずに青い珠飾りの付いた髪留めを左右に付け、美琴は出かけることにした。