「いや、結構だ」
「しかし」
「既に討伐は終わった。妻の体調が優れないので失礼する。……アドラ」
「ハッ」
すぐさまアドラを呼んで諸々の後処理を任した。あの男の処分は後でどうとでもなる。問題はオリビアだ。
彼女を気絶させて抱き上げると、大人しく私の腕の中にすっぽりと納まった。
涙を流す彼女にキスをして触れた。
「大丈夫です。なにがあっても元に戻して見せますから──」
***
診断の結果、オリビアは腕輪による精神支配を受けていた。
侵攻レベルは五〇パーセントと深刻なものだった。ただ他の種族に比べて人族の精神力は強く、人族でなければ抵抗できずに人形のように主に付き従っていたという。
「私の手を払った時に、オリビアの心は泣いていた……あれは私を慮って?」
「人族の精神力の強さ故ですね」
賞賛を送ったのはローレンスだった。
すでに魔導具を取り外し、これ以上侵攻レベルが進むことはないという。それに私は安堵した。
「すぅすぅ」と規則正しい寝息を立てているオリビアに触れようとして、ローレンスに止められた。
「しかし、状況的にはあまりいいとは言えません。セドリック様の手を払おうとしたのであれば、既に拒絶するような指示があった可能性は高いかと」
「魔導具を取り外しても暫くは影響が続くのか?」
「恐らくは……。特にこの魔導具は《蝴蝶乃悪夢》と呼ばれ、悪夢が現実に思え、現実が夢のように錯覚するもので悪夢が増えれば精神支配の効力は薄まる分、悪夢が現実と認識して発狂、あるいは廃人になってしまう可能性があります」
「なっ……」
持ち直すかどうかはオリビアの精神力にかかっているという。
それなら私にできるのは彼女を一人にしないことだ。傍でここに居ると伝え続ける。
彼女が起きている時、眠っている時を含めて傍にいた。
ダグラスやスカーレット、サーシャやヘレンなど交代で傍に居て、話しかけた。贈り物もしたし、傍にいた。
精神支配にかかっているのが嘘のように、オリビアは私に甘えてきた。自分から抱き付き「傍に居てほしい」と擦り寄って──愛おしくて、愛の言葉を返す。
たくさん甘えてくるオリビアに、私は浮かれていた。
今まで以上に一緒にいて「春になったらどこに行きたい」とか、「結婚式のドレスはこれがいい」とか「どんな結婚式にしたい」などと、未来の話ばかりをした。
その時に気付けばよかった。
全て「できたら嬉しい」と、必ずくる未来だと信じていなかったのだ。
甘い願いを告げて、そんな未来を想像することで精神を維持していたのだと──。
オリビアが泣いているのを見なくなったから、安心していたのだ。
私に触れるのも拒絶しなかった。笑ってキスを受け入れて幸せそうだった。
だから、もう大丈夫だと思いたかった。
あの日、会議のためにスカーレットが人の姿でオリビアのいる部屋を訪れた。いつもはウサギの姿をしているのだが、さすがに今後の会議となるので人の姿に変えてもらったのだ。
オリビアも眠ったところだったので安心していた。
会議も一時間ぐらいだったので、大丈夫だろうとオリビアから離れた。
思えば《蝴蝶乃悪夢》という魔導具の効果を甘く見ていた。あれは現実に起こったものを悪夢へと昇華し、宿主の精神力を削って、現実に戻れないように対象者を追い詰める。
永遠に眠り続けるよう悪夢と現実をすり替えて、絶望させるものだという。
会議の途中でオリビアの様子を見に部屋を訪れた時──。
暖炉の炎が消えかけており、窓が全開で開いていてカーテンが風で大きく揺らぎ、部屋の床に雪が積もり始めていた。
ベッドで眠っていたオリビアの姿がない。
「──っ」