「貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時おり甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。──どんな時だって、私を選ばなかったくせに」

 そう死に際に悪役令嬢の役を押しつけられたルーシャは、大粒の涙を流して、《魔女の呪い》に食われた。
 パーティー会場は騒然。今日はルーシャとベルンハルトとの結婚報告となるおめでたい日だったのが一変。《茨姫のルーシャ》と呼ばれた彼女は「言葉が刺々しい」という意味ではなく、王家の呪いを肩代わりするために付いた名称だった。

 それすらも王子ベルンハルトは忘れたのか、ルーシャと対面した時、王子の傍には異世界からの御使いであるエリーが連れ添っていた。

「ああああああああああ!」
「ルーシャっ」
「王子だめです! もう、……手遅れです」

 ベルンハルト王子が手を伸ばそうとするも、空を切る。
 エリーは樹木の化物になりつつあるルーシャを見つめ、炎魔法を唱えた。

 ベルンハルト王子は「まだ、呪いの核を壊せば《聖樹の雫》で、ルーシャを蘇らせることができるはずだ」と言い出し、化物を倒した。だが、すでに呪いの核と同化したルーシャは救えず灰となって消える。

「嘘だ……っ、ルーシャ!」

 ベルンハルト王子は絶望し、その場に崩れ落ちる。
 彼の瞳から一筋の涙が零れ落ちた。


 ***


「──って、全部お前のせいだろうが、馬鹿王子!!」

 思わず口に出てしまう。
 寝る前にゲームのラストシナリオパートのことが印象的──と言うか、ショックだったので思いの丈を叫んでしまった。

(まあ、一人暮らしなので問題はな──)

 ふと視線を感じて起き上がると、ホテル並みの部屋で寝ていることに気付いた。そして黒いメイド服姿の女性と目が合うではないか。
 二十代前半のお姉さんって感じで、何処かで見たようなことがあったが、どこだったか。

(と、言うか、どうして私の家にメイドさんが!?)
「お、お嬢様! お嬢様が目を覚まされました!!」
「え。おじょ──ってもういない!」

 侍女は脱兎の如く廊下を駆けて、何処かに行ってしまった。速っ。
 自分の姿に視線を向けると、白すぎる艶やかな肌に、真っ赤な長い髪に気付いた。私は黒髪で、長い髪の手入れが面倒でショートカットにしていたはずだ。いろいろ周りを見渡し──。

(……というか、これは……まさか異世界転生!?)

 どうやらそのまさかだったようで、私は寝る前にプレイしていた乙女ゲーム《時の(クロノス・)思い出(メモリー)》の世界、しかも推しである悪役令嬢ルーシャに転生してしまったようだ。

(よりによって、どのルートを選んでも一周目は推し及びメインキャラが、ほぼ死ぬという悲哀乙女ゲームに転生するなんて……)

 すれ違い、勘違い、政治的背景による裏切りや、《魔女の呪い》などによる精神支配などもろもろあって、思い人が序盤から死んでいくのだ。
 ただその死に至るまでのエピソードや、亡くなった後からの回想によって、キャラの魅力が増すという心臓に悪い内容である。

(序盤でルーシャの兄が死ぬし……。婚約者である王子は放蕩者だし……ルーシャが不憫でならなかった……)

 鏡で自分の姿を見ると、ゲームプレイ時よりも少し幼い。まだゲームそのものが始まっていないのだろうと推測出来る。部屋に学院の制服もなかったので確定だ。

『貴方は一度だって私の話に耳を傾けたことがなかった。誤魔化して、逃げて、時おり甘い言葉や、贈り物を贈れば満足だと思っていたのでしょう。──どんな時だって、私を選ばなかったくせに』

 ルーシャの、あの言葉が胸に刺さった。
 ルーシャが化物になった後の戦いで、彼女の記憶がヒロインに流れ込んでくるシーンがあり、そこでルーシャの葛藤、王子との不仲、疎まれて孤独だったことを知る。

(こんな健気なルーシャを泣かせて、化物にした元凶のベルンハルト王子は報復でいいかな、いいよね!? だいたい呪いと同化するまで追い込んだのは王子だし!)
「ルーシャ!」

 そこに現れたのは私が殴ると決意した相手、ベルンハルトだ。
 腹立つほど琥珀色の長い髪は素敵だし、顔もいい。瞳のエメラルドグリーンは宝石のようだ。婀娜っぽい雰囲気と、茶目っ気溢れる自由人。第五王子という立場を大いに活用して事業を展開し、国益を数倍にしているものの遊びほうけている放蕩者。
 真面目なルーシャ様と釣り合っているのは、家柄ぐらいだ。

(女遊びに、約束の反故、嘘を重ねて会う時間も最小限。手紙や贈り物は代行で、直接渡したことがない──屑王子)
「ルーシャ、ああ、よかった! 君は三日も目を覚まさなかったんだよ!」

 そう言って抱きつこうとしたので、反射的に手を叩いて阻止する。このハグでルーシャは愛されていると信じて、ベルンハルトの勝手な振る舞いを許してきた。
 甘やかした結果、彼を増長させたのだ。

「(私がルーシャとして転生(?)したのなら、彼女の死亡フラグだけは絶対に阻止する! まずは……この屑王子との婚約破棄だ)そうですか。それはご心配かけて申し訳ありません。ですが、もう復調しましたので、お引き取りください」
「あ、ああ……。そう? そうだね。……あー、うん。目が覚めたばかりだったのに、押しかけてごめんね。でも君が急に倒れたって聞いて……心配して何も手に付かず、食事だって……喉が通らなかった」
(はい☆嘘ー。襟元に女物の口紅が付いているし、口元にはさっきまで優雅にお茶して、大好きなショートケーキを食べていたのでしょうね! クリームが付いているもの!)

