【完結】虐げられた臆病令嬢は甘え上手な王弟殿下の求愛が信じられない


(これも夢……? でもそれにしては手に感じる温もりは……)
「オリビア、良かった。……もう目を覚さないかと思いました……」
「私……?」

 起きあがろうとした直後、体の節々が痛い。
 身体中の筋肉が悲鳴を上げている。

「オリビアが雪の中に飛び出した日から一カ月が経っています」
「雪の中?」
「もしかしてそれも覚えていないのですか?」

 記憶を遡ろうとするが夢と現実がごっちゃになりすぎて、鮮明に覚えているのは──そう、エレジア国から使節団が来た日だ。

「ええっと、エレジア国から使節団が来て、クリストファ殿下にお断りをした──所までは覚えているのですが、その後は夢だったのか現実だったのか判別が難しくて……すみません」
「謝るのは私のほうです。また貴女を守り切れなかった」

 セドリック様の涙を拭い、彼の頬に手を当てた。
 温かい。

「そんなことはないです。……私の心を守ってくれた。私の居場所を作ってくれて、私は……自分自身を大事にすることをセドリック様、貴方から教えていただきました……」
「オリビア」
「私が戻ってこられたのは、セドリック……がいたからです。……これからも、傍に居てもいいですか?」

 目を細めて微笑むセドリック様は「もちろんです」と即答する。

「嫌だと言っても傍に居てもらいますから、覚悟してください」
「はい」

 私を抱き寄せる温もりは本物で、夢じゃないと実感する。
 ああ、そうだ。
 ずっと、言いたい言葉があった。
 もし自分に居場所ができたのなら──。

「ただいま……戻りました」


 ***


「なるほど。セドリック様と一緒にいた時間が夢として認識させられ、部屋に一人だけの悪夢を現実に見せて絶望させようとしていた。……精神支配の浸食度もきれいさっぱり消えているのを考えると、悪夢の核そのものを砕いたのでしょうね」
「そう……なのでしょうか」

 あれから私はローレンス様に診察をしてもらい、夢と現実の整理をしていた。ベッドから起き上がって日常生活ができるようになったのはそれから一週間後だった。
 セドリック様はできる限り私の傍に居てくれて、安心させてくれる。今もソファの隣で診察内容を一緒に聞いてくれていた。

 その途中でわかったことなのだが、夢で見た赤髪の女性がスカーレットだと知り、かなり恥ずかしかった。セドリック様と親しげだったため「恋人なのでは?」と勘違いしてしまったのだ。そのことを正直に話したら、セドリック様は「オリビアが、嫉妬を」と妙に喜んでいた。私としては忘れてほしい。

「セドリック様、傍に居てくれるのはとても嬉しいのですが……仕事は大丈夫なのですか?」
「はい。兄上が戻りましたので、丸投げしました。あとまだたまに『様』が付きますね」
「それは……って、あの、丸投げしていいのでしょうか」
「はい」

 晴れやかな笑顔で言ってのけたので、私は罪悪感が増した。
 そもそもセドリック様のお兄様に挨拶すらしていない。というかいつの間に石化魔法が解かれたのか。クリストファ殿下や使節団のこともどうなったのか聞いていない。

「元をただせば今回の一件は兄上の怠慢でもあるので、オリビアが気に病むことはありません」
「殿下の言う通りです。英気を養うことが今のオリビア様には大事ですから」

 そう言ってローレンス様は部屋を退出したので、私とセドリック様の二人きりになった。隣に座るセドリック様の肩に頭を預ける。
「ああ、オリビアから寄り添うのはいいものですね」とセドリック様は感慨深く呟いた。

「セドリック、兄王様──復帰された竜魔王様にご挨拶をしなくてもよいのですか?」
「そうですね。近々、式がありますから、その時にでもいいでしょう」
「式?」
「私たちの結婚式ですよ」
「!?」

 初耳だと思って驚いたが、よくよく思い返せば私が精神支配を受けて夢と現実の区別がついてなかった頃にその手の話をしていた……ような気がする。
 指輪や、ドレスなど諸々一緒に話していた。

