♢ ♢ ♢ ♢
「はぁ……」
目の前に積みあがる箱を見て、華は今日何度目かのため息をついた。
金平糖、チョコレート、ビスケットケーキ、おはぎにお団子。座敷を埋め尽くさんばかりに並べられたこれは全て、華のために贈られたお菓子だ。言わずもがな、柊が用意したものなのだが……ここまでやってほしいとは誰も言ってない。
「奥さま、この洋菓子見てください! ハイカラだなぁ~、おれ、こんなのはじめて食べましたっ!」
巣蜜をたっぷり乗せたワッフルをほおばりながら、小太郎は目を輝かせた。
心なしか、一週間前にはじめて会ったときより体がふっくらした気がする。
華が食べきれなかったお菓子は、全て小太郎に食べてもらっているから当たり前といえば当たり前なのだが。
「小太郎くん、残りはお屋敷の皆さんに食べてもらいましょうか。私から旦那さまに返しておきます」
「ふぇ!? ひょっほ、ふぁってふあさい」
たくさん口に詰め込みすぎたせいで、まともにしゃべれなくなっている。
それでもなんとか飲み込み、小太郎は目の前のお皿を華に差し出した。
「最後にこれだけ、食べてみてくださいっ」
「これは、みたらし団子……?」
「はい! ちょっと待ってくださいね、今からおれがまじないをかけてあげます」
にっと笑った小太郎が手をかざすと、じんわりと空気があたたかくなる。
「わ……!」
橙色の光が辺りを包み込み、小太郎の髪がふわりと逆立つ。
光はだんだんと強くなり、瞬く間にみたらし団子の表面が香ばしく焼けた。
「すごい……これが小太郎くんの能力なんですね」
「へへ、さっきよりもっと美味しくなりましたよ。奥さまにあげます」
小太郎にうながされるまま、じゅわっと美味しそうな音を立てる団子を食べる。
すると口に入れた瞬間、焼き立てのとろけるような甘さが広がった。
「美味しいです、ありがとう。小太郎くんは天才ですね」
感動しながら華がそう言うと、小太郎はうれしそうに頬を染めて頭をかいた。
ここ数日、側仕えとして小太郎はとても立派な働きをしてくれている。
「そうだ、おれ、お茶淹れてきますね!」
「あっ、それなら私が……」
「だーめーです、奥さまはここにいてください! おれがとびっきり美味しいお茶、淹れてくるんで!」
明るく笑いながら、ちょんまげ頭を揺らして走っていく小太郎を見て笑みがこぼれる。
とても穏やかだ。こうしていると、妖魔のことも心臓の欠片のことも、忘れてしまいそうなくらいに。
そのとき、背後から静かな足音が聞こえた。
すう、と、小太郎がいなくなった廊下から冷たい空気が入り込む。
爽やかな花の香りがして思わず振り返れば、凪いだ表情でこちらを見つめる柊がいた。
「旦那さま? どうしてここに……」
「今日は、十六夜の月が昇る日だろう」
その言葉に、はっとする。
すっかり忘れていた。今日は週に一度、柊が華の元にやってくる日だ。
まあ、今では週に一度どころか毎日顔を合わすようになったのだけれど。
あれから柊は、必ずといっていいほど華の朝餉に同席するようになった。
最初は戸惑ったものの、今ではもう受け入れてしまっている。というより、いつもそれが当たり前かのように登場するため、慣れざるをえなかったという方が正しい。
柊と顔を合わせることには慣れたが、華の‟旦那さまに嫌われる大作戦”は今のところ惨敗中だ。
華が何を言っても、柊は何くわぬ顔でそれを叶えてしまう。それどころか、華がわがままを言うと少しうれしそうな顔をする節まである。
――どうすればいいんだろう……早く、旦那さまと離れなければいけないのに。
ひとりで考え込む華を不思議そうに見やりながら、柊が座敷へ入ってくる。
そして、座敷の中央を占領するお菓子の山を見てぴたりと足を止めた。
「この菓子はもしかして、全部私が贈ったものか?」
呆気にとられた様子でそう問う柊に、目をまたたく。
「はい、すべて旦那さまからいただいたものです。食べきれなかった分はお屋敷の方々にお配りしてもいいでしょうか?」
「ああ、そうしてくれ。……すまない、自分でもどれだけ頼んだかわからなくなっていたようだ」
