私、杠葉(ゆずりは)雨音(あまね)はその夜、悪夢を見た。

「よぉ、起きたか?」

「貴方は誰ですか?」

目の前にいる人物は私が起きるや否や、声をかけてきた。彼には黒い翼が生えていて、背中には鎌を背負っていた。あきらかに人間ではないことはたしかだ。

「オレ様は死神。見てわからないか?」

「死神が私になんの用ですか?」

人間の前に死神が現れる理由はその人の寿命が近いから。だが、私は至って健康だ。今まで重い病気になったことはないし、風邪だってほとんど引かない。そんな私に余命宣告?

「オレ様はお前に一目惚れした!」

「え?」

「魔界からお前のことを見た日、電撃が走ったみたいにビビッと来たんだ」

「はぁ……」

あまりにも唐突すぎて、頭の理解が追いつかない。私はこの死神を見たことがないし、ましてや名前すらも知らない。そんな相手から告白?人間なら百歩譲って考えたかもしれない。けれど、相手は人間どころか人間の敵じゃないか。

「それで私に何をしろと?」

「察しが悪い奴だな。オレ様が直々に会いに来てやったというのに」

「……」

夢の中まで入ってくるなんて迷惑な死神だ。出来ることなら早く現実に返してほしい。

「オレ様と付き合え!」 

「む、無理です」

「何故だ!?」

「貴方に興味がないからです」

「もう少しオブラートに断れないか」

「期待を持たせるのも可哀想ですし、なにより私が死神にいいイメージを持っていないので」

はっきりいえば、そのまま去ってくれると思った。しかし、それが間違いだった。やはり相手は死神。一筋縄じゃいかない。

「オレ様は傷ついた!もういい。お前の寿命を奪ってやるっ!」

「っ……!」 

鎌を振り下ろされた。恐怖のあまり、その場に座り込んでしまった。数分経っても痛みを感じなかったので目を開けると……。

「お前は1ヶ月後に死ぬ!これは脅しでも嘘でもないからな」

「なっ」 

「オレ様をフッたことを後悔しやがれ!誰かにこのことを言ったら数分で死ぬ。また会いにきてやるから覚悟してろ」

「ちょっ……まっ……!」

私は死神に手を伸ばすも、死神を捕まえることは出来なかった。

「……!」

最悪の目覚めだ。死神に一目惚れされ、告白を断ったら寿命を奪われた。

私は1ヶ月後に死ぬ……?そんな勝手が許されていいものなのか。だが、鎌を振り下ろされたとき、私は見たんだ。数字のようなものが鎌に吸い込まれていくのを。おそらくあれが私の本来の寿命だろう。

悠長にしてる場合じゃない。先に死ぬとわかっているなら、私は今すぐしなければならないことがある。私にはわずかな時間しか残されていないのだから。今日、私は長年好きだった相手に告白をする。話はまずそれからだ。

◇  ◇  ◇

「蒼羽。今日のお昼休みに話があるの」

「昼休みは用事もないから平気だが、突然どうした?」

「どうしても蒼羽に伝えなきゃいけないことがあって……」

「そうか。なら、昼休みに屋上で待ってる」

「うん」

朝の登校中、私は蒼羽とそんな話をした。いきなりでごめんね。でも、私には時間がないんだ……。

夢咲蒼羽(ゆめざき あおば)。サラサラの短髪黒髪に吸い込まれそうなほど綺麗な茶色がかった黒目。蒼羽は私と同じクラスで隣の席だ。そして、昔からの幼なじみで私の好きな人。

お互いに言葉にしなくても、相手の言いたいことは大体わかるくらい仲良しだ。まわりからはバカップルなんてウワサされているくらい、私たちは行動を共にしている。だけど、実のところ私と蒼羽は付き合っていない。

私は蒼羽のことが好きだけど、蒼羽が私のことをどう思っているかわからなくて、今の今まで黙っていた。もし、幼なじみの関係が壊れてしまったら?なんて考えていたら、気持ちを伝えるのを躊躇していた。蒼羽の考えていることは察してきたつもり。けれど、蒼羽の本心だけは海の底よりも深く、私には到底理解できない。

だから私が告白して、蒼羽が「俺も好きだった」なんて、都合のいい結末が待ってるとは思わない。そんなことを考えながら聞いていた授業は当然のように耳には入ってこなくて。

蒼羽、驚くかな?私が蒼羽のことを好きだったってこと。それとも、もう気付いてる?それでいて知らないフリをしている?不安は雪のように積もるばかりで、私の心はちっとも晴れない。

「ずっと前から蒼羽のことが好きでしたっ……!」

なんて、少女漫画では何回も聞いたであろうテンプレセリフを私は蒼羽に向けて言い放った。幸い、屋上には私と蒼羽の二人だけ。

いつもは女子で賑わう屋上なのに今日に限って人がいないのは、私が告白することを察してなのか。はたまた神さまからの応援か。昨晩、死神をこの目で見た私だからこそ、神さまの存在ですら今なら容易く信じてしまいそうになる。

「そう、か」

「蒼羽?」

心臓が破裂するほど緊張した告白。上手くいくかな?ちゃんと伝わってるかな?と蒼羽の顔を見ると、すぐさま視線をそらされてしまった。そのとき、私は全てを察した。あぁ、この告白は上手くいかないだろう、って。

「ごめん雨音。俺、雨音のこと幼なじみとしてしか見てなくて。出来ればこれからも幼なじみとしてやっていけないか?」

「……」

ほら、やっぱり……。ショックのあまり逃げ出しそうになる。けれど、ちゃんと答えなきゃ。蒼羽に申し訳ない。悲しくて泣き出しそうになる私は自分の感情を押し殺し、蒼羽にこう言った。

「わかった。明日からも幼なじみとして、よろしくね」

そういって手を差し出した。これすらも拒絶されたら私は蒼羽から距離を置こうと思う。

「あぁ、よろしくな。勇気を出して告白してくれてありがとな」

久しぶりに触れた蒼羽の手。いつの間にか、こんなにも男の人になっていたんだね。

「どういたしまして」

振られても尚、蒼羽のことを嫌いになれないのは何故だろう。考えた結果、いつも一つの答えにたどり着くんだ。蒼羽は優しい。だって今だって、私の告白を無かったことにはしなかった。ちゃんと向き合って、しまいにはお礼まで言ってくれた。

そうだよ。勇気出したんだよ。恥ずかしかったよ。その気持ちが蒼羽に伝わっただけでも、私の告白が少し報われた気がした。

◇  ◇  ◇

その日の夜。私は部屋で一人、泣いていた。蒼羽は優しいから、私が泣きだしたら「好きになれるように頑張るから」って言い出すだろう。

情で好きになってほしくなかった。これは私の譲れないプライド。わかってたけど、やっぱり振られると悲しいな。明日から、どんなテンションで話しかければいいの?それとも諦めるにはまだ早い?

