隼人の顔が、幼馴染みだった頃の懐かしい記憶を思い起こさせた。
 決して甘くはなかったけれど、妹のように、家族のように接していたあの頃。千花は動揺のあまり、食洗機に入れようとした皿をシンクに落としてしまう。
 がちゃんと音が立ち、同じくキッチンに立って食事の用意をしていた隼人が、こちらを向いた。

「手は?」
「え?」
「怪我、しなかったか?」
「あ、うん」

 なんなのだろう。
 前回、こんなのはなかった。隼人から話しかけられること自体が、前回はほとんどなかったのだ。
 千花がぼんやりしていると、シンクに落ちた皿を隼人が取り、さっさと食洗機に入れてしまう。なにが起こっているのか、千花にはわからない。
 わからないことは考えない方がいい。考えればドツボにはまってしまう。

「私、もう寝るから」

 千花は、キッチンの掃除を終えて、ダイニングテーブルに食事を運ぶ隼人を振り返った。彼の世話をするつもりはない。千花がいる方が隼人にとってはストレスだ。

「あぁ」

 彼からは短い言葉が返ってくるだけだ。
 寝室のドアを開けてベッドに横になると、千花は布団を頭まで被った。動揺を落ち着けるように掛け布団の中で深呼吸をする。
 もしかして今世では上手くいくのではないか。そんな期待が捨てきれない。だめだ。決めたではないか。もう頑張るのはやめると。
 ほんの少し優しくされただけですべてを許せるほど、千花の心の傷は浅くない。


 翌日は土曜日で隼人も自分も休みだ。
 結婚してからずっとこの二日間の休日は地獄のようだった。
 だから千花は、なるべく遅く起きるようにして、十時頃にベッドから起きた。隣のベッドは空で、隼人はもう起きたようだ。できるならどこかにでかけてくれていたらいい、そう思いながらリビングに行くと、彼は朝食を摂っているところだった。

 千花は思わず、ため息を漏らしてしまう。

「おはよう」

 そう言われて、小さく「おはよう」と返した。
 千花は時間をかけて顔を洗い、髪を整えた。いつは朝食前に化粧などしないのに、ダイニングで隼人と顔を合わせたくないあまり、念入りに化粧をしてしまう。

 髪には基紀から結婚記念にもらったヘアクリップをする。これは千花にとってお守りだった。辛いことがあっても、基紀と希美が背中を押してくれるような気がした。毎日つけることで、願掛けのような気持ちもあったのかもしれない。

 千花がダイニングに戻ると、隼人はすでに朝食を終えていた。そのことに安堵していると、隼人が席を立ち、千花の分のコーヒーを淹れてくれた。

「……ありがとう」
「いや……」

 結婚して半年経つというのに、自分たち夫婦はなんてぎこちないのだろう。
 家政婦が来るのは平日の九時過ぎだ。朝食の用意は自分たちですることになる。ただ、パンやご飯、卵、野菜などは常に買い置きしておいてくれるため、困ることはない。

 千花はキッチンでパンをトースターに入れて、作り置きしているコールスローサラダを皿に盛りつけ、冷凍しているスープを温める。
 食べるときにレンジで簡単に解凍できるので、野菜スープなどを大量に作り冷凍庫に一人前ずつ保存しているのだ。
 千花は、焼けたばかりのパンをトースターから取り出し、スープやサラダと共にテーブルに運んだ。
 どうしてか隼人は、ダイニングのテーブルについたままだった。千花がテーブルに置いた料理をじっと見ている。
 向かいから、くぅ~と小さい音が聞こえてきて、隼人が恥ずかしそうに目を逸らした。