顔をしかめながら、お菓子の山を見上げる柊に拍子抜けしてしまう。
泣く子も黙る近衛の一柱ともあろう一条柊が、そんな間違いをするなんて。
「どれがお前の口に合うか選んでいるうちに、あれもこれも、食べさせてやりたいと思うようになった。甘いものを食べたときのお前の表情が忘れられなくてな」
そう言って、少し罰が悪そうに顔をほころばせた柊。
「……っ!」
こちらを見る柊の瞳があまりにも優しく、華は思わず目を見開いた。
ここ数日、柊と一緒に過ごしてみてわかったことがある。それは、柊の表情が意外にも豊かだということだ。
淡々としているように見えるが、思ったよりも喜怒哀楽がはっきりしている。
任務で朝餉の時間に間に合わなければあからさまに悲しそうな顔をするし、頬をゆるめることだって珍しくない。そう、微笑みは特に危険だ。思いもよらない方向からまっすぐな笑顔をぶつけられるため、華はその度によくわからない致命傷を負っている。
しかし、柊の想いは素直にうれしい。
積み上げられたお菓子を前に眉をひそめる柊の姿がなんだか微笑ましくて、ふっと笑みがこぼれた。
「そんなに想いを込めて贈っていただいたお菓子だったんですね……ありがとうございます、うれしいです」
くすくすと小さく肩を震わせる華に、柊の目尻がほんのりと赤くなる。
「……これがはじめての贈り物なんだ。次は失敗しない」
「はじめて? 今までどなたかに贈り物を渡したことは……?」
「ない。これがはじめてだ。お前といると、はじめてのことがたくさんある」
そう言うと、柊は縁側から見える中庭に目を向けた。
夕暮れの西日が差し込み、柊のすらりとしたシルエットを照らし出す。
「はじめてなのは、この離れでお前と過ごす時間もそうだ。一分一秒、私にとって全てが新鮮で、目まぐるしい」
柊の言葉に、思わず息をのむ。
週に一度、ふらりとここを訪れ、一時間たつと満足したように去っていく柊。
会話はなかったが、柊がこの日を忘れたことはなかった。
「旦那さまは、何故お忙しい合間をぬってこちらを訪れてくださるのですか? 旦那さまならば、私などよりもっと……」
もっと、ふさわしい相手がいるはずなのに。
そう最後まで言い切ることはできなかった。
すると、うつむく華に、柊はそっと近づき口を開く。
「私にはお前が必要だ。最初に会ったとき、そう言ったことを覚えているか?」
「……はい、覚えています」
「それは、お前の能力に関係してもいる」
能力、という言葉にびくりと体が震えた。
まさか、バレてしまったのだろうか。浅ましい嘘までついて必死に隠し通した華の不能が――
「世の中には、自らの神通力を他者に分け与えることができる者がいる。お前はその、譲与の能力者だ」
ぱちんと空気が弾けたように、呼吸が一瞬止まった。
「私が……能力者?」
唖然としてそう聞き返した華にうなずく柊。
言われたことをすぐ理解することができず、頭のなかで反芻させる。
譲与の能力。そんなもの、今まで聞いたことがない。
「まさか、今まで知らなかったのか?」
「は、はい……神通力が高いとは、昔から言われていたのですけれど……」
「譲与の能力者は、人より神通力が高いことが特徴だ。神通力の高さ自体が能力となるから、他に特出した能力は発現しない」
「そんな……」
あまりのことに目まいがした。
今までずっと、役立たずの不能だと言われ続けてきたのだ。にわかには信じられない。
それでも、もし柊の言っていることが本当ならば――
「それなら、私は旦那さまのお役に立てているのでしょうか」
喉から絞り出した声に、わずかな希望が混じる。
もし華が能力者ならば、神通力を他者に与えることができるというならば、ほんの少しだけ、ここに居てもいいと思えるような気がするのだ。
すがるような華の視線に少し驚いた顔をして、柊は口を開く。
「ああ、もちろんだ。譲与の能力者は、接触によって神通力を人に与えることができる。ただ、こうしてそばにいるだけでもその恩恵を少しだけ受けられるんだ。気分が休まったり、疲れが和らいだりする程度ではあるが」