 ブチ切れそうなのを堪えた。
 どこまでも最低な男に殺意が増す。こんな男のどこがよかったのだろう。化物になったルーシャを倒した後の話、王子視点ルートまで読んでいなかったから、この王子の心情は不明だが──ろくでもないものだったのだろう。たぶん、きっと。

「殿下。あからさまな嘘を吐かれてばかりで、そのせいでしょうか倒れてしまったようです。()()()()()()()()()()()()()()()()。何があったかこれ以上詮索はしませんが、そんなに私との婚約が嫌なら、私から王妃様にお伝えしておきますね」
「え? ……ええ!?」

 ベルンハルトは顔を青ざめ、途端にアワアワし出す。何をまごついているのだろう。やはり王家の呪いを半分引き受けていることがネックなのだろうか。

「ああ、でもそれだと私が王家の呪いを半分肩代わりしていますので、国王様や王妃様も困ってしまいますよね」
「そう! そうだよ」
「で・す・の・で! 解除できないか私なりに調べますので、《魔女の呪い》が解除された暁には、私と婚約破棄していただきます」
「え、ちょ、ルーシャ」
「侍女長。殿下が帰られるようなので、馬車の準備を」
「はい」

 ベルンハルトは最後までまごついたままで、弁明も、否定もせずに退室した。
 何だかあっけないものだと思いながらも、こんな風にルーシャが別れを告げていたら、あんな最後にならなかったのではないだろうか──そう思ってしまう。

(──にしても、この手の異世界転生って、元の人格であるルーシャはどうなったの? 彼女が倒れた時に魂が入れ替わった? あるいは私の魂と溶け込んだ? ……どちらであっても、私がルーシャの死亡フラグを回避してみせる!)


 ***


 それから療養と言って、私は魔導書作りに励んだ。
 この《魔女の呪い》を解く方法は一つだけある。元々魔女の逆恨みからの呪いの解除の鍵は、隠しキャラである《聖樹の賢者》の持つ究極(スプリーム)スキル、《解呪(リミディス)》であれば解除できるのだ。

 しかしこの《聖樹の賢者》は、所謂本の虫で《解呪(リミディス)》の条件が魔導書や珍しい本というのだ。どこに居るのかは公式サイトにもあったので把握している。二周目からしか出てこないのだが、きっと本に夢中だったのだろう。ムカつくことに!
 兎にも角にも、条件となる本を用意すれば良いだけで解除できちゃうのだ。

(ハッハッハー! 見てろ、あの馬鹿王子め!)

 商人を呼んで良い羊皮紙を取り揃え、他にもインクやペンも購入した。かなり質の良いものが手に入った。お買い物、楽しぃい。
 見た目が魔法道具(マジックアイテム)っぽいから余計にテンションが上がる。

(公式サイトのありとあらゆる裏設定を日本語で書いてやる! オタクをなめるな!)
「お嬢様、ベルンハルト様がお見えなのですが……」
「また?」

 ここ数日、部屋に籠もっていると、毎日ベルンハルトが訪ねるという異常事態が発生した。あんな屑王子でも王子という立場上、追い返すのにも理由がいる。
 前回は目覚めてすぐだったと言い訳が通ったが、毎回そうもいかないので、面倒だが顔を合わせなければならない。

(くっそ怠い。イケメンだから何でも許されると思っているところがなお腹立つ)
「ルーシャ! 今日は珍しい物を用意したんだ! 受け取ってくれるだろう?」

 そう言って部屋には、高価な宝石やドレスなどがあった。どれも流行ものを取り揃えたのだろう。

「ルーシャが商人を呼んだと聞いてね。私の商会に頼んでくれれば良かったのに」
「殿下の取り揃えている商品とはジャンルが異なりましたので」
「そう? でもこのドレスなんか素敵だと思うのだけれど、今度の社交界では──」
「ベルンハルト様。婚約者として公の場にならお供しますが、それ以外のパーティーでしたら、私のことは気にせず、()()()()()()()()()()()()()()()()
「え」

 ベルンハルトは固まっていた。まさか気付いていないとでも思っていたのだろうか。
 ハハハ、甘かったな。ルーシャファンを舐めてもらっちゃ困る。

「(知っているのだから。気まぐれで誘っておいて、当日ドタキャンしたって! しかも通算十五回も! そりゃあ、ルーシャだって病むわ!)それにどうせまた約束を当日になって破るのですから、守られない約束ほど質の悪いことはありませんし、私には時間が惜しいので……。ああ、贈り物もお気に入りの令嬢に贈ったら喜ぶのではないですか?」