「それに指輪の準備もできています。ほら」

 そういって胸ポケットから取り出した小箱を差し出した。中には蜂蜜色の宝石と深い青の宝石が並んではめ込まれていた。これは私の髪と、セドリック様の瞳の色。

「どうですか。シンプルですが、オリビアの希望も添えてみました」
「すごいです。……でも、私がこんな高価なものを身につけてもいいのでしょうか?」
「………………」

 ニコニコしているセドリック様は唐突に窓を開けて「オリビアが気に入らないのなら一から作り直しましょう」と言い出したので、私はセドリック様の腰にしがみついた。

「とっても気に入りました。その指輪がいいです! その指輪しかありえません!」
「よかった。オリビアが私に抱き付いてまで気に入ってもらえるとは、頑張った甲斐がありました」
(セドリック様、甘え上手だけじゃなく、強引な手も使うように……!)
「はい。今回のことでオリビアは自分の主張が弱いので、発言しやすいようにフォローしようと思ったのです」
「こ、心を読まないでください! あとこれはフォローなのでしょうか……?」

 それはサポートというよりも強制というか選択肢を狭めるような感じがしなくもない。悪戯いや小悪魔的な。

「これもオリビアが甘えられるような環境を作るためでもあります」
「そんなにセドリック……が、頑張らなくても、これからどんどん甘えたり、頼ったりしますよ。……だって、その……夫婦になるなら、支え合いたいですし」
「オリビア」

 私を抱きしめるセドリック様──いやセドリックの背中に手を回す。もう何度目になるか分からないキスは蕩けるように甘くて、ますます好きだという気持ちが溢れる。
 自分からキスをするのは恥ずかしいけれど、それでも行動に移した後で顔を赤らめるセドリック様を見るのが嬉しくて、自分から動くのが自然と増えていった。
 クッキーを作って政務室に持って行ったり、自分からセドリック様の膝に座ったり──自分でも大胆になったと思う。
 今なら少しだけセドリック様が私に対して触れようとしていた気持ちがわかる。好きな人の傍に居て、その人が笑って喜んでくれるのが自分のことのように嬉しくなるから。

「セドリック、愛しています」
 
 悪魔(ラスト)の掃討は、最後までディートハルト兄上と、ダグラスやスカーレットに任せてしまった。亜空間で存在が消滅するのを確認したそうだ。
 おそらく精神支配の魔導具、《蝴蝶乃悪夢(バタフライ・ナイトメア)》の核になっていたのは、悪魔(ラスト)の血で作られたのだろう。彼女の死によって精神支配の能力も消えたはずなのに、オリビアが目を覚ますことは無かった。
 このまま眠ったままなのではないか、そう不安で押し潰されそうになったけれど、私の手を握り返すオリビアを見て、彼女も戦っているのだと辛抱強く待つことを決めた。
 百年待ったのだ。数日、数カ月なんてあっという間だ。

 ある日、たまたま疲れて──無意識にベッドにもぐりこんで寝てしまった。そんな時、オリビアは自分から寄り添ってくれて抱き寄せた。

「オリビア、私はここにいますよ」

 私の体温に安堵したのか、ふにゃりと笑ったオリビアは愛おしくてたまらなかった。
 オリビアが眠っている間に竜魔王代行を兄上に返上し、王弟として支える形でグラシェ国中に正式に発表をした。
 側室にしていた第二姫殿下ミアと第三姫殿下リリアンは、兄王が不在中に暴挙に走った数々を公にして処罰した旨も語った。それから数日間は盛大なパーティーを開き私が婚約していることも公表したものの、オリビアの姿がないことで半信半疑に受け取る者が多かった。
 不遜にも私に声をかけてくる他種族の令嬢たちがいたが全て断った。厚顔無恥な令嬢に腹立たしく思ったが、オリビアが目覚めたらさっさと式を挙げてしまおう。
 パーティーも最初だけ参加して、さっさとオリビアの眠る部屋に戻った。

 オリビアが目を覚ましたのは一カ月経った頃だった。
 本人的には数時間のような感覚だったそうだ。
 宮廷治癒士のローレンスと共に診察を受ける。悪夢の脅威は予想以上で、私と過ごしていた時間が夢で、現実が一人きりだと話してくれた。

 正直、ショックだった。
 これ以上、傷つけないし一人にしないと誓ったのに、自分は本当に口先だけなのだと落ち込んでいたが、オリビアにとってはそうではなかった。
 私が傍にいる、一緒にいた時間が宝物だと言ってくれた。
 私のささくれだった心を癒すのはいつだってオリビアだ。
 彼女を甘やかして、安心させたいと言いながら一番甘えて、安心しているのは自分だ。彼女から貰ったものは多すぎて、返したいのに貰うものがどんどん増えていく。

