「私たちはあなたに無理な結婚を強いてまで会社を維持したいわけじゃない。千花、あなたの幸せが一番なのよ。だからよく考えて結論を出して。先方だって、断ってくれていいって言ってるんだから」

 本音では紫藤家との縁談を受けてほしいだろうに、母は千花の幸せを第一にと言った。
 実家である有川家が経営する会社の業績が悪化し、紫藤家との婚姻による繋がりを欲しているのは知っている。実際、千花が嫁入りすれば、結納金としてそれなりの額を払うという約束をしているらしい。

「ううん、大丈夫……隼人と結婚するよ。でも最初は基紀お兄ちゃんに決まりそうって言ってたのに、どうして隼人になったの?」

 千花はその事情を知っていたが、知らないふりをして口に出した。
 紫藤の祖父は遺言に兄弟どちらでもと書いていた。けれど、紫藤の両親は年齢順と考えたのか基紀と千花の結婚という話で進んでいたのだ。
 千花が聞くと、母はちらちらとこちらを見た。言いたいことがありうずうずしているのに言えない、という顔をしている。

「興味本位で聞いただけ。話せないならいいよ」
「違うのよ、そういうわけじゃないわ。ただ、千花が傷ついたら可哀想だと思ったの」
「私が傷つく?」
「……実は基紀さんね、好きな人がいるんですって。だから千花とは結婚できないって断られたのよ」

 もしかして母は、千花が基紀を好きだと思っていたのだろうか。それは違うと否定する間もなく、母が話を続けた。

「ほら、あなたも知っているでしょ。町田《まちだ》希美《のぞみ》ちゃん」
「基紀お兄ちゃん、希美ちゃんと付き合ってたんだ」

 母は、得意顔で言った。おそらくその話をしたくてたまらなかったのだろう。
 それを知っていた千花は、なるべく棒読みにならないようにするのに苦労した。

「そうなの。驚くわよね!」

 希美は、千花が小学部の頃、基紀と同じ中学部に転校してきた。
 家が近いこともありあっという間に紫藤家の兄弟と仲良くなり、幼馴染みの三人と希美で遊ぶことが多かったのだ。
 いつの頃からか基紀が希美を見る目には熱が籠もっていた。希美もまた同じだった。
 それを母に言うと確実に騒ぎ立てると思い言わなかっただけで、実は二人が想いを寄せあっているのには気づいていた。
 だから遺言だとしても、千花は結婚相手が基紀ならば断るつもりでいたし、基紀も同じだろう。
 そして、あわよくば弟である隼人と自分が結婚できるかもしれない、そんな期待がわずかにあった。

「でね、基紀さんが断ったから、紫藤のご両親が隼人さんに確認したら、結婚するってお返事だったんですって。あとは千花次第だったのよ」
「そうだったんだ」

 隼人は、千花との結婚を受け入れた。そのことに浮かれないように必死で表情を取り繕った。このまま話が進めば、隼人と千花は夫婦となるのだ。