 一息で言い切った後、席を立つ。
 婚約者に会って話をしたのだから、文句はないだろう。大体約束もなく押しかけてプレゼント作戦で機嫌をとろうとするのが、見え見えなのだ。

(ルーシャは優しかったけれど、私は違う! 絶対にシナリオ通りになんかならないわ! ハハハッ、ざまあ!)
「ルーシャっ……!」

 悲痛な声が聞こえたが、聞こえないフリをして退室した。名演技乙。
 部屋に戻って魔導書作りに専念する。学院の入学まで時間はないのだ。


 ***


「ルーシャ。今日は天気が良いから乗馬でもいかないかい?」
「今日はカップル限定のカフェができたばかりなんだ。一緒に行こう!」
「パーティーは絶対に遅れないし、約束も破らないから、一緒に出て欲しい」
「ルーシャ、少しでも良い。一緒に食事に行かないかい?」
「……ルーシャ。お願いだから、僕につれない態度をとらないで……ほしい」

 最後は泣き落としだった。イケメンの涙は本当に罪作りで、ぐらっとくるほど悲壮感を出してくる。
 だがこれで絆されてはいけない。それがこの王子の手口なのだ。

「殿下、毎日、毎日お声がけくださるのは、どなたかと賭でもしているのですか?」
「違う……」

 目が泳いでいるのだが。その返答に溜息が漏れる。

「大方、護衛騎士と、兄王子とで私が折れるかどうか賭をしているのでしょう」
「そ、そんなことはしていない。僕が二人に相談をして……助言を貰っただけであって……」
「はいはい、そうですか。では次のパーティーには同伴して差し上げます。これで良いですか?」
「ルーシャ!」

 一瞬で泣くのをやめて満面の笑顔になる。この王子、涙を自在に流せるのか。つくづく屑だな。抱きつこうとしたのでサラリと躱した。
 これには意外だったのか、ベルンハルトは酷く傷ついた顔を見せたが、心は痛まなかった。そうやって先に傷つけたのは、ベルンハルトなんだから。

「(ハハッーー、ざまあ)そうやって誰でも抱きしめようとするのは、悪癖だと思いますよ」
「そんな。僕は君だけ」
「首にキスマークがついていて、説得力なんてないですけれど」
「え、あ、これは……」
「では失礼します」
「ルーシャ……」

 そう手を伸ばしてくるが、素早く逃げて扉を閉めた。
 一瞬だけ、ゲーム時にルーシャが化け物になりかけて、飛び出そうとしたベルンハルトのことを思い出す。
 あの時の顔は必死で、本当にルーシャのことを思っているような──そんな姿が垣間見えた。《聖樹の雫》を持っていたこともあるので、もしかしたら本当はルーシャのことを気にかけていたのかもしれない。

 だがその前の享楽ぶりや、ルーシャを蔑ろにしていた罪のほうが大きい。屑がちょっと良いことをしたらチャラになる訳がない。

(パーティー当日は、体調を崩してドタキャンしよう。いや、それだとベルンハルトには効果がないだろうし、呪いの影響が出てきたとかで当日に教会の枢機卿(叔父)を訪ねよう)

 次のパーティーは、ルーシャの心を大きく削るエピソードがある。
 贈られたドレスに喜んで、パーティー当日を楽しみにしていたのに、いつまで経ってもベルンハルトは迎えに来なかった。見かねた兄が一緒にパーティー会場に参加したら──そこで別の女性と同伴してきたベルンハルトと再会してしまう。

 約束を反故にしただけに飽き足らず、他の令嬢と楽しげに姿を現した時のルーシャのショックはどれほどのものだったのだろうか。
 それを機にルーシャの口調や雰囲気はガラリと変わって、悪役令嬢らしい振る舞いをするようになった。

(……うん。婚約破棄する時は、一発殴ろう!)


 ***


 パーティー当日。
 早々に屋敷を出た私は教会へと到着する。叔父に会おうと歩いていると、バラ庭園の奥にあるガゼボから言い争う声が聞こえてきた。

『本当に、今日のパーティーでルーシャを迎えに行かず、他の令嬢と同伴すれば……そうすれば、《()()()()()()()()()()()()!』
(──え?)

 聞き覚えのある声は、ベルンハルトだ。
 言い争っている相手は──。

『ああ。そうすれば、あの子も君に失望して婚約破棄をするだろう』
『そんなことない。ルーシャがそんなことで……婚約破棄なんて無責任なこと言わない……。ルーシャは僕のお嫁さんになるのだから!』
『ふん、君のような放蕩者にあの子は釣り合わない。君があの子を無理矢理婚約者にしなければ、あの子に《魔女の呪い》は継がれなかったのに!』

 憤慨していたのは、叔父である枢機卿だ。
 幼い頃の母に似ていると溺愛してくれた叔父が、まさか《聖樹の雫》を持っていたとは思わなかったし、ベルンハルトに放蕩者としての振る舞いを強要しているのも驚きだった。

『呪いを解除できる可能性があったから、婚約したんだ』
『私が持っていると?』
『貴公なら手に入れるだろうと思っていた。貴方はルーシャには甘いから』
『確かにあの子には甘いが、お前にあの子を渡すのは屈辱以外の何物でもない。せめて放蕩者ではなく、品行方正であれば──と!』
『ルーシャと出会った時には、僕は放蕩者のレッテルが貼られていたし、彼女と出会うまではその生き方を是としていた。でも、《変化の呪い》を受けて傷ついた僕を助けてくれたルーシャに惚れてしまった。他の誰かに奪われる前に、と婚約を強引に進めたのは……こちらの落ち度だ』
(いやほんとだよ。……この馬鹿王子は物事には順序というものがあるのに、なぜすっ飛ばしたのだ。というか、もしかして乙女ゲーム《時の(クロノス・)思い出(メモリー)》のキュービジュアルに、悪役令嬢ルーシャの傍に寄り添っていた狼って……ベルンハルト!?)

