怪盗とサファイア

「誰もいない…。」
サフィーは走りながらつぶやいた。なるだけ潜めた足音もこの静けさでは少し目立つくらいだ。
「ティミーが衛兵のほとんどを引きつけてくれたんだ…。」
今頃城内のどこかを走っているであろう彼を思う。
『まかせとけ!』
そう言っていた彼は、もうやんちゃなティミー少年ではなく、サフィーの身長を越した頼もしい青年だった。怪盗の服に身を包み、ティミーが囮になる間に、サフィーがトムを見つけ出す。それが今回の作戦だ。サフィーが見つかっても、ティミーが捕まえられても失敗になるこの作戦、彼は予想以上に上手くやってみせたようだ。
「でも、急がなきゃ…」
自分がトムを見つけなければ、それは全て水の泡。ティミーが捕まえられる確率も高くなる。
「牢屋…上?それとも…下?」
地下牢があるはずだ。でもそれは処刑が決まっていない罪人が集められている場所なのかもしれない。
「………。」
サフィーが上を見る。大きな月がこちらを見ている。サフィーのサファイアの瞳がその月を全て映し込んだ。
「…っ、こっち!」
サフィーは月に誘われるように階段をのぼった。

「城が騒がしいな…?」
トムは牢にいた。何もかもと断絶させられたような部屋に少し音が届く。足音が聞こえ、顔を少し上げた。月明かりと影が差し込む。
「…サフィー…」
カラカラに乾いた口で、その名前を呼んだ。
「…私、あなたを盗みにきたの。」
ぐい、と目元を拭い、サフィーが牢の扉の前にしゃがみ込む。
「…罪人を助けるなんて、捕まるだけじゃすまないぞ。」
「ここまできてやめるもんですか。」
牢の鍵に手を伸ばすサフィー。カチャカチャという音の後、カチャン、と心地のいい音がした。
「あっさりと鍵をはずしやがって。とんでもない怪盗がいたもんだな。」
「私、どこかの誰かと違ってピッキング、得意なの。」
潤んだ声で、ふざけたようにサフィーが返す。
「なんだよ。あのときのこと…まだ覚えてるのか。」
トムが力なく笑った。あのとき…サフィーを盗んだ、全てが始まった運命の出来事。サフィーがトムの手を引いた。
「今から、貴方は私に盗まれるの…予告状も出しているから、これは絶対っ…!」
嗚咽を堪えながら、自分を救った言葉を口に出す。言い終えた瞬間に、サフィーの青が溶け、弾けた。頬に一筋の雫が落ちる。
「サフィー、君に会いたかった…‼︎」
ぎゅう…とサフィーを抱きしめるトム。
「私だって!あなたを忘れた日はなかったわ‼︎」
「夢じゃないんだよな…」
抱きしめ合いながら、お互いを見つめる2人。
「夢じゃないわ…あなたの…あなただけのサファイアよ!」
キラキラと涙で輝く目が、トムだけを見つめる。トムを見て、宝石にはない熱が一層、青を光らせた。
「あぁ…!こんな綺麗なサファイア、夢でだって見れるもんか…」
トムが笑いながら、サフィーを抱きしめていた手を離した。
「でも、オレは盗まれるなんて、出来ない。」
その一言を聞き、サフィーが不安に顔を曇らせた。だが、トムの表情は明るかった。
「オレは怪盗だからな!…世界で一番素敵なサファイアの貴方。今からオレに盗まれてくれませんか?」
まるで舞踏会でダンスを誘うかのように優雅に、トムはサフィーの前に膝をつき、手を差し出した。サフィーは手を取り、もう一度、トムの胸に飛び込んだ。
「喜んで!」
そういったサフィーの笑顔は、どんな宝石も叶わないほど、美しさに溢れていた。

手を取り、城を出て、港に行くと、怪盗の格好を脱ぎ捨てたティミーが待っていた。
「サフィー!トム!」
ティミーが、2人にハグをする。
「ティミー!お前、こんなに大きくなって…!」
「トム!俺に感謝してくれよ!」
大きくなったティミーの少し生意気な話し方は、ティミー少年を思い出させた。
「ありがとう!ここに来るまでに話は聞いたよ!」
トムの言葉にティミーが満足そうに笑った。
「さぁ、この船で逃げるんだ!俺がメンテナンスした船だ!どこへでも安全に行けるぜ!」
ティミーが指さす船に乗る。サフィーが最初に船に乗り、次にトムが船に乗ろうとする。
「ティミーも!私たち、仲間でしょ!一緒に行こう!」
サフィーは、そう言った。ティミーは目を見開く。そして、ティミーらしくない柔らかな微笑みを浮かべた。
「…っ、俺からの最後のお礼とプレゼントだ‼︎受け取れ‼︎」
トムが船に乗ってすぐ、ティミーが船を止めていた縄を切り、船を足で押した。船が動き出す。
「ティミー⁉︎」
「トム、サフィー、ありがとうな。俺は家族がここにいる。だからここに残る。でも一緒に行こうって言ってくれたことうれしかった。」
サフィーが動く船から身を乗り出そうとするのを、トムが止める。ティミーはトムに目線をうつし、頷いた。
「ここからは2人でいきな。俺はついていけねーけど、サフィーとトムなら、どうにかなるだろ?」
家族と一緒にいる、それがどんなに尊くて大切なものかサフィーもトムも今1番知っている。サフィーが潤んでいた目を拭い、笑顔を作る。
「ありがとう‼︎私、あなたのことが大好きよ‼︎」
「ありがとう…っ‼︎たった一回だけど、怪盗の相棒になれてうれしかった!ずっと仲間だからな‼︎」
「当たり前だろ!ずっと仲間だ!」
「ティミーの怪盗、かっこよかったよ!」
ティミーの言葉に、トムとサフィーが叫ぶ。ティミーはひらりと手を振り、足早にその場を去った。2人を乗せた船と、城の騒ぎは、夢のように、幻のように消えたのだった。