目の前にいる男は、美琴の知る鷹也ではなかった。柔和な雰囲気は消え、憎悪の顔でこちらを見つめる『トウヤ』だった。

「筋書きを台無しにしてくれた罪は償ってもらわないとね」

「罪?あなたはいったい何をする気なの?」

「復讐だよ。霊獣が僕から莉乃を奪ったことへの」

「莉乃さんが亡くなったのは紫珱さまのせいじゃないわ。それに紫珱さまだって苦しんだの。呼び声に応えてくれた選定者を目の前で失って、とても辛かったのよ」

「笑わせるな!」

 トウヤは美琴の襟元を掴んだ。

「苦しんだだと?あいつには次の選定者が、君が現れたじゃないか。でも莉乃は僕にとってただ一人。代わりなんていない。何度も選び直せる霊獣とは違う!」

(何度も?)

 それはどういうことだろう。

 トウヤは掴んでいた襟元を離すと冷笑を浮かべ、まるで美琴の疑問を読み取ったように言った。

「よくわかっていないようだから教えてやろう。莉乃の存在を知るまで、君はきっとこう思っていたはずだ。選定者は自分だけ。私が一番だと。そうだろ?」

 違う、と言えない自分がいた。トウヤの言う通り、紫珱に最初の選定者がいたことを知ったときは衝撃だった。

「でも君は二番目だった。そして君が死んでも次に選ばれる者はいる。霊獣の言霊を受け、応える者がね。選定者は君でなくてもいいんだよ。君を失ったところで、きっとあいつが悲しむのはほんの数日だ。月日が経てば奴らはまた新しい選定者を探す。それが霊獣だ。でも僕は次もその次も殺し続けてやる。何度も失わせて、あいつには永遠に選定者など与えない。言霊も霊力も得られないまま苦しめばいい。どう?素晴らしい復讐だろ。霊獣は真の目覚めを得ることなく、恐ろしい獣のまま苦しむのさ」

「霊獣は恐ろしい獣なんかじゃない!」

 美琴は心の底から叫んだ。

「慈悲深く優しいとでも? 君は貴族の正体を知らないからそんなことが言えるんだ。奴らは薄情な眷族だよ。異能を持たない子供を平気で弾き出す。里子に出して永遠に一族から捨ててしまうのさ。僕もその一人だ。両親は貴族で異能があった。でも僕は何も受け継がない無異能者だった。無異能者は『(はじ)き者』と呼ばれて一族から捨てられる。必要のない子供として里子に出されるんだ」

 トウヤの告白に美琴は茫然とした。


「君が選定者でなければ、僕だって鏡を送ることも攫うこともなかった。見合いはしたが折を見て断るつもりだったからな」

 トウヤは淡々と語る。

「ねぇ。もしかしたら、もうあいつは次の選定者を探しているかもしれないよ。だってさ、君はあいつの役に立ったの? 霊獣の目覚めとやらを促すための力になった?」

「なんのことを言ってるの……」

「とぼけても無駄だ。君に備わった霊力のことだよ。君自身もまだ目覚めていない力がある」

 トウヤは朱の葩印のことを言っている。どこまで知っているのだろうか、その力のことを。

「ふふ、動揺しているね」

 ゾッとする微笑みを向けられた。

「霊獣は役立に立たない伴侶などいらないと思っているだろうな」

 刺すような痛みが美琴の心に広がった。

「でも安心していい。君のその霊力は僕と莉乃のために使えばいいんだ」

 トウヤの顔が近くなった。

「君は僕の復讐の道具。そして莉乃を甦らす力でもある。役に立ってもらうよ」

「甦らせる?」

(莉乃さんを……? 死人を甦らせる霊力が葩印にあるというの?───でも、そんなの間違ってる)

 美琴は恐怖心を打ち消すように強く首を振り、そして言った。

「そんなことさせないっ」

(この力は紫珱さまのためのもの。紫珱さまに捧げるものだから!)

 美琴は身体に巻き付く縄を必死に解こうともがいた。

「やれやれ。自分が囚われの身だとわかってないのかい?」

 トウヤの手がスッと伸び、美琴の髪を救い上げる。

「君の髪は漆黒で美しい艶髪だったのにな。でも変化したこの髪にも霊力が宿っていると知っていたかい? ほら、触れただけで僕の中にいる奴が悦ぶ」

 トウヤから感じる禍々しい気配が増していた。

「茶房で会ったとき、私の髪を奪ったのね」

 そして亡霊(莉乃)に持たせ紫珱に見せたのだろう。

 トウヤは答えず笑みを浮かべたまま手にしていた美琴の髪を握りしめる。

 すると刃物もないのに美琴の髪は握った先から切り取られた。

 トウヤは握りしめた手を唇に近付け目を閉じた。

 するとどこからともなく黒いもやのようなものが流れ出で、美琴の髪を握るトウヤの手に纏わりつき、切り取られた髪の中へゆっくりと吸い込まれていった。

 そしてトウヤが握りしめていた手を離すと、美琴の髪はその形を変化させていった。

 新しい形を成すのに時間はかからなかった。

 蜂蜜色がぼんやりと輪郭を形作る。その変化に美琴は目を見張った。


 トウヤの横に現れた人の(かたち)

 それは美琴と同じ蜂蜜色の髪をして同じ服を纏って立っていた。

 その姿はまるで鏡の中から抜け出したように、美琴と瓜二つだった。