 仲睦まじく寄り添っていた狼は緑の瞳に、琥珀色の珍しい毛並みだった。しかしどのルートでも狼が出てくることはなく、ルーシャの回想で怪我をした狼のエピソードがちょっとあるだけだった。

(ここで伏線回収! やっぱり二周目もプレイしたかった! いや、ちょっと待って……。ベルンハルトは二十二歳で、ルーシャは今十五歳。よく考えればかなり年が離れている。その当時ベルンハルトには婚約者がいたけれど、諸事情で婚約破棄して、ルーシャに収まったとか。──つか、王家の呪いも、前の婚約者の怒りと共に引き継がれたから、ルーシャの肉体、精神的負担は相当な物だったはず)

 思わぬ番狂わせに、頭がこんがらがる。
 何より《聖樹の雫》がこの段階で手に入るのに、なぜすぐに使わなかったのか。

(あ、この事件をきっかけに、ルーシャは悪役令嬢らしい振る舞いをすることで心に武装していた──からのすれ違い! それに政治的な背景もあったんだろうなぁーーー)

 捻れに捻れた状況なのは、何となく分かった。ルーシャに嫌われるように指示を出していたのは叔父で、ベルンハルトは従っていたと言うことになるのだが、それだけなのだろうか。

「(ルーシャに嫌われると分かっていながらも《聖樹の雫》を手に入れるまでは、とベルンハルトには目算があったってこと? あーーー、もうよく分からない)叔父様、殿下! これはどういうおつもりなのですか!」

 考えるのが面倒だったので、この際、直接二人に聞くことにした。そのほうが早い。

「え、ルーシャ!?」
「な、どうしてここに……!」
「そんなことはどうでも良いのです! 二人の目的はなんなのですか!? キリキリと答えないと、殿下とはこの場で婚約破棄をします」
「!?」

 この間、「話をして欲しいのなら書面にサインをして」と頼んでいたのは離縁書の紙だ。もちろん、特別な紙を貼り付けていたので、そうは見えていなかったが筆跡は間違いなく彼のだ。
 その離縁書を見た瞬間、ベルンハルトは青ざめた。

「え、な、ルーシャ!?」
「ふふん。どうやら私が何かしなくてもここまでのようだな」
「叔父様は何を暗躍していたのか正直に吐かないと、お母様にバラします。そして私は金輪際、お手紙も贈り物もしません」
「ルーシャ、すまなかった! だから許してくれ!!」

 叔父はその場にへたり込んで、絶望していた。
 大の大人がマジ凹みしているのを無視して、「ちゃっちゃと話すように」と睨んだ。

 ここで衝撃の事実が明らかになる。
 なんと叔父は枢機卿だと思っていたら、《聖樹の賢者クラウス》だと言うことが判明。いやツッコミどころが多すぎる。

 何でも叔父は精霊の血を色濃く受け継いだらしく、《聖樹の賢者》として聖地から殆ど出てこなかったらしいが、読みたい本がなくなり枢機卿の姿で本屋巡りをしていたらしい。

(こんな近くに隠れキャラがいたなんて……、って、姪のルーシャが願えば《解呪(リミディス)》もあっさりできたんじゃ?)
「この放蕩者が、可愛い、可愛い姪を奪うぐらいなら、死後時の神(クロノス)の力で蘇らせて、別の人生を送らせようと考えていたんだ。お前を必要以上に傷つけるつもりはなかったし、この放蕩の非道な振る舞いを見て婚約破棄すると思っていた」
「でも婚約破棄しなかったのは……」
「僕がしたくなかった……。でも枢機卿の指示を破れば《聖樹の雫》が手に入らない……。婚約破棄すれば、誰かがルーシャと結ばれるかもしれない。それは……どうしても嫌だったんだ」
(ふむ)

 つまりはそれぞれの勝手な願いのために、結果的にルーシャを追い詰めたと言うことだ。しかし叔父の指示だったとしても、ノリノリで女遊びをしていたようにしか見えない。
 ゴミを見るような目でベルンハルトを見ていたのだが「ルーシャが凝視している」とモジモジしているので、殺意が増した。

(やっぱり一度思い切り殴ってもいいかな。いいよね。ドロップキックとかしちゃう?)

 叔父は叔父で人間離れした精霊の血が濃いのか、人の機微に疎いらしい。それで昔、母と絶縁に近いことをされたとか。
 恐らく父との仲を裂こうとしたのだろう。
 こっちはこっちでドロップキック、コブラツイストとかしても良いかもしれない。

(あれ? でもこれでルーシャの死亡フラグは回避出来た?)

