「今さら、でしょ」
「今さらじゃない。千花が望むなら、ちゃんと話をして、食事も一緒に取る。休日は俺とデートをしよう」
「どういう風の吹き回し?」

 信じられるはずがない。
 千花の目がそう言っているのを悟ったのか、隼人の顔が切なげに歪む。

「俺だって……お前と結婚できると聞いたとき、嬉しかった。夫婦になれば、いつか俺のことを見てくれるかもしれないと、期待していた」
「へぇ」

 隼人の言葉に、千花は乾いた笑いを漏らした。
 一度目の彼を思い出したのだ。千花は精一杯、歩み寄る努力をしていたつもりだ。けれど、その手を振り払ったのは隼人の方だ。
 わかっている。前の時とは少しずつ違うと。隼人も前とまったく同じではないと。それでも、彼に言われた言葉が、彼からの拒絶が、いまだに千花の心を深く傷つける。

「そう……」

 千花は涙に濡れた頬を拭き、立ち上がった。

「待て……っ!」

 ふらふらと玄関に行こうとするのを止めたのは隼人だ。
 背後から腕を掴まれて、抱き締められる。

「悪かった。俺が、悪かった。ごめん、謝るから……ここにいろ」
「なんなの……なんなのよっ……最低! 朝、おはようって挨拶したって返さないし、遅くまで待ってたって……作ったご飯も食べないし……っ! 結婚記念日にちゃんと話をしようと思って、私、隼人の好きなものをたくさん作った、ケーキだって……それなのに、あなたは結婚記念日を覚えてもいなかった!!」

 わかっていた。これは前の自分と隼人の話だ。
 今の彼からしたら、身に覚えのないことで責められているような感覚だろう。それなのに、隼人はただ千花を抱き締めながら「ごめん」と言って抱き締め続けた。

「千花が、ずっと、好きだった……でも、結婚が決まったのに、お前が兄貴に身体を許しているのかと思ったら……汚らわしく思えて、触れられなかった」
「……そんなことっ、してない!!」

 千花が叫ぶように言うと、ますます腕の力が強まった。

「わかった、信じる。千花は、俺より兄貴に懐いてたから、兄貴と抱きあっているのを見て、あぁやっぱりって思ってしまった。ごめん」

 肩で息をしながら、千花が涙をこぼしていると、真正面から抱き締められた。顔が隼人の胸に埋まり、こんなときなのに初めて嗅ぐ彼の匂いが嬉しくなる。
 ずっと、こんな風に抱き締められたかった。
 そんな期待をしていたことに、自分自身も驚いた。

「私が好きな人は……ずっと前から、一人だけだよ」
「それは、誰だ?」

 隼人が真面目な顔をして聞くから、思わず涙が引っ込んでしまった。逆に怒りが湧いてくる。どうして千花の気持ちはまったく通じていないのか、と。