死ぬまでに今よりももっと蒼羽に私のことを好きになってほしい。異性として意識しなくていい。今よりほんの少し、幼なじみとして世界一大事だって思ってくれるだけでいい。私って強欲?そんなことないよね。誰だって一度は思うこと。好きな人に振り向いてほしいって。

「所詮アオバにとって、お前は幼なじみ以上の価値はないってことだ。振られたことだし、オレ様と付き合え!」

「なっ……」

忘れたくても忘れられない声がすると思って後ろを振り向いたら、そこには昨日の夜夢の中に出てきた死神がいた。頬を引っ張ると痛い。夢なら覚めてほしいと願うも、これは現実だ。なんて悪夢だろう。

「どこから私たちの会話を聞いてたの?」

「ずっと隣で見ていた。お前が死ぬまで側を離れるつもりはない」

「そんな……」

こんなの、疫病神じゃないか。

「本当は一日中行動を共にしたいところだが、昼間は死神の仕事があるからな。寂しい思いをさせるかもしれないが我慢してくれよ」

「……」

どこから、こんな自信が湧いてくるんだろう。いつ私が寂しいと言ったの?

「私、諦めたつもりはないから」

「は?」

「一度、蒼羽に振られたくらいで諦めるほど、軽い恋はしてない。これは本気も本気。どうせ死ぬ日が決まっているなら、最後まで足掻いてみせる」

「ふん」

私の覚悟が気に食わなかったのか、鼻で笑われた。一目惚れした相手が違う人を想って行動するのなら尚更、不快でたまらないだろう。それとも喧嘩を売っているつもりなのか。死神は『本気の恋とやらを見せてみろ』と言わんばかりに上から目線の言葉を言い放って、どこかへと飛び立っていった。

このまま現れないほうが私の恋路の邪魔もされないのだが、きっと明日も死神は私の前に訪れるに違いない。これは女の勘ってやつだ。明日からも蒼羽と話そう。

振られたからって、下を俯くのは駄目だ。タイムリミットまで猶予はある。だったら、それまで私に出来ることをしよう。こんなことで諦めるなんて私らしくない。『よしっ!』と頬を叩き、気合いを入れ直した私はそのままベッドへとダイブし、夢の中へと意識を手放した。

◇ ◇ ◇

ジリジリと蝉の鳴き声が聞こえる。クーラーをガンガン効かせたはずなのに、蒸し暑い。私はパジャマをパタパタし、涼しい風を少しでも取り込もうとしていた。

「夏休み、か……」

気付けば期末テストが終わり、夏休みに入って数日が経った。私は夏の暑さにやられながら目を覚ました。あれから、蒼羽とは幼なじみの関係を続けていた。学校では普段通り教室まで向かい、昼食は毎日一緒に食べた。

何気ない日常の中に入り込んでくる闇は二つ。それは刻一刻と迫り来る私の寿命。最近では、息切れや上手く言葉が出ない日があった。私は一体どんな死に方をするんだろう?それを考えるだけで『死』というワードが頭から離れない。そして、もう一つの闇は……。

「おい雨音。菓子がなくなった!これと同じもんはもうないのか?」

「次にスーパーに寄ることがあったら買ってくるから」

「頼んだ」

「……」

私の生活は死神に侵食されつつある。ちなみに死神はアイルという名前らしい。出会った頃はアイルを家に上げるつもりはなかった。けれど、気分が変わってタイムリミットを縮められたり、突然殺されたりしたら嫌だという考えが浮かび、やむなくアイルを部屋に置くことにした。

どうせ私にしか見えないのだから、置いておく分には何も問題はないだろう。ただ、やたら私のプライベートに口出ししてくる。本音を言えば、今すぐにでもやめてほしい。

ピーピーとスマホから音がなった。電話がかかってきたので名前を確認すると、そこには『蒼羽』とあって、私はすかさず電話に出た。

「も、もしもし、蒼羽?」

「雨音。今日空いてる?良かったらこれからプールでも行かね?」

「行きたい。蒼羽とプールっ!」

浮かれてるのが声でバレてしまっただろうか。好きな人と夏休みに会えるだけで十分嬉しい。しかも夏の思い出も一緒に作れるなんて、今なら翼がなくても空が飛べそうな気がする。

「どうせ幼なじみとして都合いいんだろ?なんだ?ビキニでも着て誘惑でもするのか?」

「うるさい」

私にしか聞こえない声、というのも厄介なものだ。

「雨音?」

「なんでもないの。気にしないで」

「そうか?なら、準備が出来たら俺の家に来てくれるか?」

「うん、わかった」

そういって電話の通話が切れたと同時にスマホをアイルめがけて投げつけた。

「うぉっ!危ねぇな」

「アイルのせいで、蒼羽に変な子だと思われたじゃない!」

「アオバにその程度で嫌われるなら、やっぱ幼なじみからレベルアップするのは当分難しいなぁ〜」

「余計なお世話」

「んで、どんな水着着るんだ?」

「アイルに見せるつもりはないから」

私は気持ち悪いほどの笑みを浮かべているアイルを横目にプールに持っていく荷物をバックにつめこんでいた。

「減るもんでもないし、いいだろ。それにほら。オレ様はお前のことが好きなんだし。好きな人の水着を見たいのはお前もわかるだろ?」

「はいはい。それよりいいの?死神のお仕事」

昼間は死神に依頼があるとかで日中はいないことが多い。自分の寿命を奪った相手に遅刻しないように促すのは私もどうかしている。でも多少の優しさを見せないと、アイルの気が変わるかもだし。