 とりあえず叔父を脅し──説得して、《魔女の呪い》を解除して貰った。叔父があまりにも凹んで使い物にならなかったので、できあがった魔導書を一冊渡したら目を輝かせて生き返ったようた。現金な人だ。

「ルーシャからの魔導書! し・か・も・直筆じゃないか! あゝ私は愛されているのだね」
「……やっぱり返してください」
「!!?」

 魔導書をギュッと抱きしめて、ガチ泣きする叔父に「凹みすぎ」とため息を漏らした。

「今後は私と、ベルンハルト──王子に迷惑をかけないでくださいね!」
「私()ベルンハルト……」
「私()、ベルンハルト──王子!」

 途中でベルンハルトが嬉しそうにしていたので、睨んだが──逆効果だった。

「(まあ、ベルンハルトの件は後にしてまずは……)叔父様?」
「ああ! もちろんだ!」

 そう契約を結び、叔父は颯爽と去っていった。
 後日、魔導書の解読で部屋から出てこなくなったが、これはこれで大人しくなるので良いのかもしれない。

 ベルンハルトとの婚約を破棄するかどうかも含めて後日、話し合いを設けることでその日は別れた。こっちもこっちで背中に絶望を背負っていたが、知ったことではない。
 今までドタキャンや約束の反故、酷い扱いを受けてきたのをやり返しただけなのだ、存分に味わえば良い。

(これでルーシャが戻ってきても、死亡フラグは回避できているし、癪だけどあの馬鹿王子も改心する……はず!)

 そう思って、その日は眠りについた。


 ***


 その日、スーツ姿の前世の私が鏡の前にいる夢を見た。
 短かった黒髪は肩まで長くなっていて、お嬢様らしい楚々とした姿に固まっていると、前世の私は微笑んだ。

『貴女様が私のことを惜しんでくれたから、私の魂は貴女と入れ替えができました』
「え。えええ!?」

 唐突な暴露に、私は困惑した。

「つ、つまり……私とルーシャの魂が入れ替わった? どうして? ベルンハルトなら改心して……いるとは思う? 《魔女の呪い》もないし、自由だよ?」
『でもこっちの世界より窮屈で、みんな自分勝手だったわ。そしてその自分勝手に私は我慢しすぎてしまった。流されて、傷つきすぎて相手を傷つけることを選んでしまうのが嫌で……だから私も勝手をしようと思ったの』
「それが私との入れ替え……」

 ルーシャもある意味自分勝手だと思ったが、追い詰められた彼女の心を癒す居場所は、この世界にはなかったのだろう。
 両親は多忙だし、親しい友人ができてもベルンハルトに惹かれて友情を育むことはできなかったのは、エピソードとしてもあった。やっぱアイツはクソだと再認識する。

「それにベルンハルト様を軽くあしらうのは、清々しかったです!」
(可愛い。さすが私の推し(ルーシャ)
「私は、クレハ様のようには難しいかもしれませんが、この世界の自由さが気に入っております。どうかこのままルーシャと生きていただけないでしょうか?」

 ルーシャは私の世界での生活を楽しんでいるようだ。私の目的は推し(ルーシャ)の幸福なのだから、彼女がそう望むのなら良いのかもしれない。

「ええっと、うーん。ルーシャがそれでいいのなら……。ずっと私がこの体になってから心配でしたし、死亡フラグも回避したので、私もこっちの世界を楽しむのも吝かではないです」
「じゃあ決まりです! ベルンハルト様も、今のクレハ様と一緒のほうが幸せだと思いますし! ああ見えて、あんな風に誰かのために一生懸命な彼は初めてでしたから」
「それはルーシャだからじゃ?」

 そう言ったのだが、ルーシャは笑って消えてしまった。
 ベルンハルトが好きだったのは、狼の時に保護して看病したルーシャだ。そう思ったのが、ルーシャはもうベルンハルトに対して気持ちはないようだ。それよりも久禮(くれは)としての生き方が気に入ったのだろう。

(私は……これからどうしようかしら?)


 ***


 結果から言うと、ベルンハルトと婚約破棄はできなかった。と言うのも馬鹿王子が駄々をこねたからの一言に尽きる。

「ルーシャと婚約破棄なんて絶対に嫌だ!」

 子供のように泣きじゃくり、これからは浮気も、女遊びはもちろんボイコットも、ドタキャンもしないと言い出した。

「いや普通の婚約者はそもそもそんなことしないでしょう。何当たり前のことを言い出しているんですか? それで改善したなんて思っているのなら笑い話にもなりませんよ?」
「ルーシャ一筋なのは本当だよ! 枢機卿の指示はもうない! だからもう一度だけ信じて欲しい」

 ルーシャ一筋。どの口が言うのだか。
 思わず笑ってしまった。本当は隠し通すつもりだったが、諦めが悪いのならトドメを刺して上げよう。

「ふうん。でもそのルーシャはもういないわよ。私と魂を入れ替えてでも、この世界から逃げ出したいぐらいには追い詰められていたようだし」
「え、は……?」
「異世界転移者がいるようにコチラの世界から異世界へ干渉して、私はルーシャと入れ替わったの。だから姿はルーシャだけれど、中身は違うわ」
「そんな……」

