冷んやりとした空気を吸い込んだような気がして、美琴は目覚めた。

 自分は寝つきが良かったはずなのに。

 どういうわけか今夜は、なぜかすぐに寝付けなかった。

 浅い眠りの中、隣で寝ていた紫珱が部屋を出て行ったことに美琴は気付いた。


(厠かしら?)

 ぼんやりと考えながらも気になるのは昼間、墓参りを終えてからの紫珱の様子だった。

 口数も少なく、何かを考え込む様子がやけに気になった。


 昼間の幽霊が何か関係しているのだろうか。


 妖しい気配を纏っていたあの亡霊の姿を思い出すと、なんだかとても恐ろしくなり、美琴はおもわず布団の中で身を縮めぎゅっと目を閉じた。

 それから少し経ち、足音が聞こえ紫珱が部屋へ戻った。

 美琴は額の辺りまで布団を被ってはいたが、ほんの少しの隙間から人の姿をした紫珱を覗き見た。


 紫珱さまの白銀の髪、ホントに綺麗だなぁ。


 暗闇の中にぽわりと浮かぶ銀の輝きに美琴が見惚れていると、不意に紫珱がこちらを向いたので焦った。


「美琴……?」


 呼ばれたのに。


 美琴はなぜか気まずさを感じて息をひそめた。


「苦しくはないのか? そんなに布団の中へ潜って」


───さわり、ふわりと。


 上掛けに手が触れた音がして、美琴の顔の辺りに冷たい空気が触れた。


 被っていた上掛けが外され、美琴は目を閉じたまま強張る自分の顔が、紫珱の前に晒されたことに気付いた。


 ───わ、わ!……お、起きてたこと気付かれちゃうっ。


 目を開けてしまえばよかったのにと思うのに。気持ちとは裏腹に、なぜか強く目を閉じて歯を食いしばってしまう美琴だった。


「起こしてしまったか?」


 美琴が黙したままでいると、少しだけ間を置いてから微かに、溜め息のような吐息が聞こえた。

 そしてまた静寂。

 紫珱さま、寝たかな……?

 美琴はそっと目を開ける。


「俺の妻はいつからタヌキになったのかな?」


 暗がりの中、紫珱がこちらを覗き込むように見つめていた。


「 ぇっ!」

 ───た、たたッ、たぬきっ!?


「狸寝入りとは。ずるいじゃないか」


「いっ……い、いえあのっ……ぇと……」


「ん? なんだ、言い訳か?聞こえないぞ」


 細められた眼と拗ねたような口調。

 そしてとても近いその距離に、美琴はひどく慌てた。

 ……な、なんか紫珱さま、御機嫌が悪そうな……。


 確かに、狸寝入りしちゃってたのは本当だけど。


「………んなさぃ……」


「聞こえない」


「……ご、めん、なさい……たっ…タヌキに、……なってて……」


 ぱふっ。


 美琴は恥ずかしさから、再び上掛け布団を頭から被った。


「おい、こら。美琴、何も隠れなくても」


「………だ…って……」


 本当は、わたし。

 紫珱さまに見惚れてたんだもん。

 綺麗な髪もそうだけど、その……横顔、とか。

 だからこっちを向いたとき、とても驚いて。


「顔を出すんだ、美琴。でなければ布団を剥ぐぞ」


 は、剥ぐ!?


 美琴は仕方なく被っていた上掛けからゆっくりと顔を覗かせた。
 
 そんな美琴に、紫珱は少し怒ったような顔で言う。


「目しか見えぬぞ。もしやタヌキのヒゲでも生えてるのか?」


「そんなもの生えてません!紫珱さまじゃないんだから」


「なんだ、言ってくれるな。だったらほら、もっとよく顔を見せろ」


「あっ───」


 紫珱は美琴の手元から上掛けを引き寄せ、代わりに自分の顔を近付けた。


「……こら。目を閉じるな」


「だって……」

 
 近すぎるからっ。


「今の俺にヒゲはあるか?」


 静かに訊いてくるその声が優しくて。


 美琴は目をあけて首を振った。


「じゃあ、そちらの尻尾はどうかな?」


「え、尻尾?」


「タヌキになっていたならあるんじゃないのか、尻尾も」


 ───バサッ。

 上掛け布団が身体から離れたと感じた瞬間、紫珱の身体が横からスルリと入り込んできた。


「尻尾はとこだ?」


「しっ⁉ ちょッ───紫珱さまっ………」


 冷たい! ───身体……。

 なんでこんなに……。


 布団の中に入り込む行為にも慌てたが、紫珱の身体がとても冷たいことの方が驚きだった。


「紫珱さま、外にでも居たんですか? こんなに冷えて……」


 美琴はおもわず紫珱の肩を撫でた。


「……あぁ、少し夜風に当たってはいたが」

「ダメじゃないですか。風邪ひきますよ」

「こうしてればすぐに温まる」


 紫珱は美琴の腰に腕を回した。


「暖かいな、美琴は」


 優しく抱き寄せられ、耳元で囁かれ。


 美琴は今以上に、自分の身体が熱くなってゆくのを感じた。



「きゃっ!?」


「……ふむ。尻尾はないようだな」


 突然、尻の辺りを軽く触られ、美琴は驚いて紫珱から身を引こうと動いたが。

 抱きしめられる方が早かった。


「……印を。……葩を。朱の葩を見せてくれ、美琴」


 紫珱の指先が美琴の首筋を撫でた。


 その冷たい感触に、美琴はおもわず首を竦める。


 そのまま指先が髪を梳き分け、左側の首筋をなぞる。


「暗くて見えないが、この辺か?」


 小さく頷く美琴を、紫珱は愛おしげに眺めた。


「触れてもいいか?」


 美琴は驚き紫珱を見つめた。


「美琴の葩に触れたい」


 銀の髪に縁取られた紫珱の顔が、ぼんやりと淡く輝きながら美琴の目の前にあった。