「なんだよ」
「…………のよ」
「え?」

 千花は不本意だという顔を隠さず、観念して胸の内を吐露する。

「だから、結婚式の時はまだ、隼人と本当の夫婦になれると思ってたの! 今みたいな状態じゃなくて、政略結婚でも愛し愛される夫婦になれるって、あの頃は信じてたっ」

 視線を落としため息交じりに言うと、隼人が息を呑む。そして、あり得ないと言いたげな顔で千花をまじまじと見つめた。

「お前は……俺と、そういう夫婦になりたかったって言うのか……?」
「おかしい? 当たり前でしょっ?」
「まさか」
「なにがまさか、なの! 夫になる人と愛し合いたいと思うのは当たり前じゃない! でも、隼人への期待なんて、結婚式の夜には塵になって消えたけどね!」

 一年前の夜、ホテルで千花に対して冷たく接したことを思い出したのか、隼人はばつが悪そうに目を泳がせた。
 しかし、今世はまだそれでもいい方だ。千花は隼人に早々に見切りをつけていたから。死に戻る前は、それこそ女性としてのプライドが粉々になるほどひどかった。マッサージをすると言えば拒絶され、一緒のベッドで寝ていいかと聞いたら、疲れていると返された。

「それは……悪かった」
「もう謝らなくていい。離婚届はもう一度準備するから、今度はちゃんと書いて」
「だから離婚はしないって言ってるだろう!」
「なんでよ!」
「なんでもだ!」
「もういい加減にしてよ……っ! もう、いやなのっ」

 千花はずるずるとその場にへたり込むと、震える息を吐きだした。
 握りしめた拳の上にぽたぽたと涙が落ちる。

「千花?」

 隼人が初めて動揺したような声を発した。

「もう、いいじゃない……解放してよ」

 隼人が好きだった。ずっと、ずっと大好きだった。
 ぶっきらぼうだけど、本当は優しいと知っている。
 だからこそ、結婚してから自分にだけ与えられなくなった優しさが辛かった。千花以外の家族に接しているときは昔のままだからこそ、余計に辛かったのだ。

「私は……今度こそ、幸せになりたいの。こんな結婚生活じゃなくて……ちゃんと普通に話をして、ご飯を食べて、休日に手を繋いでデートができるような、そういう結婚をしてくれる人と出会いたいの」

 千花が嗚咽を漏らしていると、隼人もまたその場に膝をついた。
 隼人は手を伸ばし、千花の肩に触れようとして思いとどまる。浮いた手は宙を切り、床に触れた。

「それは……俺じゃ、だめなのか?」

 自信なさげな隼人の声。
 なにを言っているのだろう。だめだったから、今、こうなっているのに。