 ベルンハルトは目を見開いて私を見つめるが、別に脅しでも何でもない事実だ。そしてそれを告げることは、完全にベルンハルトに愛想を尽かしていた──という証でもある。

「そこまでルーシャを追い詰めていたなんて……」
「そりゃあそうでしょう。すれ違いや誤解があったとしても、ルーシャを助けるためだったとしても、心を殺したのは貴方と叔父の言動だったのだから」
「……ルーシャと入れ替わったのは、三日間ほど気を失っていた頃ですか?」
「正解」

 俯いたままベルンハルトは「なるほど」と納得はしていたが、相当落ち込んでいるようだった。だがそれを見ても可哀想だとか、情に絆されることはない。
 それだけのことを、この男はしたのだ。

「そう言う訳だから、ルーシャへの思いも諦めて」
「──っ、君は巻き込まれて、これからどうするんだ?」

 泣き叫ぶまたは駄々をこねると思ったのに、ベルンハルトはジッと私を見つめ返す。まるで先ほどの子供じみた言動すら演技に思えてしまった。

「私? 私はルーシャの死亡フラグを回避できたから、あとは他の好きなキャラが死なないように見守りつつ手助けをするわ。それから婚約破棄をしたら世界を旅して、自由気ままに生きる」
「一人で? 結婚もせずに?」

 この世界で女性が独り身でいることは、褒められたことではない。そんなことは重々承知しているが、私は異世界人だ。どこまでできるか分からないが自由に生きてやる。

「ええ。好いた相手ができれば結婚も吝かではないけれど、でもベルンハルトは絶対に選ばないから安心して」
「ぐっ……酷いことを言われているのに、僕を理解している君が」
「そういうのは良いので」
「酷い」

 ベルンハルトは、がっくしと肩を落としていたが、本気で落ち込んではいないのだろう。
 チラチラとこっちを見る視線が腹立つ。

「……いつもならこれでルーシャは折れるんだが、本当にルーシャじゃない?」
「確認の仕方がそれってどうなのよ。……いくら惚れた弱みとは言え、自分を大切にしてくれない相手なら必然と離れていくものよ。それはルーシャだって同じ。だから異世界に逃げた」
「……僕が打算なしで甘えられていたのは、ルーシャだけだった。冗談なのに真面目に受け取って、些細なことで笑ってくれて、居心地が良かった。……そうか。僕はその優しさや、幸福に胡座をかいて……ルーシャなら大丈夫と思い込んで、だから失った」

 悲壮感を漂わせながらも、現実を受け入れた彼の瞳はどこか吹っ切れていた。

「すまなかった、ルーシャ。そして巻き込まれた君も……愛した人が幸せなら、その決定を受け入れる。君との婚約破棄も……。ルーシャを守ろうとしてくれて、ありがとう」
「あ、いえ……」

 好青年のような言動に困惑してしまう。だが油断しては駄目だと警戒したまま睨む。

「君の本当の名前を聞いても?」
「久禮」
「クレハ。ありがとう。君やルーシャ、そして公爵家にも泥が被らないように婚約破棄をする」

 そう言って七日目で彼は婚約破棄を受け入れて、放蕩者に尽した悲劇の公爵令嬢としてルーシャの献身を語り、目が覚めたと語った。

 放蕩王子だったベルンハルトは、元婚約者(ルーシャ)に懸想したからこそ一度婚約破棄を行い、彼女に見合う男になるまでは独身を貫くと公言したのだ。
 やめて欲しい。
 国のため王太子のため仕事に打ち込み、水道工事や孤児院の設立、祝日を増やす、祭りによる経済効果を底上げするなどの計画立案を積極的に行った。
 恋人は仕事。と言う勢いである。今までの遊び人の雰囲気は欠片もない。
 チャリティーなどにも積極的に参加した。社交界なども挨拶程度で、仕事三昧。

(本当に人が変わったみたい。……殴り損ねてしまった)

 月に一度、元婚約者である私に贈り物とカードが届く。
 三ヵ月持てばいいと思っていたが、ベルンハルトは人が変わったように、紳士かつ有能な男としてその手腕を発揮した。
 一年また一年と積み重ねていくうちに、彼を放蕩者と陰口を叩く者はいなくなった。


 ***


 それから三年後。
 歴史は繰り返される。最初からその道筋はどうあっても変わらないのかもしれない。

「ルーシャ・バルバート。君が僕の婚約者に嫌がらせ──いや殺そうとしたのは分かっている! 潔く罪を認めるんだ!」
(うわぁあああああああ……。何この展開)

 魔法学校の卒業パーティーでの出来事だった。本来ならここで悪役令嬢であるルーシャは、婚約者に断罪される──のだが歴史を改変したからなのか、結局どうあってもルーシャは悪役令嬢の役割を押し付けられる運命だったのかもしれない。

「(でも、本物のルーシャじゃなくて私で良かった。さて、どう切り返そうか)一つ伺いますが、殺そうとした──と言うのですから証拠があるのですか? そもそもいつの話ですの?」
「三日前だ! 階段でエリーを落としたのを他の生徒が見たと証言している!」
(はい☆濡れ衣決定。そもそも卒業間近で事業が忙しくて学院には久しぶりに来たし、その日は商談もあった……さて、どう反撃しようかしら。うーん、王族だと慰謝料ってどのくらい貰えるのかしら)

 悪役令嬢が断罪される。もしその筋道があったとしても、悪役令嬢の名前を上書きしてしまえばいい。真犯人は──。

「ルーシャなら一ヵ月前から私の仕事を手伝ってもらって学院には訪れていないが、証人と言うのなら僕と国王陛下と王妃殿下だが……、そちらの証人は誰だ?」
(げげっ!)

