「どうやってその姿を……」
美琴にそっくりな人型を作りだす術には、本体である美琴の一部が取り込まれているはずだ。
髪の毛一本では足りないだろう。
紫珱の中で、怒りの感情が溢れそうになった。
「───ああ、なんて恐ろしい眼……。そのように恐い貌をした獣の伴侶になるなんて耐えられない」
こう言いながら、美琴の姿をした偽物は立ち上がり、虚ろな眼差しを紫珱に向けた。
「獣に娶られるくらいなら、死んだほうがましよ」
その呟きは紫珱の記憶を抉り、自害した莉乃の姿を思い浮かばせた。
「恐ろしい恐ろしい恐ろしいっ !」
叫ぶ美琴の手にはいつの間にか短刀が握られ、刃先を喉元に向けようとしていた。
「美琴!」
これは妖魔が見せている幻覚で、目の前にいるのは本物の美琴ではないはずなのに。
紫珱は動いていた。地面を蹴って空中に飛び上がる。
風を巻き上げ美琴の視界を遮ることで隙を突き、尻尾で短刀を叩き落とすつもりだった。
けれどその瞬間、目の前の美琴は持っていた短刀を紫珱めがけて投げつけた。
「───ぅぐッ ⁉」
切先は妖気を放ちながら紫珱の腹部に刺さった。するとその部分から黒い網目模様が広がり霊獣の体に巻き付いた。そして自由を奪うかのように締め付けられ、紫珱は体勢を崩し落下した。
網を破ろうともがけばもがくほど、それは霊獣の体に強く食い込み傷つけていく。
「いい眺めだな」
木陰から一人の青年が現れた。
「このような罠に簡単にかかるとは。偽物なのに、それほどこの女が大切か?」
紫珱は声の主をじっと見つめた。
妖魔の気配を感じながらも、莉乃の最期に寄り添っていたあのときの少年の面影が残っている。
「おまえがトウヤか」
青年は紫珱の問いに答えることはなかった。
「名を偽り美琴に近付いた理由はなんだ」
「近付いただと? 」
トウヤは笑った。
「偶然だよ、全てね。断るつもりの縁談相手が霊獣の選定者になったと聞いたとき、思ったよ。こんな幸運なめぐり合わせがあるなんて。僕の復讐は間違っていないと確信したのさ」
「復讐……」
「おまえが莉乃を選ばなければ。おまえが莉乃の前に現れなければ、莉乃が命を断つことなどなかったのに。おかげで計画が台無しだ。───でも、あの女の身体には莉乃を蘇らせる力がある。まだ未覚醒なその力、本当なら真の目覚めとやらを霊獣に与えることができるものだろ」
「それが狙いか。霊力に詳しいのは貴族の出生か」
「ああ、そうさ。でも僕は霊能を継げなかった。幼少期を過ぎても霊力の兆候がないと判ると一族から外される。力を持たない貴族の子がどうなるか知ってるだろ。今でも覚えているよ、僕に貴族としての力がないと知ったときの両親の顔を。父の落胆した眼差し。母はその日から僕に接することをやめた。はじき者と呼ばれるようになって、育った屋敷から出される日さえ母は僕の前に姿を見せなかった。里親の家でも僕は歓迎されなかった。養父母は毎月貴族から貰う養育費が目当てで愛情なんてなかった。───莉乃だけだった……いつも優しかったのは。莉乃さえいてくれたら、僕はそれでいい……」
「美琴をどうするつもりだ」
「どうするってさぁ」
クスクスと愉しげにトウヤは紫珱に言った。
「おまえの目の前で傷つけてやろうか。こんなふうに!」
美琴の姿をした人型に向かって、トウヤの指先から何かが放たれた。
鈍色をした細かな刃が美琴の身体に次々と突き刺さり皮膚を切り裂いていく。
「やめろ!」
「なにを慌てる。平気だろ、これは偽物なんだから。囮の役目は終わりだ」
傷つけられたところからじわじわと、まるで溶けるように人の形が崩れて無くなっていく様にトウヤは目を細めた。
「幻影なのだから血も流れることなく消滅するだけ。───だが本物はどうかな」
ニヤリと笑うその顔は卑しく変貌し、妖気を漂わせた。
「妖魔を取り込むとは愚かな。それで力を得たつもりか。肉体も魂も乗っ取られて喰われて、奴らの糧になるだけだぞ」
「糧になるのは僕じゃない。奴らが欲しているのはあの女の血肉。僕は莉乃が蘇えればそれでいい」
「それはどうかな。おまえはもう妖魔と同化しつつある。妖魔が喰らうのは血肉だけじゃない。妬みや恨みという想いも糧にする。おまえの想いもそうだ。心はもう蝕まれている。欲しているものもそうだろ」
「何が言いたい?」
「これだ」
紫珱は大きく体を揺らした。自由を奪っていた妖術の網がより一層強く食い込み、傷を付け、白銀の毛並みを赤く染め、その血は四肢を伝わってぽたぽたと地を濡らした。
「感じているはずだ。血の匂いに引き寄せられていることを。おまえの中にいる妖魔が俺の血肉を欲していることを。貴族の血肉を喰らい強い霊力を得てしまえばもう妖魔はおまえの言いなりにはならない。身体も心も乗っ取られるだろう。そして美琴を喰らい、肉体だけとなっている莉乃でさえ餌食となる」
「黙れ!」
トウヤは紫珱から目を逸らした。
「僕は妖魔に支配などされない!」
一瞬ではあったが、動揺するトウヤの表情が紫珱には見えていた。