 執務室でここ百年の仕事の引継ぎをしていると、控えめなノックに手が止まった。この匂いは──そう思い、部屋に入る許可を出した。案の定、おっかなびっくりしつつも姿を見せたのはオリビアと、兄王の王妃クロエ殿だった。二人揃って現れたことで、私と兄上の表情が一瞬で緩む。

「オリビア様がクッキーを焼くというので、一緒に作ってみたの。仕事の息抜きにいかがかしら」
「もちろん、大歓迎だよ。そうだろう、セドリック」
「オリビアの手作り! それに自分から私の部屋を訪れるなんて……!」

 歓喜のあまり、幸せを噛みしめる。横で「百年経っても変わらないな」と兄上は冷静で余裕のあるように見えるが、尻尾は狂喜乱舞しているので感情を隠しきれていない。
 結局のところ、自分の愛しい人からの贈り物や愛情には弱い種族なのだ。父上もあんな強面だけれど母上のことになると骨抜きである。

「リヴィ、オレこのチョコのクッキーが食べたい」
「私はイチゴの」
「ふふっ、はい」

 ソファに座ってお茶の準備をしていると、ダグラスとスカーレットが黒猫とウサギの姿で乱入してオリビアにお菓子を強請っていた。
 一気に幸せな気持ちから嫉妬の炎がメラメラと噴き出す。というか当たり前のようにオリビアに肩に乗って頬ずり、膝の上でそれぞれくつろいでいる。

「ダグラス、スカーレット。少しは配慮してください」
「いや」
「いやだ」
「大人気ないな、我が弟は」
「兄上、同じことをクロエ殿がされたら──」

「ふっ、私がそんなに狭量な男に見えるのか」と余裕ぶっているが、尻尾が小刻みに震えている。「あ、これ絶対にやせ我慢だ」というのは誰もがすぐに察した。
 ソファの隣に座ってお茶を口にしつつ、そわそわとオリビアを見つめる。ちゃんと私にクッキーを食べさせてくれるが、膝の上に乗せたい気持ちが膨らむ。
 どんどんオリビアを独占したくて、愛おしさが増していく。あまりにも彼女を見ていたからか、ふと目が合った。
 そしてスカーレットを抱っこしたまま、私の膝の上に乗ってくれた。少し恥ずかしそうにしていたけれど、「こちらのほうが落ち着きます」と呟いた彼女が可愛かった。
 自然と尻尾は彼女の腕に巻き付く。

 穏やかで至福のひと時を破ったのは、御昼寝をしていた甥のアルフレッドだった。
「母上、父上―」と二十センチ前後に成長した甥は生まれて百年未満だ。ちょうど私がオリビアと最初に出会った頃に近い年齢だろう。竜魔人族は幼少時代が長く、番と出会うことで人の姿に変わることができる。番を得ると肉体、精神的な成長も早い。
 私のように幼児期に番──オリビアと出会うと早熟する。その分、子供っぽい部分が出てしまうらしいが、子供っぽいのではなく単にオリビアに対しての愛情表現が他の竜魔人よりもストレートかつ感情豊かなだけだ。……たぶん。

「あらあら、アルフレッド。お昼寝は良かったのかしら?」
「母上。あのですね、いい匂いがしたので目が覚めました!」

 白銀の美しい鱗の甥は、まだまだ甘えたい盛りで母親のクロエ殿の膝の上に座り込む。兄上もそんな息子を愛おしそうに見つめる。

「アルフレッド、父の膝には来てくれないのか?」
「んー、あとで」
「……そうか」

 寂しそうにする兄上を無視して甥はキョロキョロと何かを探している。クッキーが食べたかったのだろうか。先程いい匂いがしたとも言っていたし。
 そう思っていたのだが──。
「あ。いい匂い」と甥はオリビアの膝の上に止まった。スカーレットは眉間にしわを寄せながら、ここは私の場所だと縄張りをアピールする。その場所も含めてオリビアは私の妻で、私の──。

