風邪を引いた時に傍に居て、過保護すぎるほど大事にしてくれていた日常が遠い昔のように感じられた。あれは時々夢だったのではないかと思うようになった。
本当はセドリック様に愛されていた事実はなくて、ずっと幸福な夢を見ていたのだとしたら、今の扱いも当然だろう。
けれどそれを認めるのが怖くて、悲しかった。
どうにかしたいのに、雁字搦めで息苦しい。
このままじゃいけないと思うのに、動けない。
時折、衝動的にこの場所から逃げ出したくなるけれど、セドリック様の笑顔や温もりを思い出すと決意が揺らいだ。
(私、どんどんおかしくなってる。……病気だとしたら書庫にいけば手掛かりがわかるかしら?)
自分が徐々に壊れてきているのが分かる。
自分でない何かに浸食されつつあることを──。
何もせずに泣き続けても好転しないと、私は書庫へと歩き出した。前にセドリック様が案内してくれたから場所は覚えている。
私の部屋にはサーシャさんたちもおらず、必要な時だけベルを鳴らすようになった。だから私が少しの間、居なくなっても誰も気づかないだろう。
廊下の壁に寄りかかりながらも目的の書庫に辿り着いた。雪の降る音が室内にまで聴こえてくる。
魔物に関する書物と、奇病関係で調べてみよう。そう思って書庫の奥へと足を踏み入れ──不意に奥から話し声が聞こえてきた。
「──があれば、あとは──」
「ああ、助かる」
知っている声だった。
密会なのか書庫の奥まった場所でセドリック様の背中と、緋色の美しい髪の美女が話し合っているのが聞こえた。セドリック様とその美女との距離は近く、気を許しているのが分かる。
侍女という服装ではない。
髪の色と合わせた真紅のドレスに身を包んでおり、凛とした佇まいはセドリック様と並ぶと似合っていた。口元を緩めて微笑む姿が胸を抉る。
けれど不思議と涙は出てこなかった。
とても悲しかったのに、もう涙が枯れてしまったようだった。
(ああ。……そうか。長い、長い夢が醒めたよう)
それからどうやって書庫を出たのか覚えていない。
気づけば私は雪が降る外を歩いていた。
雪がだいぶ積もっており、踵まで雪が積もっていたがなんとか進むことはできた。
どこに向かっているのかも分からないけれど、城には戻れなかった。
どこまでが夢で、現実だったのだろう。
もしかしたら私がグラシェ国の生贄として門を通った時からずっと彷徨って──幸せな夢を見ていたのでは? その方がありえそうだった。
最初からおかしかったのだ。
私を歓迎するなんてありはしないのに。
フランが死んだときのショックで夢と現実がごっちゃになっていたのかもしれない。
きっとそうだ。
なんて愚かだったのだろう。あれほど信じないと警戒していたのに──。
絶望はしなかった。グラシェ国に来た時なら違っただろう。
セドリック様の隣は温かくて、優しくて、心地がよくて、私は愛されてもいいのだと……安心した。ここに居てもいいと、『役に立つ私』ではなく、『ただの私』を受け入れてくれた。
これが現実ではない──としても、悲しくはあるけれど、たとえ夢でも一時でも誰かに愛されていたかもしれない。そう思ったら胸が温かくなった。
(そうだ。夢だったとしても、それはとても素敵な、大事な時間だった)
とても温かくて、優しくて、愛おしい時間。
誰かに心から愛されて、慕われた。それだけで胸が熱くなる。
楽しい時間はいつか終わりがくるものだ。
悲しいことや、つらいことと同じくらいに終わりがくる。