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 気が付けば馬車の乱暴な運転に目が覚めた。
 舗装されていない道を通っているのか、かなり揺れる。

 窓の外を見る限り鬱蒼とした森の獣道を走っているようだ。暴走とも呼べるスピードだが、御者に声をかけても聞こえていない。
 ガタン、と大きな音がした途端、馬車は止まった。

「きゃっ」

 最後の揺れが思いのほか酷く、体中が軋むように痛い。
 呼吸も苦しくなってきたが耐えた。ノックも無しに馬車の扉を開いた。この国の騎士には礼節というものはないのだろうか。
「降りろ」と居丈高に命令する。馬車から下りる際も手を取るなど紳士的な素振りなど見せなかったが、すでに諦めていたのでどうでもよかった。

 降ろされたのは森の真ん中だったが、眼前には巨大な門があった。魔法によって創り出した門は全長三メートル以上で、漆黒の入り口はまさに地獄の入り口を彷彿とさせた。
 騎士たち数名は門に向かって叫ぶ。

「グラシェ国、竜魔王よ。聖女オリビアをお届けに参りました!」

 その言葉によって巨大な門が重々しい音を立てて開いた。
 騎士たちはその開いた先の光景を見て悲鳴を漏らす。無理もない門の向こう側は深い霧に包まれているだけで何も見通せないのだから。

 私と共に門を越えてエスコートするような忠義を持つ騎士は誰もいない。彼らが向ける視線は鋭く「さっさと中に入れ」と睨む。
 痛む足を引きずりながら門の中へと歩き出す。
 足場がしっかりしているものの、不安で押し潰されそうだ。

(フラン……)

 辛いときも悲しい時も傍に居て寄り添ってくれた。
 この三年間、記憶のない私にとってフランがいたから頑張れた。

(ああ、そうだ。竜魔王の生贄にされる時にダメ元で、フランと一緒に埋葬してくれないか頼めないかしら)

 どのくらい歩いただろう。
 真っ白な霧は消え、視界には巨大なドラゴンが現れた。

「!?」

 黒々とした黒竜は大きな口を開けて私を食い千切ろうとしている。逃げなければいけないのに、その場に縫い留められたように足が動かなかった。
 死ぬ。
 そう直感した。
 これで終わる──とどこかホッとしている自分がいた。

「フラン……」
「オリビア、そこを動かないで」

 声が聞こえた瞬間、魔物の黒い竜が真っ二つに裂けて鮮血が迸る。

「!」

 景色が一変し、豪華絢爛な城が突然姿を現した。
 しかも漆黒の甲冑に身を包んだ騎士に、真っ黒なメイド服、出迎えた青年は血塗れで白い毛皮付きコートが赤銅色に染まっている。
 魔物を斬ったのは眼前に立っていた青年だった。

 それだけで卒倒しそうだったが極めつけは、その青年の外見だ。捻じれた黒い角、尖った耳、精悍な顔立ちだが口を結んでおり、肩ほどの真っ青な髪に、紺藍色の瞳がジロリと私を見つめる。目が合った瞬間、気絶しなかった私を褒めてほしい。

「あ……っ」

 喉が詰まって声が出なかった。一瞬で彼が竜魔王だと察した。
 ここで挨拶をしなければ侮辱罪で殺されるかもしれない。
 いや、どのみち生贄になるのだから関係ないだろう。

「すまない。門を開けた瞬間、空間が歪み魔物を呼び寄せてしまったようだ。怪我は?」
「あ、その……いえ、大丈夫です」
「そっか。よかった」

 ふわっと微笑む姿に驚いてしまった。
 心から私を安堵しているようなその顔に、目が離せない。そんな風に私を案じてくれる人なんていなかったのに。

「し、……失礼ですがあなたは」
「私か……。私は現竜魔王代行を務めている。王弟セドリックだ」
(この方が……現竜魔王……代行? 王弟と言っていたけれど竜魔王様と呼べばいいのかしら?)
「……オリビア・ロイ・セイモア・クリフォード」
(ロイ・セイモア?)

 クリフォード家としてはあっているが、グラシェ国ではそう呼んでいたのだろうか。ほんの少し考えつつも「はい」と答えた。
 そもそも生贄に名前の確認が必要なのだろうか。そんなどうでもいいことが頭をぐるぐると巡った。たぶん、フランが居なくなってから亡国の復興もどうでもよくなってしまったのだ。
 僅かな沈黙。

(ああ……。フランとあの時に死んでしまえばよかった)

 気づけば涙が頬を伝って流れていた。
 それに気づいて竜魔王は僅かに困惑したような表情を見せる。

「竜魔王陛下、この身を捧げるにあたって一つ願ってもいいでしょうか」
「え、あ──ああ」
「私が死ぬときは、フランと一緒に埋葬していただけませんか」

 やけくそだった。
 何もできないまま死を迎えることが悔しくて、苦しくて、悲しい。
 けれどそれ以上にフランのいない毎日が考えられなかったのだ。瞼を閉じて、死を覚悟したのだが──。

()()()()。……ええ、もちろん。私の死は貴女と共に──」
「…………ん?」
「百三年、待った甲斐がありました。オリビア、グラシェ国一同、貴女を心から歓迎いたします。私のたった一人の花嫁、愛しています」
(はな……よめ? あ。この国では生贄なんて言葉を使わないのね)

 そう納得しかけた瞬間、わあ、と歓声が沸き起こった。
 拍手喝采。
 花火のようなものが打ち上がる音まで聞こえてくる。空を仰ぐと実際に花火が上がっていた。
 ついに幻聴に幻覚まで──。私はおかしくなってしまったのだろうか。

(え? な……?)

 百三年待った。
 心からの歓迎。
 この国の処刑はお祭りのようなものなのだろうか。
 怖くて目を開けることができなかった。そのうち立っていることも出来ず、体が傾いた。目を瞑り「倒れる」と痛みを覚悟したが、いつまで経っても痛みはない。