それでも私には十分だと続けた柊に、はっと小さな息が漏れた。
堰がきれたように、心のなかに安堵が広がっていく。
自分は、柊の役に立てていたのだ。その事実があるだけで、華の心はずいぶんと救われた。
「だが、私がここへ足を運ぶのはそれだけが理由ではない」
「……え?」
「さっきも同じことを言ったが、お前といると、いろんな景色と出会う。夏草の香りも、風の温度も、季節のうつろいも、お前と過ごしてはじめて意識した。……日差しに照らされるお前の頬が、少し赤らんでほころぶ美しさも」
そっと柊の指が近付き、頬に触れる瞬間、怖気づいたかのように離れる。
こちらの想いをたしかめるように揺れる瞳の黄金が、日の光に溶けていく。
「こうして会話することの楽しさと難しさも、最近知ったことのひとつだ」
そう言って、柊はふっと華から目をそらす。
西日のせいだろうか、柊の耳が、少し赤くなっているように見えるのは。
――旦那さまは、私に興味がないはずじゃなかったの……?
柊の真意を問うようにして見つめた先のまなざしが、再び混じり合う。
視線の温度にうながされるようにして、華は口を開いた。
「私も、このお屋敷に来てからいろいろなことを知りました。中庭に咲く花の香り、誰かと一緒に食べる甘露煮の甘さ、積みあがったお菓子ひとつひとつに込められた想い……あと、夕暮れの陽光がこんなにも柔らかく優しいのだということ」
語尾がふるりと震えてしまう。
そうだ、一条家に来てから、華はいろんな景色を知った。
そのひとつひとつが抱えきれないほどに優しくて、穏やかで、幸せだった。
華の言葉をゆっくり聞いていた柊は、ふっと微笑んで、手のひらを上に向ける。
すると周りの空気が冷えて霜となり、柊の手のなかで氷の結晶が出来上がった。
そのまま手のひらの上でくるりと回った結晶は、みるみるうちに形をかえて綺麗な花びらを咲かせる。
柊が持つ、氷の能力だ。なんて美しいのだろうか。
華が一連の動きに見惚れていると、柊は氷で出来た花びらにふっと息を吹きかけた。
ふわりと花びらが舞い、華の元へ届く。そっと触れると、その花びらがほんのりと紫色に色づいた。
「スミレだ。やはり、華に似合う」
そう言って微笑んだ柊に、はっとする。
「旦那さま、今、私の名を……?」
「ああ、呼んだ。いけなかったか?」
「いえ、うれしいです。ただ……少し驚いてしまって」
「そうか。それならこれからはもっと名を呼ぼう。華も、私の名を呼んでくれ」
優しくうながされ、華は頬が熱くなるのを感じた。
思わず目をそらすが、柊はこちらをじっと見つめたままだ。どうやら、この場で名前を呼ぶまで許してくれないらしい。
「……柊、さん?」
たどたどしくそう呼べば、柊は満足気に頬をゆるめた。
柊がつくった氷の花びらが、手のひらのなかでキラキラと回る。不思議と冷たさは感じない。むしろ熱いくらいだ。
華の手のなかで踊る氷を見て、柊が静かに手を伸ばす。
もう少しでふたりの指先が触れあうかと思ったその瞬間――ばちん、と目の前を閃光が走った。
「――っ!」
妖魔の欠片が刺さった心臓がずくりと痛み、頭のなかに粗いノイズが広がっていく。
「華……!?」
柊が華を呼ぶ声が、だんだんと遠くなる。
目の前の景色がゆがみ、何度も視た‟あの光景”を映し出す。
ああ、まただと心のどこかで思った。
ごうごうと燃え盛る炎のなか、目の前に倒れる柊。
息を切らしながら、柊を強く抱きしめる華は、やはり言葉を発することができない。
今までと違うのは、いつもモヤがかかっていてよく見えなかった柊の姿がはっきりと見えることだった。
端整な顔には痛々しく霜がはっており、まつ毛は凍っている。先ほどまで間近で見ていた柊とは少し雰囲気が違うように見えるが、やはりこれは柊で間違いない。
吐息を震わせながら、腕のなかでぐったりと倒れる柊を見た。
この様子では、きっと助からない――無意識のうちにそう感じとり、ぞくっと背筋が凍った。
――やっぱり、私のせいで旦那さまは……!