 決して大きな声ではなかったが、パーティー会場によく響いた。モーセの海を割るように、人混みからベルンハルトが姿を見せる。
 この三年で雰囲気も落ち着いた偉丈夫へと転じ、服装も正装をキッチリと着こなしている。
 現在、私の立ち上げた事業の上司(パトロン)でもある。

 あくまでも仕事上関わりが増えただけなのだが、巷では、三年間、元婚約者に懸想し続けた一途かつ誠実な男と称されている。
 過ちを悔いて、改心する──と言う話は民衆が大好物な話だ。
 話が脱線したが、ベルンハルトは私の傍で彼の実弟と対峙する。

「兄様、その女は昔兄様を振った傲慢な女ではないですか! 兄様の純情を踏み躙った女をなぜ庇うのですか?」
(あ。もしかしてエリーだけじゃなくて、第八王子(アルバン)も個人的に私に恨みがあった? いや逆恨みだけど!)
「何を言うかと思えば……。三年前の婚約破棄は完全に僕の落ち度だ。それに彼女がいたからこそ僕は自分の言動と向き合い、変えようと本気で思った。残りの人生を懸けて彼女の信頼を少しでも回復できるように、彼女と釣り合うだけの男になるために、今日まで研鑽を重ねてきた。……そんな彼女を蔑めると言うのなら実弟であろうと容赦はしない」

 三年前に婚約破棄を渋って泣き出した彼を思い出し、月日の流れと成長にちょっとジンワリしてしまった。

「よよよっ、本当に立派になったのですね。ベルンハルト殿下」
「……そこは親目線の感想でないと、ありがたいのですが」
「んー。インフルエンサーとして申し分ないベルンハルト様の登場と、初動のうちにフルコミットしてイニシアチブを握り、素早くエビデンスを提示することで一気に決着をつけるとは流石です!」
「部下目線でもないと嬉しいな。あと半分以上何言っているのか分からないのに、雰囲気で分かってしまうのが辛い……」

 私の見せ場を奪ったのだ、このぐらいのおふざけは許してほしい。すでに勝敗は決しているのに第八王子は、未だ諦め悪く私を睨んでいた。

「……っ、しかし、エリーや他の生徒の証言もあるのは事実です。エリー、もう一度証言をしてもらえないか?」

 そう第八王子アルバンがエリーに尋ねたが、彼女の顔色は真っ青になって震えていた。

「……なんで、ここで殿下が? 婚約破棄しているのに……これじゃあ、どのルートもハッピーエンドにならないってこと? 逆ハールートが開示されないじゃない!」
「エリー……!」
「アルバン王子、騙されてはいけません。彼女はここで《魔女の呪い》に喰われて、化け物になります! それを討伐しなきゃ、ハッピーエンドにならないんです」
「呪いなら三年前に解いているけれど? 私は転生者だと言えば、大体の事情は察するんじゃない?」

 その発言にエリーは固まった直後、顔を真っ赤にして叫んだ。

「アンタのせいじゃない!! 卑怯者!」
「そりゃあ自分が死ぬかもしれないって分かっていたら、全力で回避するに決まっているじゃない。それにこの世界はゲーム世界に似ているけれど、全く一緒って訳じゃないみたい。ほんの少しの言動の変化で変わっていく。確定された未来なんてない。幸せになりたいなら誰かを蹴落とすのではなく、助けるべきだったのよ。貴女はヒロインなのだから、それができたはずでしょう」
「うるさい! 悪役令嬢のくせに、私の踏み台のくせに──どうして思う通りに動かないの!? 捨て駒のくせに自分の役割ぐらい全うしてよ!」

 残念ながらこの世界は、シナリオそのものの強制力が薄いのだろう。でなければ三年前に私とベルンハルトは、婚約破棄できなかったはずだ。そもそもルーシャ自身が魂の入れ替わりを行った時点で、本来のシナリオからは大きく逸脱した。

 そのことに気づくキッカケは、今までたくさんあったはずだ。攻略キャラもほとんど呪いが解けているし、自由気ままに生きている。悲哀や鬱展開はゲームでやり直しができるからこそ楽しめるのであって、実際に大切な人や友人や恋人が死ぬのを望む人はいない。
 何よりこの三年で乙女ゲーム設定の世界観よりも、だいぶ近代的になったのだから乙女ゲームの世界観を知っているのなら、違和感に気づくはずだ。