死神なんて嘘をついてなんぼの生き物なんだから……。私はアイルを心の底から信用したつもりはない。お互いの利害が一致したから、今は一時的に私の部屋を貸してるだけ。

「あっ、いっけね!オレ様が帰って来たら見せろよ〜」

「だから見せるつもりはないって」

翼をバタバタさせて、仕事場へと向かうアイル。心なしか嬉しそうだ。そんなに私の水着が見たかったのか。好きな人の水着が見たいのかどうか。それだけはアイルの意見に同意せざえるおえないのが、微妙にイラつくのは何故だろう。

◇ ◇ ◇

「お待たせ蒼羽。遅くなってごめんね」

「そんなに待ってないから大丈夫だ。それよりもその服、可愛いな」

「あ、ありがと……」

水着にばかり気を取られて、私服を疎かにするところだった。家を出るギリギリのとこで可愛いのに着替えて正解だった。蒼羽に可愛いと褒められ嬉しい反面、それは幼なじみとして言っているのか。それとも特に深い意味はないのか、どっちなんだろう?

「近くの市民プールの半額チケットを友達に貰ってさ〜。せっかくなら雨音と行きたいなって」

そう、この言葉にも深い意味などない。夏休みに時間を持て余してる私に気を遣って誘ってくれたに違いない。だから、ここは変な期待など持たず普通にいよう。そもそも以前の告白の時に『幼なじみとしてしか見ていない』と、はっきり言われているんだし。

「あ、残りのチケット代に関しては俺が雨音の分も出すから気にすんな」

「それは悪いよ」

「俺から誘ったんだし、雨音の貴重な時間を俺が貰うんだから奢るのは当然だ」

「っ……」

変な期待を持たないと今さっき決めたばかりなのに、こんなこと言われたら蒼羽をもっと好きになってしまうじゃないか。天然というものは時に人を傷付けてしまう。罪な人という言葉は蒼羽のために存在してるかのようだ。

「つーか、ここ二〜三日で暑くなったよなぁ。熱中症対策に冷たい飲み物カバンに入れとけ。ほら」

「ありがとう」

なにからなにまでいたれつくせりだ。まるで蒼羽の恋人にでもなった気分。幼なじみである私にこの対応なんだから、恋人にはもっと優しいだろうな。私以外の女の子……考えたくはないが、蒼羽が私を好きじゃない以上、いつかは蒼羽にもそう遠くない未来に彼女が出来る。

私はそれを目の当たりにして普通でいられるだろうか。泣き喚いてその後にヤケ食いもしくはショックから立ち直れず学校が始まっても不登校になるのか。

私の願いは蒼羽に恋人が出来ないことなのだが、それはそれで蒼羽が一生独り身になってしまう。私がいつまでも隣にいられたら、それが一番いいのだけど、そういうわけにもいかない。

私は『ただの幼なじみ』として、蒼羽の前から消えていなくなる。ねぇ、蒼羽。私、次に学校が再開する頃にはこの世にはいないかもしれないんだ……。私は蒼羽に届かない言葉をそっと胸の中に閉じ込めた。

◇ ◇ ◇

「ど、どうかな?」

プールの入り口で待ち合わせすることになり、私は水着に着替えるや否や、蒼羽の元に駆け寄った。ビキニはさすがに恥ずかしくてやめて、真ん中に大きなピンク色のリボンがついてるワンピース型の可愛い水着にした。

今どきの高校生ならビキニくらい普通なのだろうか。私には着る勇気がないのと、咄嗟に誘いを受けたので手持ちになかった。

「雨音らしい水着で似合ってるぞ」

「そう?ありがとう」

私らしい、とはどういう意味だろう。子供っぽいってこと、かな?話の腰を折るのも申し訳なくて、それ以上聞くのはやめた。

「雨音、飯食ってきたか?」

「目が覚めたら蒼羽から電話がかかってきたからまだだよ」

「なら、先に飯にするか。プールで食べる飯っていつも家で食べてるのと同じなはずなのに何故か美味いよなー」

「それ、わかるかも」

「だよな」

プール効果というやつなのだろうか。それとも好きな人と一緒に食べるご飯は魔法がかかっていて美味しい、とか。なんてメルヘンチックなことを頭の隅で考えながら、私たちは食べるものを選んでいた。

「う〜ん、どれにしよう」

正直迷う。意外と優柔不断な性格なんだよね。こういうのがサッと決められるとなんだかカッコいいって思う。こんなことでカッコいい?と思われるかもしれないが、私からしたら凄いことなんだ。

「せっかく二人で来てるなら別々の物を頼んで半分こしないか?」

「それもいいね」

蒼羽、スマートに決めてカッコいいなぁ……と横目で見ていた。前言撤回。好きな人がする行動だからこそカッコいいと思うのかもしれない。イケメンならなんでも許されるって言葉、今なら理解出来る。

「雨音、何食おうか迷ってるんだろ?だったら俺が適当に選んでもいいか?」

「そうしてくれると助かる」

「わかった」

私がメニューを見ながら口を開けっ放しにしていたから気付かれたのかもしれない。私は迷ってるとき、どうやら口がお留守になってるみたいで、初めて蒼羽に指摘されたときは恥ずかしかったな。それも今ではいい思い出だ。

「なら、焼きそばとホットドッグと唐揚げとかき氷のブルーハワイで」

店員さんに注文し、私たちは席に座って待つことにした。番号が書いてあるリモコンの音がなれば自分で取りに行くスタイルだ。

「嫌いなもんはなかったよな」

「うん、大丈夫」

それどころか好きなものばかり。テキトーに頼んだというわりには私の好物を把握してるとしか思えないラインナップ。こういうさりげない気遣いをされると、また好きになってしまう。蒼羽は私が死ぬ前に心臓を止める気なんじゃないか。