柊にそっと手を伸ばし触れてみれば、その体は、氷のように冷たかった。
「――華!」
刹那、柊の叫び声が華を現実へと引き戻す。
「はっ……はっ………!」
力が抜け、膝をついた華を支える柊の姿が、あふれた涙でにじむ。
「何があった、何を見たんだ」
「い、や……!」
こちらを気遣うように伸ばされた柊の手を、思わず振り払ってしまう。
「……っ」
はっと我に返って顔をあげれば、柊は困惑に満ちた表情でこちらを見ていた。
――能力があろうとなかろうと、私は旦那さまと一緒にいてはいけない。どうして、一瞬でも彼の隣に居られるかもしれないと思ってしまったんだろう。
手のなかで溶けた氷の結晶が、その色を失っていく。
心臓が痛い。息がうまくできない。
その痛みはまるで、華に刺さる妖魔の欠片が「忘れるな」と忠告しているかのようだった。
「はぁ……」
目の前に積みあがる箱を見て、華は今日何度目かのため息をついた。
金平糖、チョコレート、ビスケットケーキ、おはぎにお団子。座敷を埋め尽くさんばかりに並べられたこれは全て、華のために贈られたお菓子だ。言わずもがな、柊が用意したものなのだが……ここまでやってほしいとは誰も言ってない。
「奥さま、この洋菓子見てください! ハイカラだなぁ~、おれ、こんなのはじめて食べましたっ!」
巣蜜をたっぷり乗せたワッフルをほおばりながら、小太郎は目を輝かせた。
心なしか、一週間前にはじめて会ったときより体がふっくらした気がする。
華が食べきれなかったお菓子は、全て小太郎に食べてもらっているから当たり前といえば当たり前なのだが。
「小太郎くん、残りはお屋敷の皆さんに食べてもらいましょうか。私から旦那さまに返しておきます」
「ふぇ!? ひょっほ、ふぁってふあさい」
たくさん口に詰め込みすぎたせいで、まともにしゃべれなくなっている。
それでもなんとか飲み込み、小太郎は目の前のお皿を華に差し出した。
「最後にこれだけ、食べてみてくださいっ」
「これは、みたらし団子……?」
「はい! ちょっと待ってくださいね、今からおれがまじないをかけてあげます」
にっと笑った小太郎が手をかざすと、じんわりと空気があたたかくなる。
「わ……!」
橙色の光が辺りを包み込み、小太郎の髪がふわりと逆立つ。
光はだんだんと強くなり、瞬く間にみたらし団子の表面が香ばしく焼けた。
「すごい……これが小太郎くんの能力なんですね」
「へへ、さっきよりもっと美味しくなりましたよ。奥さまにあげます」
小太郎にうながされるまま、じゅわっと美味しそうな音を立てる団子を食べる。
すると口に入れた瞬間、焼き立てのとろけるような甘さが広がった。
「美味しいです、ありがとう。小太郎くんは天才ですね」
感動しながら華がそう言うと、小太郎はうれしそうに頬を染めて頭をかいた。
ここ数日、側仕えとして小太郎はとても立派な働きをしてくれている。
「そうだ、おれ、お茶淹れてきますね!」
「あっ、それなら私が……」
「だーめーです、奥さまはここにいてください! おれがとびっきり美味しいお茶、淹れてくるんで!」
明るく笑いながら、ちょんまげ頭を揺らして走っていく小太郎を見て笑みがこぼれる。
とても穏やかだ。こうしていると、妖魔のことも心臓の欠片のことも、忘れてしまいそうなくらいに。
そのとき、背後から静かな足音が聞こえた。
