それからしばらくして、仕事を終えた隼人がリビングに現れ、千花の両親と紫藤の両親が揃った。基紀はあとでと手を振ってリビングを出ていく。
 結納は二十分ほどで終わり、千花は隼人に声をかけた。

「隼人……えっと、これから、よろしくね。なんか、夫婦になるなんて実感湧かないね」
「あぁ、そうだな」

 隼人はこちらを見ずにそう言った。そして、ぷいと目を逸らす。
 彼は結納の間もなぜか思い悩んだような顔をしていた。どこか上の空で自分たちの結婚なのに、まるで他人事のようであった。


 結納から半年。
 隼人とは結婚式の打ち合わせで顔を合わせたが、必要最低限だった。
 それも仕方がない。紫藤家の長男である基紀が、今回の結婚を機に次期当主の座を隼人に譲ることを宣言したのだ。当然、上を下への大騒ぎとなった。

 基紀が当主の座を隼人に譲ったのには理由があった。当主にはトップとして冷酷であることを求められる。基紀は優しく他人に非道になりきれなかった。
 だが、兄弟の両親は長男である基紀を当主にすると言って譲らなかった。隼人には基紀のサポートにつくように言い含めていたほどだ。千花の想像でしかないが、兄弟の確執が生じるのを避けたのだろう。
 兄弟の間でどんな話し合いがあったのかは、千花にはわからない。
 隼人は次期当主になることを受け入れ、紫藤の父から教育を受けなければならなかったのだ。とても、結婚式の準備を手伝って、などと言える状況ではなかった。


 そして、数度しか顔を合わせないまま結婚式の日を迎えた。
 バージンロードを歩き、父から隼人に千花の手が渡る。
 千花は隼人の手を取り、緊張で強張った顔で彼を見上げた。隼人は今まで見たこともないほど優しげな顔をしており、こちらに向けて笑みを浮かべた。

「綺麗だな」

 そう言われて、千花の頬が一気に真っ赤に染まる。
 彼の声はいつか聞いた、あしらうような口調ではなかった。彼の目にも熱が籠もっているように見える。
 もしかしたら、これで少しは女性として隼人に見てもらえるかもしれない。そんな期待が芽生えた。

「ありがとう」

 誓いのキスの時間。
 千花は羞恥心に耐えながら目を瞑った。
 すると隼人の唇が頬に触れた。

 残念だが仕方がない。自分たちはまだ恋人関係にも至っていない。当然、身体の関係なんてないのだ。

(これからゆっくり夫婦として過ごしていけば、隼人との関係も変わるかな)

 理由はわからないが、彼も千花との結婚を受け入れてくれたのだ。少なからず千花に好意を覚えてくれていたのかもしれない。
 きっと今は照れているだけで、二人で過ごしていくうちに夫婦になっていけるだろう。いつか、愛し愛される関係になるかもしれない。

 千花はそう期待していた。
 このときはまだ、隼人との夫婦生活が楽しみで仕方がなかった。