「アルフレッド様、クッキーを召し上がりますか?」
「食べる。いい匂い、好き」

 爆弾発言投下。
 固まったのは私、そして兄上だ。番を求めるのは本能のようなものだが──基本的に番と認定された異性に対して同族が惚れることはない。──はずだ。

「く、クッキーが好きなのだろう。うん」
「そ、そうですよね」
「あら、二人とも固まってどうしたのです?」

 クロエ殿は暢気そうに問いかけた。この危機感は竜魔人でなければわからないだろう。オリビアは幼竜に「かわいい」といってクッキーを食べさせている。
 幼児期の竜魔人は番や親ぐらいにしか懐かないのだが──。
「飲み物もあったほうがいいですね」とオリビアは私の傍を離れて、サーシャに声をかけていた。その間も、甥はオリビアにべったりだ。いやダグラスとスカーレットもくっ付いているが。
 それがなんだか悔しい。オリビアは私の妻になるのに。

「あ。もしかしたら石化魔法の魔力はオリビアの魔力だったから、そのことを覚えていたんじゃないか?」

 ふと兄上は思い出したように呟いた。確かに石化した時に甥はクロエ殿お腹にいた。本能的に自分を守ろうとした魔力に対して好意的なだけなのではないか。という結論に至った。というかでなければ甥と愛する妻を巡って争わなければならない。
 甥でも絶対に、絶対に譲らないが。

 オリビアには、百年前に何があったのか真実を話していない。《原初の七大悪魔》の一角、色欲(ラスト)の件も詳細は伏せた。フィデス王国国民の石化魔法の解除はエレジア国とのやり取りののち、ダグラスから解除する手はずになっている。石化魔法が解除されてもオリビアの記憶はフィデス王国国民すべてから消し去っているので、彼女が私の妻になっても文句を言ってくる者はいないだろう。これはオリビアが国一番の魔導士だということを隠すことでもあり、彼女を利用しようとする輩を増やさないためでもある。

 使節団で来ていたクリストファ王太子は無傷で返したが、『グラシェ国に魔物を呼び寄せる手配をしたこと、私の妻を拉致及び奴隷契約を行おうとした』として天文学的な賠償金を支払うか、王太子を退くかの二択を選ばせた。エレジア王の返事は、『王太子を臣下降格、正式な謝罪の場を設けさせてほしい』と連絡がきた。
 聖女エレノアや神官は色欲(ラスト)の企てによって死亡したが、これも魔物の襲撃で死亡という事故にしておいた。この辺りの事情もオリビアには話していない。ただ不安がらせないためにも「使節団の要求は拒否して追い返した」という部分だけ伝えておいた。
 エレジア国と国交を開くかどうかは兄上に丸投げしたので、その辺は上手くやるだろう。


 ***


 それから数週間が経ち、今日、オリビアが正式に私の妻になる。
 本当は雪解けの春に式を行いたかったが、私が我慢できなかった──のはある。婚約者として一緒の時間を過ごすのも良かったが、人族として寿命が短く、病に伏せてしまう可能性も考えて急いだ。もっとも彼女を独り占めしたいという気持ちがあったのは内緒だ。
 オリビアの花嫁衣装(ウエディングドレス)は筆舌に尽くしがたいほど美しかった。
 真っ白なドレスはレースを重ね、真珠や宝石などふんだんに使っており、ベールと銀のティアラの傍に白薔薇の生花が蜂蜜色の髪によく栄えていた。ラインの良く見えるドレスに磨き上げられた瑞々しい肌、いつも以上に気合の入ったメイクが施されたオリビアを見た瞬間、惚れ直した。

「め、女神がいる……」
「大丈夫か、セドリック」
「リヴィが綺麗なのだからしょうがないでしょう」

 今回は人の姿で参列するダグラスとスカーレットは、私の肩に手を置いて同情する。二人は昔から家族に近い存在でそれは今も変わらない。近々二人は本当の家族になるので、それはそれで嬉しい。
 二人に背中を叩かれ、オリビアの前に佇む。

「オリビア」
「……セドリック」

 目が合ったオリビアの頬がみるみるうちに赤くなっていく。そんな彼女が愛おしくてたまらない。

「よく似合っています。女神かと思いました」
「……セドリックこそ、その、とても素敵です」

 手を差し出すと、彼女は当たり前のように手を掴んだ。昔なら困惑して、おっかなびっくりしつつ手を掴んでいた。今は彼女から抱き付いてくれるし、キスだってしてくれる。
 笑顔だってそうだ。
 たくさん甘えて、少しずつ頼ってくれて、未来のことを話す機会も増えた。『旅行に行きたい』とか、『この国を見て回りたい』など私の妻として隣を歩くことを考えている姿は愛おしくて、嬉しくてたまらない。