「腹いっぱいになったし、さっそく泳ぐか」

「そうだね」

どれも凄く美味しくて思ったよりもがっついてしまった。お腹、出てないよね?と自身の水着を確認するもそこまで気にならなかった。

「雨音は昔から泳ぐのが好きだったよな。最初知ったときは意外すぎて驚かされたっけ」

「意外って?」

「見た目は清楚な感じなのに、意外とアクティブだな〜って」

「嫌いになった?」

我ながら、この質問はズルい。幼なじみとして嫌われたら、明日からどんな顔をして話せばいいかわからない。幼なじみとしての立場さえ危うくなったら、さすがの私もメンタルが無事では済まないだろう。

「そんなことで嫌いになるわけないだろ。俺はむしろ雨音の全部が知りたいって思ってるぞ」

「そ、そっか」

曖昧な返事しか出来なかったけど、内心喜んでる私がいた。異性としてじゃないとわかっていても、今はその言葉に縋りついてしまう。期待していたセリフよりも更に私のテンションを上げてくるようなことを言ってくるのだから、蒼羽は本当に罪な男だ。

私だって蒼羽になら全てを話したいし、知ってもらいたい。好きな人に嘘をつくことは私の良心が痛む。けれど、アイルに寿命を奪われ余命があと僅かである事を話せば私は死ぬ。そんなのは嫌だ。でも、1ヶ月後に命を落とす現実だって受け入れられない。

もうあれから2週間は経ったから、あと半分。楽しい時間はあっという間に過ぎて、その思い出に浸ることさえ心地良い時間だと感じていたのに、今では時間が止まってしまえばいいと何度思ったことか。いっそのこと世界が滅亡すればいいのに……なんて、物騒なことを一瞬でも考えてしまった私は悪い子だ。私が死んでも世界はいつも通り。

蒼羽は私が死んだら、泣いてくれるだろうか。もしも涙の一粒でも流さず、忘れ去られてしまったら悲しいな。

「なんだか空気が重い、な。気分転換に早く泳ごう。今日はプールに来てるんだし、せっかくなら思い出作って帰ろうぜ」

「うん」

手を引いてプールのほうに先導してくれる蒼羽。一瞬で察してくれる蒼羽はやっぱり私のことを理解してくれてる。そうだよね、せっかく好きな人とプールに来てるんだもん。なら全力で楽しまないと損だよね。私には嫌でも余命が付きまとっているんだから。

「……っ」

「雨音、どうした?」

「なんでも、ない」

「?」

水に入った途端、足に違和感を感じた。人の足でも踏んだのかな?ううん。それよりも、もっと変な感じ。

「泳げない……」

「え?」

「私、泳ぎ方を忘れちゃったみたい」

「そんなことってあるのか?」

「……」

両手を前に伸ばしてみても、バタ足をしてみても、どうにも泳げる気がしない。身体が水を拒否しているみたいに一向に進まないのだ。唯一出来ることと言ったら浮くことくらい。それ以外はどれだけ動いても泳げなかった。

なにかがおかしい。この前のプールの授業ではクラス内で泳ぐのが速いほうだったのに。なのに、どうして?……考えた末、一つの答えにたどり着いた。以前のプールでは、私はまだアイルと出会っていない。これは、もしかしたら私の余命と関係あるのかもしれない。

日々、疲弊する身体。突然泳げなくなっても不思議じゃない。またひとつ、奪われてしまった。泳ぐこと。大好きだったプールで自由に泳ぐことすら出来ないのか。
その瞬間、アイルの顔が頭の隅に浮かび、ふつふつとした怒りが込み上げてきた。まだ確信はない。けれど、そうとしか考えられない。

アイルが仕事から帰ってきたら聞いてみよう。本人から聞いてもいないのに決めつけるのはよくないし。

「ごめん。私、帰るね……」

「ちょ、雨音!?」

「蒼羽、今日は誘ってくれてありがとう。凄く楽しい時間だったよ」

私はプールから上がり、振り返ることなく走った。ごめんね、蒼羽。これ以上一緒にプールにいたら泣いてしまいそうになるから。蒼羽との思い出は楽しいものにしたいから。

「雨音。楽しいならなんで……。なんで帰るんだよ!」

「っ……」

蒼羽の叫びは届いていた。切なくて悲しくて。でも私を心配してるような、そんな声色。ズルいよ、蒼羽。私はただの幼なじみなのに。そんな必死に引き止められたら、勘違いしちゃうよ。けど、私は蒼羽の言葉を無視するかのようにその場を去った。

◇ ◇ ◇

「あまね〜、今日は楽しかった?オレ様も仕事頑張ったし、水着くらい見せてくれても……」

「出て行って」

「は?」

「アイルの馬鹿。どうして黙ってたの?」

「急になんだよ」 

「プールに行ったら泳げなかった。水が私を拒否してみたいだった。泳ぐの、好きだったのに」
 
「……」

アイルは死神だ。それを忘れてはいけない。理不尽に奪われた寿命。最初から仲良く出来るわけなかったのに。どうして私はアイルを部屋に置いてしまったのだろう。

何故、気を許してしまったのか。初めから追い出していれば、こんなことにはならなかったのに。アイルに八つ当たりせず、一人で病んで泣いて解決出来たかもしれないのに。

「余命が近付くにつれて身体が動けなくなるのは当然だ。プールで泳げないどころか、最後は何も出来なくなるさ」

「それをわかってるなら、どうしてプールに行こうとする私を止めなかったの?」

「せっかくアオバに誘われてるのに断るほうが感じ悪いし。それにお前がオレ様を振らなければ、こんなことにはなっていなかった」

「そんなの……」

防ぎようがない。夢の中に勝手に現れて、一目惚れされて告白を断ったら、いきなり寿命を吸い取られて。人間の私が死神に太刀打ちできるわけがない。私は無力な女の子で特別な力は何一つない。

