「鹿谷くん!」
「鹿谷…」
胸ぐらを掴まれたまま首を傾けると鹿谷がいた。走ってきたのだろう。息が上がっている。いつもはサラサラの髪からポタリと汗が落ちる。冬なのに汗かくくらい走ったんだ。
「鹿谷…写真部でも、もうちょっと体力あった方がいいよ。」
「はぁっ、は、先輩、こんな時に、ふざけないで。類沢さん、手、離して。」
息が上がっていて勢いはないが、かなり怒ってる。ちらりと美少女を見ると目が合った。掴まれていた胸ぐらが押されるように解放される。
「だって…だって、おかしいよ‼︎私はちゃんと鹿谷くんを好きなのに!鹿谷くんのこと好きじゃないならデートとか行ったりしないでください!」
鹿谷と私に大声で叫ぶ。走り込みをしている運動部がチラチラと見ながら走っていく。周りから見たらどう見ても修羅場だ。
「高梨先輩に当たらないで。俺が類沢さんより先輩の方が好きなだけでしょ。」
鹿谷、それはいけない。どう考えてもプライドが高そうな美少女のことだ。比べられて、そんな言い方されたら…
「なんでよ!私の方が鹿谷くん好きだし!この人より私の方が可愛いじゃん!」
う、そんな正直に言われると私も傷つく。美少女の強気な目に怒りが見えた。
「なんで!!!」
キッと音を立てそうなくらい私を睨みながら、手を振り上げる。まずい。避けることは諦めて、歯を食いしばり目を閉じる。
『バチンッ!!!』
痛々しい音がした。私に痛みはなく、目を開ける。私を狙った一撃は、間に入った鹿谷に当たっていた。痛そう…。
「そんな必死に庇うんだ…。」
類沢さんは今度は目を潤ませていた。こんな定番な流れで言うのもなんだが、一応、私はほぼ無関係である。青春も修羅場も勝手にやっておいてほしい。私に関係ないとこで。どこから後悔すればいいのか分からず、軽く空を見る、と2人の奥から飛んでくるものが見えた。
「えっ⁉︎ちょ」
動揺しながら、鹿谷と類沢さんの頭を引っ掴んで下げる。
「わっ⁉︎」
「きゃ⁉︎」
それぞれが悲鳴をあげるが無視してそのまま目をつぶった。
『ゴッ!!!!!』
顔を背けたが側頭部から鈍い音がした。
「っ、つ〜…!!」
声にならない痛み。ぐわんぐわんと脳みそが混ざるような感覚がして思わずうずくまる。飛んできたのはテニスボールだった。
「すみませーん…え、やば!!人に当たった⁉︎」
ボールを追いかけてきたテニス部員が駆け寄ってくる。私に頭を引っ掴まれた2人が顔をあげて状況を理解する。
「えっ、頭に当たったの⁉︎」
「高梨先輩!目とかは当たってないですか⁉︎」
頭が痛むのでゆっくりうなずく。
「大丈夫…血も出てないし…。」
「先輩、立てますか?保健室に行かなきゃ…!類沢さんは今日はもう帰って。」
鹿谷が私の隣にかがみこんで、類沢さんに背を向けたまま、冷たく言った。テニス部員が、私に謝ってくれるが、とりあえず顧問の先生に報告してきた方がいいと伝える。
「高梨先輩、俺の肩持てますか?体重かけてもいいんで。」
「ん…ごめ、ゆっくりでいい?」
鹿谷の肩を借りて歩く。ふらつくと鹿谷が支えてくれた。

保健室についた。
「失礼します。先生いない…?」
「氷とか借りましょう。」
私がベッドに腰掛けると鹿谷が氷嚢を用意してくれた。
「ありがと。」
「寝ころばなくて大丈夫ですか?」
「大丈夫、当たったときはぐらぐらしたけど、今はたんこぶできたな〜くらいだし。」
そうですか、と鹿谷が返事をする。ベッドのそばの椅子に座って難しい顔をしたまま黙り込んだ。
「………えい。」
鹿谷の頬をつついた。ビンタを喰らった場所をつついたせいで顔を歪める。
「つっ!何するんですか!」
「鹿谷ぁ、ビンタされそうなときは歯を食いしばらないと。口の中、切れたでしょ。」
怒る鹿谷にヘラリと笑う。鹿谷がはぁーっと深いため息をついた。
「すみませんでした。」
私に頭を下げる。
「俺の考えが浅はかでした。恋人がいるなり好きな人がいるなり言えば、ただ断るより効果的だろうなんて考えて、先輩巻き込んで…」
途中まで言って鹿谷が唇を噛む。傷に響いたのか、痛そうな顔をした。
「いいよ。」
短く返したら、鹿谷が勢いよくこちらを向く。
「良くないでしょう⁉︎先輩、怪我したんですよ⁉︎」
「あれはボールが飛んできたっていう事故でしょ。関係ないよ。」
「叩かれそうにもなったし!」
「鹿谷が庇ってくれたじゃん。」
「「………」」
また鹿谷が下を向いた。
「私はさ、恋愛の好きじゃないけどさ。鹿谷のこと、後輩として好きだし、大切にしたいよ。」
目の前にあるサラサラの黒髪を控えめになでる。やめろと言われるかと思っていたけど、鹿谷は大人しくなでられていた。髪に隠れた表情を私はわざわざ見るつもりはなく、保健室の先生が来るまで、静かな時間が流れていた。