 百年前、弱くて何も知らなかった子供の私はいない。
 三年前、未熟で彼女の傍を離れていた愚か者はいない。
 今も私は完全に彼女を安心させるには至らないのかもしれない。けれど、それでもいいと一緒に幸せになることをオリビアは望んでくれた。
 一緒に並んで神殿に足を踏み入れる。
 静謐な空間は、白を基調とした神殿内はいくつもの柱が存在し、日差しが入ると白銀のように煌めき来訪者を出迎える。
 祖霊に妻を迎えることを告げ、羊皮紙に婚姻の書面を行う。名前を書き上げた瞬間、それらは燃えて番の証明としてオリビアは首筋に、私は胸元に特殊な紋様が刻まれる。これでオリビアは人族の寿命から解放されて私の妻、竜魔人族の末席に名を連ねることとなった。

「どうして私は首筋なのでしょう?」
「それは──昔、私がオリビアに求愛した時につけた印なのです」

 そう、百三年前に。
 けれどオリビアとしては、数か月前に私と再会した日のことを思い出しているのだろう。それでもいい。彼女が幸せならば、彼女の業はすべて私が引き受けて墓場まで持って行こう。

「オリビア、愛しています」
「私も、セドリックを愛しています」

 どちらともなく唇が重なった。
 本当は触れるだけのキスにしたかったけれど、ようやく妻として嫁いでくれたことが嬉しくて『長くキスをしたい』と願ってしまった。
 のちにオリビアは「恥ずかしくて死ぬかと思った」と呟かれたが、愛しい妻にあの時の歓喜の感情を伝えるのはまだまだ時間が足りなさそうだ。
「そういえば、明後日はセドリック様のお誕生日でしたね」

 サーシャさんの発言に「ぶっ」と、紅茶を噴き出しそうになったのをなんとか耐えた。
 結婚をして数カ月、夏の日差しが近くなったころ唐突に言い出したのだ。今日はお義母様と、兄嫁のクロエ様たちとのお茶会を楽しんでいたところだった。

「あら、そうだったかしら?」
「お、義母様……。竜魔人ではお祝いなどはしないのですか?」

 人族では毎年、誕生日を祝い盛大にパーティーを開くというのに。ここでも他種族との違いが出た。

「まあ、私たちのような長寿の種族だと一年があまりにも短いので成長の区切りにお祝いをすることが多いのですよ、オリビア様」
「クロエ様……」

 天使族のクロエ様は白い肌に、造詣が整っており同性の私ですら見惚れてしまうほど綺麗な方だ。スカーレットもそうだけれど、天使族は本当にスタイルがいい。胸の発育なんかも含めて……。

「──って、そうじゃなくて明後日なら、なにかお祝いがしたいです」
「人族だとどのようなお祝いのをするのかしら?」

 義母様は身を乗り出し興味津々のようで、クロエ様も目が輝いていらっしゃる。

「そうですね、料理がいつもよりも豪勢で、誕生日ケーキやプレゼントを用意して一緒に食事など特別な日にする──でしょうか」

 正直、誕生日にお祝いされた記憶がないので何となくのイメージだが、そこは黙っておこう。ポロっとでもそんな話をしたら最後、私の誕生日が国の行事レベルになりかねない。

「誕生日ケーキ。もしかしてオリビア様の手作りを?」
「え、あ。はい。……せっかくなので作ってみようかと。このあと料理長のジャクソンに調理場の利用ができないかと相談してみるつもりでした」
「まあ、まあ! 娘の手作りなんて楽しみだわ。クロエはしっかりして戦う姿が素敵だけれど、オリビアは一生懸命がこうかわいいのよね」
「分かりますお義母様」
(お義母様とクロエ様とも仲良くできて嬉しい。あ、そうだ……)

 この間、夏が近くなると暑くて困ると話していたのを思い出し、付与魔法でちょっと作ってみたものがあったのだ。

「お義母様、クロエ様。試作品なのですけれど、よかったら受け取ってください」

 ヘレンに持ってきて貰ったのは、二種類の扇子だ。付与魔法を付けており、仰ぐだけで冷たい風が出るようになっている。人間世界なら売れるだろうが、他種族国家のグラシェ国では夏場になると周囲を凍結させて涼むとか、スケールがそもそも違う。
 手慰みものなので物珍しいと思ってもらえれば──。