すう、と、小太郎がいなくなった廊下から冷たい空気が入り込む。
爽やかな花の香りがして思わず振り返れば、凪いだ表情でこちらを見つめる柊がいた。
「旦那さま? どうしてここに……」
「今日は、十六夜の月が昇る日だろう」
その言葉に、はっとする。
すっかり忘れていた。今日は週に一度、柊が華の元にやってくる日だ。
まあ、今では週に一度どころか毎日顔を合わすようになったのだけれど。
あれから柊は、必ずといっていいほど華の朝餉に同席するようになった。
最初は戸惑ったものの、今ではもう受け入れてしまっている。というより、いつもそれが当たり前かのように登場するため、慣れざるをえなかったという方が正しい。
柊と顔を合わせることには慣れたが、華の‟旦那さまに嫌われる大作戦”は今のところ惨敗中だ。
華が何を言っても、柊は何くわぬ顔でそれを叶えてしまう。それどころか、華がわがままを言うと少しうれしそうな顔をする節まである。
――どうすればいいんだろう……早く、旦那さまと離れなければいけないのに。
ひとりで考え込む華を不思議そうに見やりながら、柊が座敷へ入ってくる。
そして、座敷の中央を占領するお菓子の山を見てぴたりと足を止めた。
「この菓子はもしかして、全部私が贈ったものか?」
呆気にとられた様子でそう問う柊に、目をまたたく。
「はい、すべて旦那さまからいただいたものです。食べきれなかった分はお屋敷の方々にお配りしてもいいでしょうか?」
「ああ、そうしてくれ。……すまない、自分でもどれだけ頼んだかわからなくなっていたようだ」
顔をしかめながら、お菓子の山を見上げる柊に拍子抜けしてしまう。
泣く子も黙る近衛の一柱ともあろう一条柊が、そんな間違いをするなんて。
「どれがお前の口に合うか選んでいるうちに、あれもこれも、食べさせてやりたいと思うようになった。甘いものを食べたときのお前の表情が忘れられなくてな」
そう言って、少し罰が悪そうに顔をほころばせた柊。
「……っ!」
こちらを見る柊の瞳があまりにも優しく、華は思わず目を見開いた。
ここ数日、柊と一緒に過ごしてみてわかったことがある。それは、柊の表情が意外にも豊かだということだ。
淡々としているように見えるが、思ったよりも喜怒哀楽がはっきりしている。
任務で朝餉の時間に間に合わなければあからさまに悲しそうな顔をするし、頬をゆるめることだって珍しくない。そう、微笑みは特に危険だ。思いもよらない方向からまっすぐな笑顔をぶつけられるため、華はその度によくわからない致命傷を負っている。
しかし、柊の想いは素直にうれしい。
積み上げられたお菓子を前に眉をひそめる柊の姿がなんだか微笑ましくて、ふっと笑みがこぼれた。
「そんなに想いを込めて贈っていただいたお菓子だったんですね……ありがとうございます、うれしいです」
くすくすと小さく肩を震わせる華に、柊の目尻がほんのりと赤くなる。
「……これがはじめての贈り物なんだ。次は失敗しない」
「はじめて? 今までどなたかに贈り物を渡したことは……?」
「ない。これがはじめてだ。お前といると、はじめてのことがたくさんある」
そう言うと、柊は縁側から見える中庭に目を向けた。
夕暮れの西日が差し込み、柊のすらりとしたシルエットを照らし出す。
