第一章

 隼人と結婚したのは、千花が二十四歳の頃、桜が舞い散る四月のことだ。

 紫藤《しどう》隼人と彼の兄である基紀《もとき》と有川《ありかわ》千花《ちか》の三人は幼馴染みで、それこそ生まれたときから一緒にいる。
 だから、紫藤家の祖父──達郎が〝兄弟のどちらかと千花を結婚させること〟なんてふざけた話を、自分たちが幼い頃からしていても不思議ではなかった。それくらい、近しい関係であった。
 基紀は千花の六つ上、隼人は四つ上だ。年齢的にどちらと結婚しても釣り合いが取れているため、冗談でそんな話になったのだろう。そう思っていたのだ。
 達郎が亡くなるまでは。

(遺言書にまで残したの!? 本気だったのね……紫藤のおじいちゃん)

 達郎の遺言書には、千花を紫藤家に嫁がせるようにと書かれていたらしい。
 千花は言ってみれば、基紀と隼人の幼馴染みなだけで、紫藤家とは何の関係もないのに。
 たとえ遺言に書かれていたとしてもそこに法的拘束力はない。結婚は本人の意思でするものだ。
 だが、達郎の遺言を無下にもできなかったのか、紫藤家は有川家に結婚の話を持ちかけてきたのだ。

 達郎が自分を可愛がってくれていたのはわかっている。本家筋の孫は全員男だから、基紀と隼人と遊ぶために紫藤家を訪れる千花を本当の孫のように思ってくれていた。
 きっちり断っていなかった自分にも責任はある。というか本当は断れなかったのではなく、千花は断りたくなかったのだ。
 達郎のことは置いておいても、好きな人と結婚するチャンスを、みすみす逃がしたくなかった。
 ただ、この結婚は、基紀の意思でも、隼人の意思でもない。

「ねぇ、千花。正直に教えて、紫藤家との縁談、本当にあなたは納得しているのよね?」

 夕飯時、母に聞かれて、千花は返事に窮した。
 紫藤家との縁談、と母は言うが、それが紫藤家の兄弟どちらとの結婚の話かで、千花の気持ちはだいぶ変わってくる。

「納得って言うか……基紀お兄ちゃんと、隼人、どっちになるか決まったの?」
「……えぇ、隼人さんに決まったわ」
「隼人に!?」

 千花は、期待と喜びで早くなる胸をなんとか抑え、平静を装った。
 幼い頃から千花は隼人に片思いをしている。だがそれを母には言っていない。母は紫藤家の両親と仲が良く、子のプライバシーを重視していない。
 千花が秘密にしていることを、それはもう悪気なくぺらぺらと話す人なのだ。