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「……思い出したか」

 そう言った柊の大きな手のひらが、華の背をそっとさする。
 不器用ながらも優しい手つきにうなずき、華はそっと柊の胸に頬を寄せた。

「あれだけのことがあった後に、命を救うほどの神通力を譲与したんだ。記憶が曖昧になってもおかしくはない」

 柊の言葉に、あたたかな涙が頬を伝う。
 やっと、思い出した。全てを失ったあの冬の日に、たったひとりの近衛が身を挺して華を護ってくれたことを。

「柊さんは、過去にも私を救ってくれていたんですね」

 華がそう言うと、柊はゆっくりと目を閉じ口を開く。

「違う、救われたのは私の方だ。妖魔は力を奪いきった相手に欠片を残すことはしない。あの日、私は死ぬ運命だった」

 欠片という言葉に、胸がかすかにうずく。
 するとそんな華の様子に気が付いたのか、柊の腕の力がほんの少し強まった。

「私の運命を変えたのは、華だ」
「私が……?」
「近衛の頂点に立つ一条家にとって、神通力をまともに扱えない私の存在は唯一の汚点だった。生きる意味をとうに見失っていた私にとって、お前が言った‟生きろ”という言葉がどれだけの希望になったと思う?」

 柔らかく言葉を投げかける柊に、はっとする。
 華がこの一条家に嫁いできてから、‟本家”と呼ばれている柊の両親や兄弟とは一度も顔を合わせたことがなかった。
 きっと何か疎遠になっているわけがあるのだろうとは思っていたのだが、そんな理由があったなんて。
 華がぎゅっと眉をしかめると、柊はそのまま言葉を続ける。

「私はあの日からずっと、華のことを想い続けた。出征から帰ってきてやっとお前を探し当てたとき、お前は全てを忘れてしまっていたけどそれでもいいと思った。時間はかかってしまったが、ようやく一番そばでお前を護れる日が来たのだから」

 力強い柊の声が、華の鼓膜を揺らす。柊は空いている片方の手で華の髪をひと房すくうと、そっと口づけをした。
 長年募らせた恋心を真正面から伝えられているようで、頬が熱くなる。

 ずっと、欠片持ちの疫病神だと罵られてきた。華の居場所はどこにもないのだと、絶望する日々だった。
 それなのに、こんなにあたたかな想いを受け取ってしまっていいのだろうか。

「華は、私から離れたいか?」

 柊が、静かにそう問いかける。

「……っ、離れたくありません」

 華がそう答えると、ふっと小さな笑い声が返ってきた。

「それなら、これからもずっと私のそばにいてくれ」
「……おそばにいても、いいのでしょうか。私が妖魔の欠片を持っていることには変わりませんし、いつか、あの日と同じことが起きてしまうかもしれません」

 そうだ、華の心臓に妖魔の欠片があるという状況は何も変わらない。
 この欠片がある限り、あの日華たちを襲った妖魔は永遠に華をあきらめないだろう。
 
「私が何のために妖魔討伐の任務に就いていると思っている。華を襲った妖魔は必ず、この手で仕留めてやるから安心してくれ」

 そんな華の不安を、吹き飛ばすように柊が笑う。
 まさか、柊が妖魔討伐の任務に精を出していたのはこのためだったとでも言うのだろうか。
 柊の腕が緩められ、互いの顔が見えるようになる。きょとんと目を丸めた華に笑みを深めた柊は、華のまぶたに小さく口づけをした。