「はじめてなのは、この離れでお前と過ごす時間もそうだ。一分一秒、私にとって全てが新鮮で、目まぐるしい」
柊の言葉に、思わず息をのむ。
週に一度、ふらりとここを訪れ、一時間たつと満足したように去っていく柊。
会話はなかったが、柊がこの日を忘れたことはなかった。
「旦那さまは、何故お忙しい合間をぬってこちらを訪れてくださるのですか? 旦那さまならば、私などよりもっと……」
もっと、ふさわしい相手がいるはずなのに。
そう最後まで言い切ることはできなかった。
すると、うつむく華に、柊はそっと近づき口を開く。
「私にはお前が必要だ。最初に会ったとき、そう言ったことを覚えているか?」
「……はい、覚えています」
「それは、お前の能力に関係してもいる」
能力、という言葉にびくりと体が震えた。
まさか、バレてしまったのだろうか。浅ましい嘘までついて必死に隠し通した華の不能が――
「世の中には、自らの神通力を他者に分け与えることができる者がいる。お前はその、譲与の能力者だ」
ぱちんと空気が弾けたように、呼吸が一瞬止まった。
「私が……能力者?」
唖然としてそう聞き返した華にうなずく柊。
言われたことをすぐ理解することができず、頭のなかで反芻させる。
譲与の能力。そんなもの、今まで聞いたことがない。
「まさか、今まで知らなかったのか?」
「は、はい……神通力が高いとは、昔から言われていたのですけれど……」
「譲与の能力者は、人より神通力が高いことが特徴だ。神通力の高さ自体が能力となるから、他に特出した能力は発現しない」
「そんな……」
あまりのことに目まいがした。
今までずっと、役立たずの不能だと言われ続けてきたのだ。にわかには信じられない。
それでも、もし柊の言っていることが本当ならば――
「それなら、私は旦那さまのお役に立てているのでしょうか」
喉から絞り出した声に、わずかな希望が混じる。
もし華が能力者ならば、神通力を他者に与えることができるというならば、ほんの少しだけ、ここに居てもいいと思えるような気がするのだ。
すがるような華の視線に少し驚いた顔をして、柊は口を開く。
「ああ、もちろんだ。譲与の能力者は、接触によって神通力を人に与えることができる。ただ、こうしてそばにいるだけでもその恩恵を少しだけ受けられるんだ。気分が休まったり、疲れが和らいだりする程度ではあるが」
それでも私には十分だと続けた柊に、はっと小さな息が漏れた。
堰がきれたように、心のなかに安堵が広がっていく。
自分は、柊の役に立てていたのだ。その事実があるだけで、華の心はずいぶんと救われた。
「だが、私がここへ足を運ぶのはそれだけが理由ではない」
「……え?」
「さっきも同じことを言ったが、お前といると、いろんな景色と出会う。夏草の香りも、風の温度も、季節のうつろいも、お前と過ごしてはじめて意識した。……日差しに照らされるお前の頬が、少し赤らんでほころぶ美しさも」
そっと柊の指が近付き、頬に触れる瞬間、怖気づいたかのように離れる。
こちらの想いをたしかめるように揺れる瞳の黄金が、日の光に溶けていく。
「こうして会話することの楽しさと難しさも、最近知ったことのひとつだ」
そう言って、柊はふっと華から目をそらす。
西日のせいだろうか、柊の耳が、少し赤くなっているように見えるのは。
――旦那さまは、私に興味がないはずじゃなかったの……?
