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「しかし、どういう心境の変化だい。悪夢が好物の君が、こんな素敵な夢を見せてくれるなんて」

 喜三郎様が、「天使の涙」が放つ青の輝きに目を細めながら尋ねてきました。

 そう。ここは喜三郎様の夢の世界です。
 私は残されていた僅かな力をもって、別れの場に相応わしい舞台を用意しました。
 
 現実の喜三郎様は、小百合様の膝の上で穏やかな陽射しを浴びながら微睡んでいるところです。
 小百合様と結ばれた喜三郎様は、もうかつてのような悪夢を見ることはないでしょう。

 「実は旅に出ようと思うのです」

 私は喜三郎様の横顔に話しかけました。

 「そうか。ずっと僕の夢に住んでいてもいいけれど、そういうわけにもいかないんだね」

 「ええ。これまで大変お世話になりました」

 「僕の方こそ。一番辛い時に支えてくれた君は命の恩人だ。感謝しているよ、夢子」

 こちらを振り返った喜三郎様の瞳は直視できないほど真っ直ぐで、思わず私は目を逸らしました。
 
 その時、がさり、と音がして私の体の一部が削げ落ちました。

 終わりが近いようです。
 
 悪夢を喰らう妖は、吉夢の中で生きることは叶いません。
 こうしている間にも、徐々に体は朽ち果てているのです。

 喜三郎様以外の人間に取り憑くことも考えました。
 しかし駄目なのです。

 夢の中で永い時を共にしたために、私は喜三郎様に特別な感情を抱くようになってしまいました。

 不覚でした。妖の身でありながら、人間に恋焦がれてしまうとは。

 もう私は、悪夢のために人間の不幸を望めません。
 なにより、儚い少女のような姿に成り果てた私に、誰も恐怖しないでしょう。

 消えるのは怖くありません。
 ただ、喜三郎様のことを愛せなくなるのが、たまらなく寂しく感じます。

 ああ、喜三郎様。あなたをお慕い申し上げられるのも、私の余命が尽きるまで。

 数刻の後、あなたが目を覚ますまで。