「悪かったとは思ってる。でも今更寿命を返すことは出来ない。死神は寿命を元に戻す能力を持っていない」

「……」

本当に申し訳なさそうな顔で謝ってくるアイル。けれど、私の怒りは謝罪くらいじゃおさまることはなく、むしろ火に油を注ぐ勢いで私のイライラは頂点に達していた。

「謝るくらいなら私の寿命を奪わないで。ねぇお願いだから返してよ私の寿命。もうすぐ私は蒼羽の前から消えてしまうの……。私、死ぬのは本当は怖いのよ」 

「っ……」

弱音を見せる相手を間違えただろうか。気付けば私は八つ当たりどころか、アイルに弱さを見せていた。

私は初めてアイルに死を恐れていることを話した。健康な身体で風邪も引かず、身体が不自由と感じたことがない日々。私はもう少し感謝すべきだったんだ。

生まれつき身体が弱い人もいる。生まれてからすぐに命の灯しが消える人もいる。その中で私は今まで何事もなく生きてきた。死が間近に迫り、身体のパーツが一つずつ自由に動かなくなって、やっとわかった。死ぬことはどんなものより恐怖だ。心臓が止まれば生命の維持は難しくなる。私は死ぬことが怖い。

今は世界中の誰よりも生きたいと願っている。叶うことなら、アイルと出会う前に戻りたい。でも進んだ時間は戻せない。だから私たちは一秒一秒大切に生きなきゃならない。

「出かけてくる」

「夜風は身体に悪いぞ」

「一人になりたいの。邪魔しないで」

「わかった」

「行ってきます」

きっと一人で考える時間が出来ればアイルのことを許せるかもしれない。今のは私が完全に悪い。言いすぎてしまったし、反省もしている。でも今は自分の感情をコントロール出来ていないから謝るのは後にしよう。 

◇ ◇ ◇

―――バッシャーン。

夜の学校。私は学校にあるプールの中に勢いよく飛び込んだ。普段なら先生に怒られるところだが、警備員さんに無理を言って、特別に入らせてもらった。去年までは水泳部だったこともあり一人でも大丈夫だと判断されたからだ。とはいっても短時間だけ。時間になれば警備員さんが呼びに来てくれる。

「やっぱり泳げない、よね……」

私は蒼羽とお昼にプールに行った時に泳げなかったことが実は嘘なんじゃないかと思い、こうして本当に泳げなくなったのか確かめていた。

もちろん、そんな確認をしなくてもわかっていた。ただ思い込んでいたかったのだ。そうすることで少しでも辛い現実から目を背けようとしたかったから。

「まだ泳げないと決まったわけじゃない!」

また諦めるところだった。まだ始めたばかりじゃないか。思い出せ。泳げなかった小さな私を。昔はお風呂の水ですら怖かった。
というのも家族で川に遊びに行ったとき、お母さんに危ないから駄目だと注意されたにも関わらず大きな岩に登りそこで足をブラブラさせながら景色を見ていた。すると案の定滑って、そのまま川に転落。川は足が軽く入るくらいの浅瀬だったので、幸い怪我はなかった。

だが、それがキッカケで水に恐怖を感じ、お風呂に入るのも怖いし、プールや海は極力入ることを避けた。けれど蒼羽とプールに行くようになり泳ぐことが楽しいと知り、水泳部に入るほど泳ぐことが好きになった。そういえば、そんなこともあったっけ。

私が再び泳げるようになったのも蒼羽のお陰、か。やっぱり蒼羽は凄いな。私にとってヒーローのような存在だ。

出来ないことを出来る私になってみせる。まだ身体は動くんだから。そう決意した私は何度も何度も泳いだ。その度に水から拒絶された。しまいには誰かの邪魔が入ったのかと疑いたくなるほど足が動けなくて。

私はもう泳ぐことは出来ないのかな?頑張っても、どんなに努力しても叶わないことってあるの?心のメンタルが崩れそうになったその時、遠くから『雨音!』と私を呼ぶ声がした。

「いくら夏だからって夜のプールに一人で入るとかどう考えても危険すぎる!怪我はないか?」

「蒼羽、どうしてここに?」

いるはずもない蒼羽が私の目の前にいる。昼に私は蒼羽と気まずい空気になって、そのまま何も言わず家に帰ったのに。

「昼にプールに行った時、お前の様子が途中からおかしかったから。お前の親に聞いたら学校のプールで泳いでくるとか訳の分からないことを言ってるって。最初は俺も冗談かと思ったが、まさか本当に泳いでるなんてな」

「泳げてないの。これのどこが泳げてるっていうの?」

蒼羽を傷付けるつもりなんてないのに……。自由に泳げないイライラからか、私は蒼羽に八つ当たりしていた。

「泳げてる。少なくとも俺にはそう見える」

「っ……」

蒼羽は、からかったり冗談で人を傷つける人じゃないことは私が一番よくわかってる。

「辛い時には俺に相談しろ。今はただこうして抱きしめるしか出来なくてごめんな」

「ううん、大丈夫」

これだけで十分伝わってる。蒼羽の優しさ。

本当のことが言えたらどれだけ楽だろう?蒼羽はお人好しだから、代われるなら俺が代わりになんて言うだろう。でも駄目だよ。蒼羽は私のことを好きじゃないんだから。ただの幼なじみにその役目は重すぎる。

もし蒼羽が私と同じ立場なら、私は間違いなく死神に懇願しただろう。私の命を代償に蒼羽を助けてくださいって。私は蒼羽の優しさに甘えてしまっていた。幼なじみとしての立場を利用してしまっている。こんなことが許されていいのだろうか。アイルは遠くから私たちのことを見守っていた。

◇ ◇ ◇

今日は夏祭り。私にとっては最後の祭りだ。あらから蒼羽とは会っていない。連絡は取り合っているが遊ぶ予定までは立てていなくて。私から誘えば早いのだが、私の身体は限界を迎えつつあった。そんな私は夏祭りに一人で行くことにした。浴衣を着て雰囲気だけでも楽しもうという作戦だ。どうせ浴衣を着るのも最後になるんだし。

「あれは蒼羽……!?」

蒼羽の姿を見かけたので声をかけようと近付こうと走ったが、衝撃の光景を見て思わず足が止まった。蒼羽が知らない女の子と腕を組んで歩いている。あんなの見せられちゃ諦めるしかない、よね。