柊の真意を問うようにして見つめた先のまなざしが、再び混じり合う。
視線の温度にうながされるようにして、華は口を開いた。
「私も、このお屋敷に来てからいろいろなことを知りました。中庭に咲く花の香り、誰かと一緒に食べる甘露煮の甘さ、積みあがったお菓子ひとつひとつに込められた想い……あと、夕暮れの陽光がこんなにも柔らかく優しいのだということ」
語尾がふるりと震えてしまう。
そうだ、一条家に来てから、華はいろんな景色を知った。
そのひとつひとつが抱えきれないほどに優しくて、穏やかで、幸せだった。
華の言葉をゆっくり聞いていた柊は、ふっと微笑んで、手のひらを上に向ける。
すると周りの空気が冷えて霜となり、柊の手のなかで氷の結晶が出来上がった。
そのまま手のひらの上でくるりと回った結晶は、みるみるうちに形をかえて綺麗な花びらを咲かせる。
柊が持つ、氷の能力だ。なんて美しいのだろうか。
華が一連の動きに見惚れていると、柊は氷で出来た花びらにふっと息を吹きかけた。
ふわりと花びらが舞い、華の元へ届く。そっと触れると、その花びらがほんのりと紫色に色づいた。
「スミレだ。やはり、華に似合う」
そう言って微笑んだ柊に、はっとする。
「旦那さま、今、私の名を……?」
「ああ、呼んだ。いけなかったか?」
「いえ、うれしいです。ただ……少し驚いてしまって」
「そうか。それならこれからはもっと名を呼ぼう。華も、私の名を呼んでくれ」
優しくうながされ、華は頬が熱くなるのを感じた。
思わず目をそらすが、柊はこちらをじっと見つめたままだ。どうやら、この場で名前を呼ぶまで許してくれないらしい。
「……柊、さん?」
たどたどしくそう呼べば、柊は満足気に頬をゆるめた。
柊がつくった氷の花びらが、手のひらのなかでキラキラと回る。不思議と冷たさは感じない。むしろ熱いくらいだ。
華の手のなかで踊る氷を見て、柊が静かに手を伸ばす。
もう少しでふたりの指先が触れあうかと思ったその瞬間――ばちん、と目の前を閃光が走った。
「――っ!」
妖魔の欠片が刺さった心臓がずくりと痛み、頭のなかに粗いノイズが広がっていく。
「華……!?」
柊が華を呼ぶ声が、だんだんと遠くなる。
目の前の景色がゆがみ、何度も視た‟あの光景”を映し出す。
ああ、まただと心のどこかで思った。
ごうごうと燃え盛る炎のなか、目の前に倒れる柊。
息を切らしながら、柊を強く抱きしめる華は、やはり言葉を発することができない。
今までと違うのは、いつもモヤがかかっていてよく見えなかった柊の姿がはっきりと見えることだった。
端整な顔には痛々しく霜がはっており、まつ毛は凍っている。先ほどまで間近で見ていた柊とは少し雰囲気が違うように見えるが、やはりこれは柊で間違いない。
吐息を震わせながら、腕のなかでぐったりと倒れる柊を見た。
この様子では、きっと助からない――無意識のうちにそう感じとり、ぞくっと背筋が凍った。
――やっぱり、私のせいで旦那さまは……!
柊にそっと手を伸ばし触れてみれば、その体は、氷のように冷たかった。
「――華!」
刹那、柊の叫び声が華を現実へと引き戻す。
「はっ……はっ………!」
力が抜け、膝をついた華を支える柊の姿が、あふれた涙でにじむ。
「何があった、何を見たんだ」
「い、や……!」
こちらを気遣うように伸ばされた柊の手を、思わず振り払ってしまう。
「……っ」
はっと我に返って顔をあげれば、柊は困惑に満ちた表情でこちらを見ていた。
――能力があろうとなかろうと、私は旦那さまと一緒にいてはいけない。どうして、一瞬でも彼の隣に居られるかもしれないと思ってしまったんだろう。
手のなかで溶けた氷の結晶が、その色を失っていく。
心臓が痛い。息がうまくできない。
その痛みはまるで、華に刺さる妖魔の欠片が「忘れるな」と忠告しているかのようだった。