(いや全然大丈夫ではないのですが!?)
「私が居ない間、貴女に酷いことをしていた使用人は全員クビにしましたし、義両親、両親も半殺――貴女に危害を加えない、以後会わないなどの誓約書もかいています」
(色々筒抜け! 本物のストーカーでした! しかも制裁済み!)
セルジュ様が戦場に行ってから、私の扱いは『お飾りの妻』であり『商会の従業員』として馬車馬のように働かされる日々だった。
両親はセルジュ様からの贈り物を着服して、豪遊するための軍資金にした。
夜会ではセルジュ様の妻としての役割を求められ、陰口を叩かれる日々。
魑魅魍魎が跋扈するパーティー会場は、足の引っ張り合いに神経をすり減らしたし、商会を大きくするためにも参加は強制させられた。
お茶会もそうだ。
ニコニコと笑いながら心ない言葉を聞き続けて、好きでもない仕事に、罵詈雑言のダメ出しをする義実家。実家は金の無心の時にだけ姿を見せる。
「(だから戦争が終わってセルジュ様が戻ってくれば、状況が少しはよくなると思っていた。でも……この人には、私以外に好いている人がいる。その人の身分は高くない。だから私を正妻に留めて愛妾を得ようと考えたのね)……そうまでして侯爵家が必要ですか」
「レティシア?」
公衆の面前で叫んでやりたかったが、グッと堪えて背伸びをしてセルジュ様の耳元で囁く。
「女軍医が貴方の子供を身ごもっているのは、聞いています。英雄で、かつ将軍になられたのなら十分に地位と名誉を得られるでしょう。……いいですか、セルジュ様。これ以上、私を巻き込まないでください」
「──っ」
セルジュ様は私に合わせて少し屈んでくれた。
驚いていると言うよりは両手で顔を覆っているのだが、目元を染めて何故か嬉しそうだ。
(何故その反応!?)
「レティシア、耳元で囁くのは反則です……」
「人の話を聞いていましたか!?」
「私の名前を呼んでくれました」
「そこじゃない! その前です!」
幸せそうな顔が腹立たしい。
顔が良いと何でも許されるのだろうか。解せぬ。
「レティシア、耳元で私の名前を呼んでくれませんか?」
「いえ、そういう目的のために、耳元で告げたわけではないのですが!」
「……呼んでくれないのですか?」
あからさまにしょんぼりする姿に、罪悪感が突き刺さる。あざと過ぎるし、周囲の女性の視線が痛い。というか主旨が変わってきているし!
「呼んだら離縁してくれますか?」
「え、嫌です」
「さっきは良いと……」
「レティシアとは話してみて、一度でも離縁したら逃げられそうなので絶対に離縁はしません」
「私、愛妾は絶対に認めませんよ」
「ええ、もちろんです。私が愛しているのはレティシアだけなのですから」
(ダメだ。話が通じない。え、愛妾を設けない? 父親だと認知しないってこと? 屑過ぎる。英雄色を好むって言うけれど、そういう感じ? 見た目に反してエグいな。それとも思った以上に戦争の影響で拗らせてしまった?)
「レティシア」
「──っ!?」
ちゅっ、と頬にセルジュ様がキスをする。
考え事をしていたせいで近づいていたことに気付けなかった。
キャー、と黄色い声が上がる。
(ギャーー! 軽い言動が一々軽すぎる! 甘いマスクとグッとくる声、こんなんで迫られたら確かに落ちない女性はいないでしょうね! いや、私は落ちないけれど!)
何もかもが、こなれていて腹が立ってきた。
これ以上話をしても埒が明かない。
盛り上がっているところ申し訳ないが、時計の針は刻々と時間を刻んでいく。
(あーーーもう、列車の時刻まであまり時間はない)
中央広場にある時計にちらりと支線を向ける。
大分空が暗くなってきたが、時計の針は16時45分を指していた。
(よかった、まだ間に合う)
「17時5分のローズシティ駅行きの魔導特急列車に乗ってどこに?」
(だからなんで知っているの! もう怖いんだけれど!)
動向を探られていたのかと思い、ゾッとしてしまう。ここ一年ぐらいは、まったく興味も示さなかったし、手紙だって一度も返事はなかった。
それはちょうど、セルジュ様が将軍となって戦場で活躍した噂が流れた頃で、手紙を返す暇もないほど忙しいのだと思っていたのだ。
贈り物に手紙もない。
恐らく代理の人が用意したのだろう。結局それらも私の手元に届いたことはない。だから向こうも私の離婚話にさして興味も示さないと思っていたのに……。
「(どうして今さら……)セルジュ様には関係ないことです」
「レティシア」
どうしてセルジュ様のほうが泣きそうな顔をするのだろう。
泣きたいのはこっちだ。
散々義両親と両親に振り回されたのだから、いい加減にしてほしい。
「……すみませんが、急ぎますので失礼します」
「レティシア。……分かりました。この場は引きましょう。……ですが、話す機会を貰えませんか?」
「(今を乗り切ってしまえば、どうとでもなる)……ええ、お約束しますわ」
「よかった」
セルジュ様が手を離してくれたので、少しだけホッとした。酷いことを言ってしまったが、一礼だけしてその場を離れる。
絶対に振り返らない。
私には未練はないのだと言動で示さなければ、セルジュ様は追いかけてくるかもしれないのだ。後ろ髪引かれる気持ちもなくはない。
夫がどんな人なのか興味を持ちたくなかったから、姿見などは見ないようにしていた。
それがこんな事になるなんて、想定外だ。
(あんなに綺麗な人が夫だったなんて……。そりゃあ、社交界やお茶会で嫉妬されるわけだわ。セルジュ様が将軍になって噂が王都に入ってきてからは、令嬢や夫人たちの陰湿さも増したもの)
深緑色のもっさりとした髪に、黒檀のような瞳。背丈も低いし容姿も地味な私では不釣り合いだと言うのは尤もだ。髪や肌、ドレスに気を遣う時間はなかった。
つくづく自分は貴族らしい生き方が向いていないのだろう。
(ローズシティから乗り換えて、セレニテ魔法都市で私は新しい生活を始める。セルジュ様もこんな地味な私よりももっと素敵な人と出会うだろうし、そのうちきっと忘れてしまうわ)
ほんのちょっぴりの後悔はあったが、私は振り向かなかった。