私は蒼羽のいるほうとは逆方向に走った。その場から逃げるように。なにを勘違いしていたのだろう?私のことを幼なじみとして見ていると言われた時点で何故気付かなかったのか。蒼羽には付き合っている人がいる。だから私にも優しかったんだ。女の子の扱いになれているから。私の知らないところで蒼羽が大人になっていく。私だけが取り残され子供のままだ。

最後まで諦めずに頑張ろうって思ったけど、これはもう無理だ。蒼羽とは幼なじみでいよう。そう覚悟を決めた。この気持ちは死ぬまで心の中に留めよう。もうじき私は死ぬ。さようなら蒼羽。今まで楽しかった。蒼羽に届かないとわかっていても自然と口から出てしまった。

蒼羽ともうすぐお別れ。最後にいい思い出が作れたんだから、私は幸せ者だよ。

◇ ◇ ◇

完全に動かなくなってしまった私は自室のベッドで横になっていた。私は明日死ぬ。

1ヶ月、あっという間だったな。結局、蒼羽とは最後まで幼なじみのまま。だけど後悔はしていない。最後まで諦めずに頑張ったけど、蒼羽がそれを望んでいたんだから。それなら私は蒼羽の意見を尊重する。想いが通じなくてもいい。恋人にならなくてもいい。

私はただの幼なじみとして蒼羽の前からいなくなる。それでいいんだ。幼なじみとして大事だと言われたから、それで満足。でも来世では恋人になりたいな。

私、頑張ったよね。……私、頑張ったんだよ。蒼羽は気付いていないかもしれないけど。途切れる意識の中で私はアイルに話しかけた。

「アイル。私、今でも死ぬのが怖い。だけど、こうして余命宣告を受けたからこそ蒼羽に気持ちが伝えられたと思うの。ありがとね」

「お礼なんか言われる筋合いねぇし」

まだ気にしてるんだ。私もアイルのことを完全に許したわけじゃない。だってアイルと出会わなければ、こんな残酷な未来はなかったんだから。でも死ぬ前に喧嘩をして死ぬよりも感謝の気持ちを言って、生を終えたいの。

そのほうがお互いに気持ち良く明日を迎えられるかな?って。私に明日は来ないけど。

「私もアイルみたいに死神になれたらさ、明日からも生きていけるのかな?」

「やめとけ」

「どうして?私のことが好きなら、そのほうが嬉しいでしょ?」 

おかしなことを言ってアイルを困らせているのは自分でもわかっていた。そんなことをしても私は蒼羽のことが未だに好きってことはアイルが知っているから。そんな状態の私と一緒にいても嬉しくはないのだろう。

「死神は普通に死んだヤツがなれるわけじゃない」

「なら、どうやったらなれるの?」

「……」

いつもなら質問すれば大抵のことは答えてくれたアイルが黙り込む。よっぽど答えにくいのだろう。

「死神は自ら命を絶ったものがなるんだよ。お前は最後まで生きることを諦めちゃいない。そんなヤツが死神になるなんて百万年早い」

「そっか」

なら、アイルも自ら命を絶ったの?どういう理由があって?それほど現実が辛かったの?

「お前が考えてるほど辛くはねぇさ。オレ様たちは死神になったら人間だった記憶を全て失うんだ。そうしないと死神の仕事なんか出来ない」

過去の記憶が邪魔をする……。そうだよね。死神になる前は私と同じ人間だったとしたら、寿命が近い人間を迎えに行くなんて無理だ。きっと情を持って命を狩るのを躊躇ってしまうかも。そんなことをすれば死神の仕事を放棄してしまう。それは死神ではなくとも駄目なことだとわかる。

「死神じゃなくなったらアイルは消えてしまうの?」

「そうだな。姿は消え、魂のまま地上をさ迷うことになるかもな。それを最初から知らされていたら、死神の仕事なんか頼まれてないさ。だから実際どうなるかなんて、オレ様にもわかんねぇ」

「そうなんだ……。なら、私には無理だね」

「そうだ。お前は一生かかっても立派な死神になんかなれねぇ」

死神になれば蒼羽が死ぬ前にお迎えに来ることが出来るかな?なんて考えを過ぎった私をどうか許してほしい。
どんな姿になっても、蒼羽の側にいようとする執着心。そろそろいい加減卒業すべきかもしれない。ここまで粘着質だと蒼羽に嫌われてしまうかも。

私ってば駄目だな。死ぬ前ですら蒼羽のことを考えるなんて。だって蒼羽のことが好きなんだもん。誰よりも大切で誰よりも大事で、この世で一番愛してる人。もう会えなくなってしまうのか。寂しい、な。

私は明日、天国に行くのかな?それとも地獄?どちらにしろ死んだあとのことなんて今となってはどうでもいいか。でも叶うことなら天国がいいな。そしたら蒼羽が死ぬ時に三途の川の先で待っていられるから。気が早すぎるね。それこそ『俺はまだ死なない』って、蒼羽に怒られちゃう。

「アイル、どこ行くの?仕事?」

翼を広げ飛び立とうとしていたアイルの服を掴む。行かないでと縋るように。こんな時にズルいよね。好きでもない相手に弱さを見せようとするなんて。そんなことしたらアイルが傷付くのがわかっているのに。

私は悪い子だ。こんなんだから蒼羽に幼なじみとしてしか見ていなかったって言われるんだ。でもね、今にも死にそうな時に一人なのは寂しいんだよ。孤独はなによりもつらいの。

「急用が入った。すぐ戻るから少し待っててくれ」

「……わかった。気をつけてね」

待って。行かないで。引き止める言葉がいくつも浮かぶ中、私はそれらを心の中に留めた。ここでアイルを引き止めるのはお門違いだ。どうせ、ここから動けないんだから私はアイルの帰りを待つことしか出来ない。

「あぁ」

「……」

私の顔を見るなり今にも泣きそうな表情を浮かべ、アイルはどこかへ行ってしまった。急用ってなんだろう?やっぱり死神の仕事だよね。

アイルと出会って色んなことがあったな。アイルから好きだって告白されて断ったら寿命を奪われて、1ヶ月後には死ぬって言われて。それからすぐに蒼羽に告白したっけ。でも結果は惨敗。