「まあ、まあ、まあ! コンパクトで魔法を使うよりも楽に涼しさを堪能できるわ!」
「ええ、その通りです。お義母様。それに竹に特殊な紙で作っているのね」
「はい。東洋の特殊な紙を再現してみました」

 予想以上に気に入ってもらえたようで、お茶会が終わるまで喜んでくれた。次のお茶会には私に贈り物を用意するとお二人が盛り上がったので、誕生日の相談はできなかった。
 お茶会を終えて部屋に戻るとサーシャさんとヘレンさんを呼び止めた。セドリック様の誕生日祝いの相談をしたいと告げたところ、喜んで話を聞いてくれた。
 立ち話もということで、二人にはソファに座って貰って本格的な相談に入った。

「セドリック様が喜びそうな贈り物って何が良いと思います?」
「オリビア様!」
「オリビア様でしょうか」

 二人とも即答である。
 私を贈り物って、すでに夫婦なので贈っていることになるのだろうか。唸る私にサーシャさんは大きめの赤いレースのリボンを唐突に取り出し、私をラッピングするかのように蝶々結びをする。

「オリビア様、可愛らしいです。お持ち帰りしたいほど、愛らしいですわ!」
「これで『私がプレゼントです』といえばセドリック様なら喜ばれるかと」
「……ええっと、もっとこう形として残るものがいいのだけれど……」
「基本的にオリビア様から頂いたものなら、あの方は喜ばれるかと」
「そうですよ。定期的にハンカチや髪紐など贈って喜ばれているじゃないですか。今回もそういった日用品などで、よろしいのではないでしょうか」
「うーん」

 そう。それが悩みどころでもある。
 まあ、明後日なので確かに準備する時間は限られているのだ。

「そう──ですね。参考になりました」
「それでは料理長のジャクソンを呼んでまいりますね。誕生日ケーキの大きさ、デザインなどの話が必要かと存じますので」
「ええ、よろしくお願いします」

 誕生日ケーキを作るとしたらセドリック様が好きなフルーツをたくさん載せて、生クリームは甘さ控えめで、たしかプレートはチョコレートを固めて──。すらすらと紙にケーキの構想を書き連ねる。

「オリビア」
「!」

 甘い言葉が耳元で囁かれ、肩がビクリと震えた。
 この声は──振り向かなくともわかる。

(セドリック様!?)
「ふふっ、お茶会が終わったと聞いたから顔を見に立ち寄ったのだけれど……」

 咄嗟に手に持っていた紙を背に隠しつつ、セドリック様を笑顔で迎える。色んな意味で心臓がバクバクと鼓動がうるさい。

「ちょっと考えごとをしていました!」
「そう。何度ノックをしても返事がなかったから心配したのですよ。母上や義姉になにか強請られたりはしていませんね?」

 心配そうに顔を覗き込むセドリック様に私は首を横に振った。
 お茶会のあとでお義母様とクロエ様が執務室によって、扇子を見せびらかしたらしい。セドリック様はエレジア国のように『オリビアが無理して作らされているのではないか』と不安になって様子を見に来てくれたのだろう。

「違いますよ。扇子はちょっと思いついたので作ってみただけで、手慰みのようなものです」
「そうでしたか。……よかった。オリビアは断るのが苦手ですから無理をなさらないか心配しました」
「ふふっ、一日に同じものを五十個作れと言われたらさすがに考えますが」
「……オリビア、エレジア国ではそんな無茶な発注を言われていたのですか?」

 笑顔だったけれど一瞬で空気が凍り付いた。
 ゴゴゴゴゴゴ、と凄まじい圧に負けて正直に頷く。「やっぱりあの時に殺しておけばよかった」とか「今からでも首都を滅ぼそうか」と物騒な言葉を呟いている。
 政治的な部分も含まれるからかエレジア国の使節団の件や、祖国フィデス王国など何があったかなどは簡潔に話してくれるが詳細は伏せていた。
 それはたぶん私のことを慮ってくれたからだ。精神支配を受けていたときにかなり心配させてしまったのもある。

