───ふ、触れたいって。

 それってつまり……。

 朱の葩印は霊獣の霊力を戻し『真の目覚め』を促す大切なもの。


 夫である霊獣だけが触れてもいい場所。


 触れ方は純粋な想いと一緒に。……息を込める口づけ……。


 けれど触れたからといってすぐに効果が現れるわけではないと、穂奈美は言っていた。


 でも、触れてもらうことで少しでも紫珱さまの霊力が戻るなら。


 不鮮明なその姿も、変幻の力の回復も。


 そのお手伝いができるなら。


 わたしが力になれるなら。


「……あ…の……ど、どうぞ……」



「いいのか?」



 頷いたが、身体は震えていた。



「……美琴、ありがとう。……だが無理するな。こんなに震えていては俺も辛い。想いが……俺ばかりの想いだけでは触れても意味がない。美琴の想いも伴わないとな……。まだ恐怖心があるうちはやめておこう」



 紫珱の言葉に、美琴は胸が熱くなるのを感じた。

 そして苦しさも感じた。


 役に立ちたいと想うのに。

 上手く伝えられないもどかしさ。


 そして紫珱の言う通り、自分の中にまだある恐怖心に身体が反応してしまうことが、なんだかとても苦しくてせつない。


「……違う。……わたし……わたしは……」


 紫珱の腕の中で、美琴は首を振っていた。


「……美琴?」


「怖いけど……。紫珱さまは……わたしの……旦那さまに……なる人だから。だから………」


 触れたいと思う。わたしも……。

 自分から触れていくことも大切だと、穂奈美は言っていた。

 だから……。あなたに。

 あなたのことがもっと知りたいです……。

 そんな想いを込めながら、美琴は自分の手をそうっと紫珱の胸に当てて身体を寄せた。


 その動きはほんの僅かで、以前より少しだけ身体が寄り添った程度の行為だったけれど。


 次の瞬間、紫珱の両腕がゆっくりと包み込むように背中へと回された。


「美琴の気持ちが今、俺の中に流れてきたような気がする。俺のことを想ってくれる純粋な心が伝わって響いて、広がるような……不思議な気分だな」


 こう言われて、僅かでも想いが伝わったのだと思えて、美琴は嬉しくなった。

 横向きで抱かれる体勢ではあったが辛くはなく、密着する身体から、いつの間にか温かくなっていた紫珱の体温に、美琴は少しホッとした。


 よかった。紫珱さま、身体が温かくなってる。


「美琴には順番が必要かもしれんな」


 美琴を抱きしめながら紫珱は言った。


「順番?」


 腕の中の美琴が首を傾げるのを見て紫珱は微笑んだ。


「ああ、順番に。最初は……そうだな、おでこ」


 紫珱はこう言いながら、美琴の額へ唇で触れた。


「次はほっぺの右」


 柔らかな唇が、額に触れていたかと思うと、次にそれは頬へ降りた。


「左も」


 唇と一緒に、銀色の髪もふわりと触れて、美琴の頬をくすぐった。


「さて、次はどこだと思う?」


 言いながら、紫珱は美琴を抱きしめていた腕を一旦緩め、横に向いていた自分の身体の位置を変えた。

 美琴を真下に見下ろすような体位になって紫珱は言った。


「朱の印も大切な場所だが。俺は美琴のここにも触れたい」


 紫珱の片手が優しく頬を包み、そこからゆっくりと指先が美琴の唇へ降りていった。


「わたし……てっきりお鼻かと……」


「鼻?」


 聞き返した紫珱は次にクスッと笑った。


「そうか。そうだな、鼻がまだだったな」


 くすくすと笑いながら。


 紫珱は美琴の可愛らしい鼻の頭に唇で軽く触れて。そのまま、吐息ごと紫珱は美琴の唇に口づけを落とした。


 ほんの一瞬触れただけで、熱を帯びた唇。

 そして離れてはまたすぐに触れてくる紫珱の唇も熱い。

 優しく何度も、啄ばむように繰り返されるその感触は、初めてだったが不思議と怖くなくて。

 戸惑いながらも美琴は目を閉じた。

 口付けは何度も繰り返され、一度間を置いて途切れたときには、少し寂しいとさえ感じるほどだった。


「怖くないか?」

 訊かれて目を開けると、憂いを帯びた紫珱の眼差しがあった。


「───怖くないです」


 思ったままを言葉にすると、紫珱は柔らかな笑みを向けて言った。


「美琴、今度は少し口を開いてくれるか?」


「え?」


「そう、そのまま……」


「……ぁ ……ッ!?」


 重ねられた唇よりも、もっと生温かい何かが紫珱の唇から入り込んできた。


 すぐにそれが舌だということに気付き、驚いたが。

 痺れるような感覚に抗う力は奪い取られ、美琴は紫珱を受け入れていた。

 熱を帯びて溶けていくような口づけの、不思議なぬくもりを美琴は初めて感じた。

 紫珱の舌先が口内をゆっくりと這う。


「───……ぁ、ふ……っ」

 初めてのことに息継ぎがままならず、美琴は次第に呼吸が苦しくなり、紫珱が唇を離した頃には、荒い息でぐったりしてしまうほどだった。


「苦しかったか。すまない……」


 紫珱は美琴のおでこを優しく撫でながら言った。


「まだ触れる程度にしておけばよかったな」


 どこか残念そうに言う紫珱に、美琴は首を振って答えた。


「……わたしが、慣れてないせいで……」


 美琴の言葉に、紫珱は優しく笑って言った。


「慣れていたら俺が困る。……大丈夫、慌てなくてもいい」



 言いながら、紫珱はゆっくりと体勢を変えた。


 美琴の隣に身体を並べ、横に向く。


 そしてもう一度、美琴の頭を撫でながら言った。


「少しこっちを向けるか?」


 呼吸の落ち着いた美琴がその通りに動いたとき、僅かに空いた隙間へ、紫珱は腕を伸ばした。


「……え、ぁの……」


 紫珱の腕が枕になり、美琴は慌てた。


「いいから、このまま。今夜は眠ろう」


「疲れませんか? 痺れたり……」


「大丈夫だ。もしもそんなときは、ほら、こうする……」


 紫珱はもう片方の腕でぎゅっと美琴を抱きしめた。


 な……なんだか。

 余計に眠れないような気も……。


 そんなことを思った美琴だったが。


 いつの間にか寝息をたて始めた紫珱の傍で、優しいぬくもりの中で、美琴の意識も眠りの中へと誘われていった。