蒼羽は最初から私を異性として見ていなかった。それでも諦めきれない私は蒼羽に誘われてプールに行って、けどアイルに奪われた寿命のせいで身体も動かなくなって、プールでは泳げなくなった。それでももがき続けて夜の学校のプールに飛び込んだっけ。

私がプールで様子がおかしかったのを察して蒼羽は学校まで追いかけてくれて。そこで蒼羽の優しさに触れた。あぁ、やっぱり私は蒼羽が好きなんだなって。前から好きだったけどその時改めて思ったんだ。

そこからも諦めずにアタックしようと思ったけど夏祭りでは他の子と腕を組んでるところを見ちゃって。もう駄目だと思った。それから今に至るわけで。だからこそ私は蒼羽とは幼なじみのままでいいやってなった。恋人になれなくても一度は好きって伝えたんだもん。なら、それでいいじゃないか。

天国から見守ってる。綺麗な花畑がある場所から蒼羽に『好き』を伝え続けるよ。蒼羽、私と出会ってくれてありがとう。

「蒼羽。愛してる……」

目を閉じた私はそのあと目を開くことはなかった。これで全てが終わる。そう思っていた、のに。

◇ ◇ ◇

「ん……」

「よぉ、起きたか?」

「どこからか声がする……」

翌日。私は意識を取り戻した。両親らしき人からは『奇跡が起きた』と喜ばれた。涙して私を抱きしめる家族?らしき人物に私は自分の身に何が起こったのか理解出来ていなかった。

「どうせオレ様のことが見えてないんだろ」

「オレ様?貴方は誰なの?」 

「そのセリフ、懐かしいな。今ならオレ様がお前に告白すれば付き合ってくれるか?……なんて冗談だよ」

「……」

姿も見えない相手から話しかけられる。声は一度だって聞いたことがない。けれど相手は私のことをよく知ってるような口ぶりだ。過去の私は彼とどんな関係だったのだろう。

「お前は今日の朝に死ぬ予定だった。だが、オレ様が対価を貰ったことによりお前は今日から本来の寿命まで生きられる」

「宗教かなにかですか?」

「信じるのは難しいだろうな。なんせお前は昨日までの記憶が丸ごと抜けているんだから」

「え?」

最初は耳を疑った。でも目の前にいるであろう彼は今の私の置かれている状況を事細かに話してくれた。彼は死神でアイルという名前らしい。そして私に告白?をするも過去の私はそれを冷たく断ったと。

それに腹を立てたアイルが私の寿命を奪い、私は余命宣告を受けた。それからも生きることを諦めなかった私は最後まで頑張った、と。

「どうせその様子じゃアオバのことも覚えてないだろ」

「アオバ?」

「アイツも報われねぇなぁ。アイツが対価を払ったお陰でお前の寿命が戻ったってのに。昨日の急用はそれだ。わざわざお前が死ぬことをアオバに話してやったんだぞ?感謝しろ。っていっても当の本人はそのことすら覚えていないか」

「アオ、バ……蒼羽……」

何度もその名前を繰り返し呼び続ける。

「私、そのアオバって人に会いたい。会わなきゃダメなの。家まで案内して!」

「会ってどうする?お前は何も覚えてないんだぞ」

「それは会ってから考える。いいから私を助けて……お願いよ、アイル」

「っ……!オレ様の姿が見えないなら、このぬいぐるみを頼りにオレ様についてこい」

「わかった。ありがとうアイル」

アオバという人に今すぐ会いたい。私の本能がそう叫んでる。アイルは死神って言っていたけど本当かな?私にこんなにも優しくしてくれるなんて、これだと死神っていうより天使みたい。

◇ ◇ ◇

ピンポーン。インターホンを押した。

初めて来た場所なのになんだか懐かしい、そんな感じ。アオバって人とはずっと昔から一緒だった?なんて、そんなことあるわけないのに。

「はーい。あら?少し久しぶりね雨音ちゃん。元気だった?」

「え、えぇ。まぁ……」

やっぱりこの人は私のことを知っている。なんだか申し訳ない気持ちになる。

「アオバくんは家にいますか」

「……えぇ、いるわ。雨音ちゃんに会えば蒼羽もきっと元気になるわ。このまま二階に上がって?部屋はわかるわよね」

「はい……」

ここで『わからない』と答えるのは変だから、ひとまず知ってるフリをする。アオバは元気じゃないのだろうか。私のために対価を払ったってアイルは話していた。だとしたら私と同じようにアオバも何かを失っているに違いない。アオバは優しいな。見ず知らずの私なんかのために。

本当にそうだろうか。覚えていないはずなのに見ず知らずという言葉を使うだけで心が酷く傷んだ。二階へと一歩一歩上がっていく。初めて入るはずなのに何度も来たことがあるような気がして。二階に着くと部屋が三つあったが、私は迷わず一番奥へと足を進めた。

「あまね。なんでそこがアオバの部屋だってわかったんだ?」

「なんとなく、かな」

どうやら本当に合っていたらしい。
ガチャとドアを開けると、そこにいたのはアオバらしき人。彼がアオバなんだろう。今の私にはそれしかわからない。

「今のドアの開け方は母さんじゃないな。なら、誰だ?」

「お、お邪魔します」

「その声……まさか雨音か!?」

「そう、です」

やっぱりアオバは私のことを知っている。下の名前で呼ばれているし、それなりに親しい仲なんだろう。けれど、声で私のことを判断したようにも聞こえたのは気のせい?私はアオバの顔をジッと見つめた。

「っ……!」

声にもならない声で驚いてしまった。あぁ、私のせいでこんな事になっているなんて。 

「記憶を失った雨音じゃ俺のこと思い出せないよな。昨晩、そこにいるアイルが俺の元に来たんだ。オレ様のせいで雨音が明日死ぬって。だから俺、雨音に死んでほしくなくて対価を払ったんだ。代償はランダムだからさ。まさか俺も朝起きたら驚いたよ。まさか視力を失うなんて」

そこには包帯を巻いてる痛々しいアオバの姿があった。

「ごめんなさ……」

「雨音が謝る必要はない。俺が勝手にやったことだ」

「だって私なんかのために対価を払ったんでしょ?私さえいなければアオバさんは両目を失わずに済んだのに!」

名前しか知らないアオバという彼の言葉に涙が止まらなかった。どうして私なんかのために?アオバにとって私はそんなにも大切な人だったの?