 クリストファ殿下が王太子を退いたこと、私の叔父夫婦と名乗っていた者たちは、それに見合った処罰を受けたという。兄王姫殿下も投獄されたとか。
 改めて私はセドリック様に守られてばかりだと思う。それ故に時折暴走しそうな言葉が出た時は慌てて話題を逸らすようにしている。

「ええっと、セドリックは、その……なにかほしい物とかないのですか?」
「オリビア──は、もう私の妻なので、うーん。そうですね……」
(即答で私を望むって……。物欲がないのかしら?)
「オリビアとの時間でしょうか。オリビアからの頂き物はどれでも嬉しいですし」
(一緒の時間……)

 一緒に時間を過ごす時はお茶を用意してもらうことが多い。お揃いのマグカップなんていいかもしれない。後は──。

「ところで、ラッピング(リボン巻き)されているのは、どのような趣向があるのですか?」
「え、あ。これは──」
「もしかしてオリビアが贈り物とか!?」

 歓喜する尻尾を見た瞬間「違います」と反射的に口に出てしまった。それでも「この姿もかわいい」とセドリック様に抱き付かれたのはいつものことだ。
 その後、セドリック様が執務に戻った(アドラ様に引きずられていった、が正しいけれど)ので、待たせていた料理長のジャクソンさんと話を詰めることにした。

 ジャクソンさんは狼人族で、外見は三十代後半だが年齢は百二十歳らしい。頬に傷がある強面な上、長身なので威圧的に感じる人も少なくないとか。
 鬼の料理長とも呼ばれているのだが、私には優しく接してくれる。

「セドリック殿下は木苺が好まれているので、見栄えとしてスモモ、キウイを砂糖漬けにしてフルーツを使いましょう」
「タングルという砂糖漬けね。宝石みたいで綺麗になりそうね」
「はい。……きっと殿下も喜ばれるでしょう」
「ふふっ、そうね。そうなるように当日は頑張らないと」

 ジャクソンさんは眉間に深い皺を寄せることが多いらしいが、私と話す時はいつも穏やかだ。どこか懐かしむような、そんな顔をするのは少し不思議だけれど。

「貴女様とまた一緒に厨房に立てる日が来るとは……長生きをするものです」
「え?」
「いえ。何でもありません。ささ、作る時間ですが──」

 当日の料理とケーキの話を終えて、次に向かったのは城の皿やカップなどの陶器などを作るドワーフ族たちの工房だ。サーシャさんが根回しをしていてくれたおかげでこれから焼き上げるカップをいくつか見繕ってくれた。

「おお、オリビア様。こんな場所によく来てくださった!」
「オリビア様。おーいオリビア様が来てくれたぞ!」
「おお!」

 彼らも私に対して好意的に接してくれる。ただ不思議なのはジャクソンさんと同じように微笑ましいというか生暖かい視線を受け、歓迎されることだ。
 たまに「やはり腕は鈍っていないようで」とか「素晴らしい器用さだ」と称賛してくれる。もしかしたら記憶を失う前にどこかで会っている──のだろうか。
 けれど誰もそこに対して言及することも、名乗り出ることもなかった。ただ今の私を受け入れて優しく接してくれている。

(なんだか昔の自分の言動が巡り巡って今の私に戻ってきているみたい)

 記憶がないことを寂しいと思わない。ただ記憶を失う前の私は搾取されていたかもしれないが、それだけではなかったことが嬉しかった。

「城の人たちはみんな優しいのですね」
「それはオリビア様の人徳です!」
「その通りかと思います」

 サーシャさんとヘレンさんは自分のことのように喜んでくれた。いつも助けてくれる二人に、髪留めを送った。ヘレンには銀で作った羽根模様、サーシャさんは大人っぽい金の薔薇と真珠が付いているものにした。
 二人とも飛び上がるほど喜んでくれたようで、贈る相手は喜んでもらえるほうが嬉しい。

 そんなこんなで準備も一段落したところで夕食になった。
 夕食になるとセドリック様が部屋に来るのだが、執務室で仕事が残っているらしく私が迎えに行くことになった。
 廊下の途中でローレンス様を見つける。温室の薬草の世話をした帰りなのだろう。歩み寄ろうとしたら、何もないのに(つまづ)いてしまった。とっさにローレンス様に支えてもらったので、転ばずに済んだ。