基紀たちに手土産をもって謝罪に行ったあと、千花は、隼人の運転する車で数駅離れた街を訪れていた。

「ここ……」
「懐かしいだろ」

 紫藤家からだと電車で一本。この街は、春になると川沿いに植えられた桜が一斉に花開き、花びらが舞う。その様子を見るために遠方からもたくさんの人々が来るほどだ。
 今も近隣に住む住民たちが川沿いにシートを敷き、花見をしている。千花は、隼人と手を繋ぎながら、川沿いを歩いた。

(昔……隼人と家出したときも、ここに来たよね。あの頃は大冒険だったな)

 あの頃はずいぶんと遠くだと感じていたが、実際は三十分もあれば着く距離である。

「家出した私に付き合ってくれたんだよね」
「そうそう……あのとき俺、実は相当焦ってた」

 隼人が思い出し笑いするように言った。

「えぇ、そうなの?」
「そりゃそうだろ。お前はまだ五歳くらいで、俺だって小学生だぞ。なんとかお前を説得して、無事に連れて帰らないとってな」
「私……なんで家出なんてしたの?」

 千花が聞くと、隼人は呆れたような顔をする。

「仕方ないでしょ、五歳だよ。覚えてない」
「お義母さんとケンカしたって言ってたな。たしか……大事にとっておいた折り紙かなんかを捨てられたとか」
「私……そんなことで怒ってたの?」
「いや、折り紙はきっかけだっただけで、構ってほしかったんだと思う。毎日、忙しくて全然話を聞いてくれないって泣きだしたから」
「あぁ……なんとなく思い出した」

 たしかに折り紙はただのきっかけに過ぎなかった。
 母に構ってほしくて、どうして折り紙を捨てたのだと突っかかっていった。
 けれど、当時、両親は会社のことでいっぱいっぱいだった。思えば、あの頃から事業があまり上手く入ってなかったのだろうが「あとで」と何度も言われて、家を飛びだしてしまった。
 そのうちいらない子になって捨てられてしまうのではないかと怖くなり、心配して探しに来てくれるかを試すような真似をしたのだ。
 一人で家出をするのは寂しいからと隼人に会いに行き、彼が一緒に着いてきた。
 そして行く当てもなく、なんとなく乗り慣れた電車に乗り、数駅先で電車を降りた。

「あのとき、ちゃんと話さないと伝わらないぞって、隼人に言われた」

 たとえ家族でも言葉にしなければ伝わらない。今、千花が思っていることをぶちまけてこい、と彼は言ったのだ。

「もし、それで千花のお母さんがいらないって言うなら、俺がもらってやるから心配すんなって言ったの覚えてる?」
「覚えてるに、決まってる」

 隼人は照れたように頬をかいた。そして、ジャケットのポケットの中から小さな箱を取りだし、千花に差しだした。

「なにこれ?」
「俺こそ、言葉が足りなすぎたって反省したんだ。だから、ここでお前に渡したかった」

 千花は受け取り、箱の中身を見てさらに驚いた。
 そこにはネックレスとヘアクリップが入っていたのだ。

「本当は……結婚記念日に渡そうと思って、用意してた。お前がいつまでも兄貴からのプレゼントを身につけてるのが許せなくて、張り合って……アホだな、ほんとに」

 千花の髪に触れる。後ろ髪を留めていたヘアクリップを外され、隼人からのプレゼントの方を髪につけられた。
 髪を梳くように撫でられて、千花は彼の手の心地好さに目を瞑る。結納のとき、基紀に同じように髪に触れられたけれど、そのときはこんなにもドキドキしなかった。
 隼人に触れられると、ずっとそうしていてほしくなる。

「可愛い」

 彼は離れがたいと言いたげに何度も千花の髪を梳いた。そして、顔が近づけられる。もう一度目を瞑ると、そっと唇が重ねられた。

「嬉しい、ありがとう」

 千花が礼を言うと、隼人が嬉しそうに微笑んだ。
 こんな顔、結婚してから一度だって見たことがない。
 自分たちはもっと話すべきだったのだ。そうすれば、一度目で千花は死ななかった。
 だから、踏み出す勇気を持ち、やり直すために、二度目の人生を神様がくれたのだと千花は思った。

「千花、俺と結婚しようか」

 耳のすぐ近くで隼人が囁くように言った。

「もう、結婚してるじゃない」
「いやか?」
「ううん。今日から、夫婦として、よろしくね」

 千花は背伸びをすると、隼人の首に腕を回し、今度は自分から口づけたのだった。

 了