「私なんかのためとか言うなよ」

「え?」

「俺にとって雨音は大事な幼なじみなんだからさ」

「幼な、じみ?」

「そうだ。俺とお前は小さい頃からの幼なじみ。なぁ雨音」

「なに?」

「こんな俺で良かったらさ。今日からも幼なじみでいてくれないか?っていっても視力を失ったんじゃ前みたいにプールに行ったり夜の学校で泳いだりも出来ないが」

「……が、になる」

「雨音、今なんて?」

記憶の中のアオバは消えてしまったけど、心の奥底では覚えている。アオバは私にとっても大切な幼なじみだった。

「私が貴方の目になる。その代わり、アオバさんは私に昔の思い出話を聞かせて?明日からも一緒に生きていこう」

「記憶を失っても雨音は雨音らしいな」

「私らしい?昨日までのこと覚えてないからわからないや」

「なら、まずはさん付けをやめるとこからかな。ほら呼んでみ?」 

「蒼羽……」

「よくできたな。これからも思い出をたくさん作っていこうな」

「うんっ」

お互いに笑い合った。昔もこんな感じで二人で笑っていたのだろうか。私たちが会話に夢中で気付かなかったが、私が蒼羽の家を出る時にはアイルは姿を消していた。いつからいなかったのか。そのうち再び声を聞かせてくれるだろうと思ったが、その日は来なかった。

◇ ◇ ◇

それから一年が経った。桜が舞い散る季節。私たちは高校三年生になった。

「蒼羽。ここで少し休もうか」

「そうだな」

私は蒼羽の車椅子を止めた。あれから蒼羽はすぐに車椅子生活になった。私はそのサポートをして蒼羽を支えている。

私も失われた記憶は未だに一つとして思い出さないけれど、蒼羽が過去に私と行った場所の話を嬉しそうに語ってくれるからそれで満足している。

私たちは未来に向かって動き出している。お互いに失われた代償は大きいけれど。一人で出来なければ二人で支えあっていけばいい。人間とはそういうものだから。それでも時々寂しさを感じてしまう。私だけ記憶がないというのはつらい。世界に私だけ取り残された気分だ。

蒼羽は以前の私と今の私をどう思っているのだろう。やっぱり以前の私のほうが良かったのだろうか。これから先もその不安は付きまとう。

あれからアイルは私たちの前に一度も姿を現してない。一体どこへ行ってしまったのか。やっぱり死神だから地獄へ帰って行ったのか。それとも私以外の余命宣告を受けている人たちの元へと姿を現し、以前のように仕事をしているのか。もう私には用はないだろうし、これから先も会うことはきっとないのだろう。もしかしたら私の本当の余命が尽きる前に迎えに来てくれるかもしれないけれど。
  
一瞬、強い風が吹いた。それは春一番といった表現がピッタリ。風が吹くと同時に懐かしい声が私の耳を揺さぶった。

『オレ様からの季節外れのサプライズをお前らにくれてやる。雨音、頑張れよ』

「……!アイル」

私がアイルの声を呼ぶと同時に頭の中にいくつもの記憶が流れ込んできた。それは生まれてから今までの思い出。蒼羽と初めて出会い、好きになった。そしてアイルと出会い、蒼羽に告白したこと全て。

「蒼羽。私、思い出したよ。蒼羽と幼なじみだった頃の記憶」

どこにいるかもわからないアイルに私は『ありがとう』とお礼を言った。最初は嫌な奴って思ったけれど、今はすごく感謝している。

そういえばサプライズは私と蒼羽って言ってたような……?

「雨音」

「わっ!」

「俺、目が見えるようになったんだ」

「ほんと?」

「あぁ。雨音のこともよく見える」

「良かった……」

私は安堵の声を漏らすと共に喜びで舞い上がっていた。蒼羽からの抱擁を受けて嬉しかった。あたたかいぬくもりに安心する自分がいた。奇跡が起きたんだとお互いに喜びあった。だけど私は知っている。この奇跡を起こしたのは紛れもなくアイル。死神なのにサンタさんみたいなことするんだね。

「雨音。聞いてほしいことがあるんだ」

「なに?」

改まってどうしたのだろう?蒼羽の真剣な眼差しに目をそらすことは出来なかった。久しぶりに見た蒼羽の瞳はどんなものよりも美しかった。

「俺と付き合ってほしい」

「え!?」

私は突然の告白に開いた口が塞がらなかった。今、なんて言ったの?蒼羽が私のことを好き?嘘でしょ。だって私が告白した時は『幼なじみとしてしか見ていない』って。だから私は幼なじみでいることを決めたのに。

「俺、幼なじみの関係を壊したくなくて今まで黙ってたんだ。本当はずっと前から好きだった。だけど前の俺じゃ大切に出来る自信がなくて、わざとお前の告白を断ったんだ。そんなこと無意味だって、やっとわかった。お前を傷付けるくらいなら、あの時の告白を受けるべきだった」

「蒼羽」

「俺はお前を何度も悲しい目に合わせた。お前を忘れようと他の女子に誘われて夏祭りに行ったりもした。だけど駄目だった。お前以外の女は眼中にも入らなかった。今更どんなツラして告白だよって言われるかもしれないが、俺はお前と恋人になりたい。駄目か?」

「良いに決まってる。ずっと待ってたんだからっ……」

我慢していた涙がこぼれ落ちた。これは決して悲しい涙じゃない。嬉しくて泣いてしまうのだ。

「待たせてごめん。遅くなって悪い。けど、これからはお前のことを一生大事にするから。だからこれからは恋人として俺の側にいてくれ」

「うんっ……!こちらこそよろしくね」

その日、私たちは結ばれた。これは死神に魅入られた私が幼なじみと恋人になるまでの物語。


完。