「私はヒロインなのに……!!」
「エリー。それが君の本音で、今回の騒動の目的なのかな?」

 エリーはハッとなって周囲を見渡すが、すでに弁明できる状態ではなかった。
 冷ややかな視線にエリーの顔は青ざめる。

「これは違う……違うの! 全部、ルーシャの罠で、私は……本当に階段から落ちて死にそうになったの……。アルバン王子は……信じてくれるよね?」
「残念だけれど、証言が嘘で、彼女を貶めるためだと言うのなら、王子として支持できない」
「なんでよ! 今日まで私頑張ったでしょう! 勝手に呼び出して巻き込んで、元の世界に戻れないなら、せめて良い夢ぐらい見せて!」
(元の世界に? それなら──)
「元の世界に帰るだけで良いのなら、僕が力を貸さないこともない」
「ベルンハルト様!」

 エリーは目を輝かせて、ベルンハルトに熱い眼差しを向ける。隣にいたアルバンは途端に不機嫌になり、ベルンハルトはニッコリと微笑む。
 イケメンの笑顔は相変わらず反則的だ。

(やっぱり交渉とかでも優位よね)
「それじゃあ、まずは僕の大切な人に対して、何か言うことがあるんじゃないかな?」
「──っ」

 エリーはギクリと笑みが強張り、視線を泳がせるがグッと感情を飲み込んで頭を下げた。

「ごめんなさい! ルーシャは犯人じゃないです。私が……自分で階段から落ちたのを偽装しました」
「彼女が僕の婚約者、伴侶じゃなくて良かったね。もしそうだったら、王族に対しての不敬にもなるから」
「──あ、その……」

 優しい声のトーンを変えずに目だけ笑っていないベルンハルトは、さぞ怖かったのだろう。
 第八王子アルバンもエリーと同罪として厳しい処罰が降ることになり、パーティー会場の空気は和らいだ。

 私は挨拶もそこそこに、夜風に当たろうと三階のバルコニーに出た。
 外灯が夜の庭園を幻想的に照らしていて、パーティー会場からは美しい音楽が漏れ聞こえてきた。
 色々あったが、無事に死亡フラグを回避できて良かったと安堵する。いくら呪いを回避しても最後の最後で、シナリオの強制力が働かないとも限らないし。

「ああ、ここにいたんだ」
「ベルンハルト様……先ほどはありがとうございました」

 ドレスの裾を摘んで恭しく一礼する。ベルンハルトは少しだけ頬を染めて微笑んだ。

「うん。……君のピンチに間に合って良かった。……ねえ、ルーシャ……いや、クレハ。もう一度愚かにも婚約を申し込みたい」
「──っ」

 何となく予感はあった。そもそも彼が卒業パーティーに姿を現したのも、それが目的だったのだろう。
 三年前だったら、気軽な感じで言動は軽薄に見えただろう。
 でも今は、まっすぐな眼差しで誠心誠意向き合おうとしている。これに対して失礼な返答はできない。
 私は佇まいを正して彼に向き直る。

「その申し出、承ります」
「クレ」
「ただし、貴方様には前科がありますので、婚約期間は二年とし、それによって最終的な結婚に踏み切るのか再検討させて頂けますでしょうか?」
「クレハ……」

 へにゃりと眉を八の字にして、泣きそうな顔をしているではないか。

「一年に短くするのは?」
「却下です。ベルンハルト様の場合、付き合った瞬間、釣った魚に餌をやらない可能性が十分にありますからね!」

 それが三年前に婚約破棄した最大の理由だった。どんな理由や事情があっても相手に対して配慮が欠けていたのは事実なのだから。
 ベルンハルトは今にも泣きそうだ。

「耳の痛い話ですね。……でも、二年で貴女の信用を勝ち取るなら悪くない」
「また誰かと賭けをしたら一瞬でその信頼も消えますけどね」
「そんなことはしない。……君だけを愛するよ」

 そう微笑む彼は美しく「本当にこれだからイケメンは」と思いながらも、二年後自分がどう判断するのかは、二年後の私に任せることにした。

「じゃあ、婚約者に戻った記念に踊ります?」
「良いのかい?」
「牽制も兼ねて、アピールは大事でしょう?」

 軽くウインクをしたら、ベルンハルトは目を丸くして固まった。そして数秒後にぼぼぼっと、顔が真っ赤になるではないか。
 しかも耳まで赤い。

 ドキ。
 胸がおかしな音を立てたのは、気のせいだろう。
 あんなに恋愛経験豊富な彼が赤面するとは思わず、驚いただけだ。たぶん。

「……今投げキッスされたら、卒倒する自信があります」
「やらないよ? 倒れたら支えきれないし」
「くっ!」

 真っ赤なままな癖に油断も隙もない。けれど真っ赤になったベルンハルトが可愛かったので、悪戯心が疼いた。
 気まぐれと好奇心でつい頬にキスをしてみた。もちろん多少なり好意があったからだ。

「え、あ、な──」
「え、ちょ、ベルンハルト様!? 重っ。きゃあ!」

 案の定、本当に卒倒して大変な目に遭ったのは言うまでもない。三年で純情さがレベルMAXになり、恋愛経験がレベルダウンしてレベル1になった感じだ。
 これはこれで前途多難な予感しかしない。それも悪くない──と思うぐらいには、少しだけ心が傾いているのを認めなくもない。